令和6年10月16日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
令和5年(行コ)第4号 損害賠償請求控訴事件
口頭弁論終結日 令和6年7月8日
判決
山形県
控訴人(1審原告) 有馬ジキ
山形市松波2丁目8番1号
被控訴人(1審被告) 山形県
同代表者知事 吉村美栄子
同訴訟代理人弁護士 峯田典明
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決主文第2項を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、100万円支払え。
第2 事案の概要
1 事案の要旨(以下、略称等は、原則として原判決のそれによる。)
本件は、山形県立米沢養護学校(本件学校)の教諭である控訴人が、新型コロナウイルスの感染症対策としての着用は無意味であるにもかかわらず、本件学校の校長から、マスクの着用による感染症対策を取らないことを理由に本件命課を受け、クラス担任を外されるなどしたことが違法であるなどと主張して、1審被告山形県教育委員会に、①マスクの着脱は個々人の判断によるものであること及び感染症対策に起因する差別的対応を禁ずすることを山形県内全教職員に周知徹底するよう義務付けることを求めるとともに、被控訴人に対し、②控訴人が、意に反する感染症対策を拒否することができる地位にあることの確認、及び③国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求として100万円の支払を求める事案である。
2 原判決及び本件控訴
原判決は、本件のうち、前記1①の請求に係る訴えについて、これは非申請型義務付け訴訟(行政事件訴訟法3条6項1号)であると解されるところ、控訴人が義務付けを求める行為は、同項本文の「処分」には当たらないとして、同②の請求に係る訴えについて、被控訴人は、新型コロナウイルスの5類感染症への移行後の現時点においては、控訴人が意に反する感染症対策を拒否することができる地位にあることを争っていないから、控訴人の地位に不安や危険が生じているとはいえず、確認の利益を欠くとして、これらの訴えをいずれも不適法であるとして却下し、また、同③の請求について、本件学校の校長が、控訴人に対し、クラス担任から外れ、教育活動補助業務に従事することを命じたこと(本件命課)が、裁量権の範囲から逸脱又はその濫用にあたるということはできないとして、控訴人の請求を棄却した。
控訴人は、前記1③の請求に係る敗訴部分を不服として本件控訴を提起した。したがって、当審における審理の対象は、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求の可否である。
3 前提事実及び争点等(当事者の主張を含む。)
(原判決を補正した修正文)
(1)当事者等(争いがない、弁論の全趣旨)
ア 原告は、山形県立米沢養護学校(以下「本件学校」という。)の教諭であり、令和3年度は、小学部5年・6年の副担任をしていた。本件学校は、知的障害者等を教育対象とする特別支援学校である(甲21)。
イ 被告県は、本件学校を設置する地方公共団体であり、山形県教育委員会は、山形県内の特別支援学校の管理並びに教育、学術及び文化に関する事務の管理及び執行等を行う組織である。
(2)新型コロナウイルス感染症の指定感染症への指定等(乙6、公知の事実)
内閣総理大臣は、令和2年1月30日、中華人民共和国で感染が拡大し.ている新型コロナウイルス感染症(以下、単に「新型コロナ」ということがある。)について、我が国でも感染が拡大していることを理由に、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下「特措法」という。)15条1項に基づく政府対策本部として、内閣に「新型コロナウイルス感染症対策本部」(以下「新型コロナ対策本部」という。)を設置した。
内閣は、同月、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(令和3年2月3日号外法律第5号による改正前のもの。以下「感染症法」という。)6条8項、 7条1項及び66条に基づき、「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」を制定した(令和2年1月28日号外政令第11号)。また、同年3月13日には、特措法が改正され(同日号外法律第4号)、新型コロナについては、一定の期間、同法の規定が適用されることとされた。
以上の措置を経て、新型コロナウイルス感染症は、感染症法上の疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある指定感染症であり、特措法上の新型インフルエンザ等に位置づけられることとなった。
新型コロナ対策本部は、同月28日、特措法18条1項に基づき、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を定めた。同方針(ただし、令和3年4月23日の変更後のもの)は、①新型コロナは軽症で済むこともあるが、重症化するリスクもあり、肺炎の発生頻度がインフルエンザよりも相当程度高いなど、国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある、②新型コロナの感染経路としては、せき、くしやみ、会話等のときに排出される飛沫や、接触感染等が考えられるとしたうえで、基本的な感染対策として、密閉空間・密集場所・密接場面の回避や、人と人との距離の確保、マスクの着用等が重要であるとした。
この頃から、全国の学校では、マスクの着用等の感染対策が講じられるようになった。
(3)原告によるマスク着用拒否及び校長による校務分掌の命課
ア 原告は、クラス担任を受け持つていた令和3年8月19日、本件学校の教頭に対し、常時のマスク着用を拒否すると伝え、マスク着用を指示する本件学校との間で、マスク着用を巡り対立するようになったなった。(弁論の全趣旨)
イ 本件学校の校長は、令和4年4月1日、原告に対し、クラス担任から外れ、教育活動補助業務に従事することを命じた(以下「本件命課」といい、同日当時の本件学校の校長を「本件校長」、その前任の校長を「元校長」ということがある。)。原告は、同日以降、クラス担任から外れ、授業計画案の作成や教材作成、アンケート集計等の業務に従事した。原告は、一時、職員室とは別の部屋での作業を命じられ、別室で勤務していた。(甲1、13、乙5、争いがない、弁論の全趣旨)
3 争点
(1)本案前の争点
ア 本件訴えのうち請求1に係る部分の適法性(争点1)
イ 本件訴えのうち請求2に係る部分の適法性(争点2)
(2)本案の争点
本件命課の違法性
4 争点に関する当事者の主張
(1)争点1(本件訴えのうち請求1に係る部分の適法性)及び2(本件訴えのうち請求2に係る部分の適法性)
(被告らの主張)
本件訴えのうち、請求1及び2に係る部分は、いずれも「当事者の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かっ、それが法令の適用により終局的に解決することができるもの」ではないから、「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に該当しない。
また、令和5年5月8日付で新型コロナは感染症法上の5類感染症に移行し、これに伴い、学校教育活動においても、マスクの着用を求めないことが基本となったから、請求1及び2の訴えの利益は存在しない。
したがつて、本件訴えのうち請求1及び2に係る部分は、いずれも不適法である。
(原告の主張)
争う。新型コロナの流行は現在もメディア等で伝えられており、学校でも、未だにマスクを着用している教職員や児童生徒が多数存在することからすると、再びメディアや専門家が感染症の流行を宣伝し始めれば、大衆は感染症の存在を信じ、本件と同様、科学的根拠の乏しい感染症の流行を理由に、原告をはじめとするマスク着用困難者に対する不当な人権制限が繰り返されることが容易に想像できる。
したがつて、現在においても、法的義務のない感染症対策は任意であることが徹底され、かつ、これが被告委員会によって周知される必要があるから、本件訴えのうち請求1及び2に係る部分については、訴えの利益がある。
元校長は、一度ネックウォーマーを口元まで上げる方法による感染対策を容認したにもかかわらず、最終的に、本件校長は、原告にクラス担任から外れて教育活動補助業務に従事するよう命じている。
しかし、そもそも新型コロナが存在するという科学的根拠は皆無であり、政府や被告県、被告委員会は、新型コロナの存在を確認できていないにもかかわらず、これが存在することを前提に、教育現場等において、無意味な感染対策を推し進めているにすぎない。また、本件命課は、マスクを着用することができない原告に対して、感染対策に応じないことへの制裁としてされたものであるが、これは、感染対策においても人権を尊重すべきであるとする感染症法4条、特措法5条の定めや文部科学省の方針に反する不当な差別であるうえ、その内容は、生徒の指導・教育という教員の中心的業務を原告から剥奪し、原告を別室に隔離して、教育活動補助という名の雑用を行わせるものであり、原告の名誉や人格を著しく損なうものである。
以上のとおり、本件命課は、何らの必要性、合理性がないにもかかわらず、原告に対して不当な差別的対応をするものであり、必要最小限の人権制限とはいえない。
よつて、本件命課は国家賠償法上違法なものであり、原告はこれによって精神的苦痛を被ったから、原告は、被告県に対し、同法1条1項に基づく損害賠償請求として、 100万円の支払を求める。
また、原告は、感染症予防手段の自主決定権に基づき、被告県との間で、原告が意に反する感染症対策を拒否できる地位にあることの確認を求めるとともに、教育現場における差別的対応の撤廃の請求として、感染症対策の協力に応じない・応じることのできない児童生徒や教職員に対する差別的対応を禁ずることを山形県内全教職員に周知徹底するよう被告委員会に義務付けることを求める。
(被告らの主張)
原告は、本件命課は合理的な理由なく原告をクラス担任から外すものであり、国家賠償法上違法であると主張する。
しかし、特別支援学校の校長には、校務分掌に関して相当の裁量権が認められているから、本件命課は、これが社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たらない限り、適法である。
この点、被告委員会教育長が定めた「県立特別支援学校における『新しい生活様式』を踏まえた学校運営方法について」の通知(乙3。以下「本件通知」という。)では、新型コロナの感染対策として、教室では常時マスクを着用することや、マスクを着用しない場合は身体的距離をとること、必要に応じて別室で業務を行う等の対応をとることが求められた。 しかし、本件学校の児童生徒は(障害の特性上マスク着用が困難であり、距離をとることを期待できない状況にあったため、本件学校の校長は、新型コロナの感染対策のために、マスクを着用することができない原告について、児童生徒と多く接するクラス担任から外し、別室での教育活動補助を命じたものである。原告は、本件命課は原告に対して必要のない雑用を命じたものであると主張するが、原告が行った教育活動補業務は、いずれも児童生徒の指導上必要な業務であつて、原告に対する不当な仕事外しには当たらない。
したがつて、本件命課は不合理なものではなく、校長の裁量権の範囲の逸脱又はその濫用には当たらない。原告の請求は理由がない。
4 当審における控訴人の補充主張
(1)本件命課の理由は、感染症対策であり、元校長が認めていたネックウォーマーを口元まで上げるという代替手段で特に問題が発生していなかった。しかし、本件校長は、着任後、元校長の上記方針を突如変更して、本件命課を発し、より多くの感染症対策を命じた。本件命課は控訴人にとって予測可能性がなく、妥協点を探る機会が与えられない一方的なものであり、控訴人にとっては不利益でしかない。それにもかかわらず、本件校長は、本件命課にあたり、代替手段の問題点を指摘することも、何らの説明をすることもなかった。このことからは、本件命課が恣意的であって、これを必要性のある措置であったと主張するのは無理がある。
(2)本件命課は、マスクをしていない人を排除してよいというメッセージを児童生徒に送る効果があり、マスクを着用できない人に対する配慮を欠くものである。また、本件命課は、元校長が容認していた代替手段を一方的に破棄し、控訴人に対し妥協点を探る機会を与えないものであり、控訴人の医療を選択する権利をないがしろにするものである。
第3 当裁判所の判断(控訴審判決)
1 判断の要旨
当裁判所は、原判決と同様、本件校長が本件命課を発したことが裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものということはできず、国家賠償法1条1項の適用上違法があるとはいえないから、控訴人の損害賠償請求には理由がないと判断する。その理由は、後記2のとおり補正し、後記3のとおり当審における控訴人の補充主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」(以下「原判決第3」という。)の3に記載するとおりであるから、これを引用する。
第3 当裁判所の判断(補正後)
1 認定事実(後掲証拠等により認められる事実)
(1)教育現場における新型コロナ感染対策に関する方針等(前提事実(2)、乙3、6、7(公知の事実)
新型コロナ対策本部の定めた「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(ただし、令和3年4月23日の変更後のもの)では、新型コロナの基本的な感染対策の方法が示されたほか、文部科学省が、高等学校等について、子供の健やかな学びの観点から、「学校における新型コロナウィルス感染症に関する衛生管理マニュアル」(以下、その後に改訂されたものを含めて「文科省マニュアル」と総称する。)等を踏まえた対応を要請することや、都道府県が、学校設置者に対し、保健管理等の感染症対策について指導することなどが定められた。
上記マニュアルは、数回にわたり改訂されたが、令和3年4月28日の改訂版(以下、同日付で改訂された文科省マニュアルの令和3年5月28日付け文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課事務連絡による修正後のものを特に「文科省マニュアルVer. 6」という。)では、基本的な感染症対策のうちマスク着用に関する部分について、①学校教育活動においては、児童生徒等及び教職員は、身体的距離が十分とれないときはマスクの着用を原則とし、十分な身体的距離が確保できる場合、熱中症などの健康被害が発生するおそれがある場合などはマスク着用の例外とすること、②必要に応じて、身体的距離をとってのフェイスシールドの着用を認めるなど、臨機応変な対応をすること、③教職員についても、児童生徒等と同様の感染症対策を参考にすること、④特別支援学校等における障害のある児童生徒等については、指導の際に接触が避けられなかつたりするといった事情を踏まえ、適切に対応すべきことなどが定められていた。なお、文科省マニュアルVer. 6の内容のうち上記部分は、令和4年4月1日付けで改訂された文科省マニュアル(以下、同日付けで改訂された文科省マニュアルを特に「文科省マニュアルVer. 8」という。)においても変更はない。
山形県教育委員会教育長は、これを受けて、令和3年7月5日、各県立特別支援学校長に対し、「県立特別支援学校における「新しい生活様式」を踏まえた学校運営方法について」と題する通知(本件通知)を発出した。同通知では、文科省マニュアルVer. 6を参照して、県内の特別支援学校における新型コロナの感染対策のうちマスク着用について、教室では基本的にマスク(不織布製が望ましい)を常時着用すること、身体的な理由等によリマスク着用が困難な児童生徒は、マスク着用以外の方法で予防対策を講じるなどの配慮をすること、教員は必要に応じてフェイスシールドの活用等の感染症対策を行い(ただし、フェイスシールドはマスクに比べて効果が弱いことに留意し、使用の際は原則マスクを着用すること。)、マスクを着用しない場合は、身体的距離をとることを定めた。また、教職員の対応として、学校外でも感染防止対策を徹底し、職員室においても身体的距離の確保に努め、必要に応じて別室で業務を行う等の対応をとることなどが示された。
(2) 本件学校における対応等
ア 本件学校における対応と校長による原告へのマスク着用指示(甲2、24、弁論の全趣旨)
本件通知を受け、本件学校でも、上記通知に基づく感染症対策が取られるようになったが、原告は少なくともこの頃には学校内で常時マスク着用をすることを拒否するようになっていたことなどから、教頭が、令和3年8月19日、原告と面談をした。その際、原告は、法律上、新型コロナウイルスが病原体と明記されていないにも関わらず、子供の活動を制限することが不当であるから、マスク着用には協力できないことなどを申し立てた。
これを受けて同月23日、校長が原告と面談をし、県の指示に基づく学校の運営方針であり、校長の職務命令であるとして、学校内でのマスク着用を指示したが、原告は、新型コロナウイルスが感染するという科学的根拠がない中、子供の学習の機会を奪うべきではないと主張し、マスクの着用を拒否し続けた。校長は、同日、原告に対し、学校内でマスクを着用するよう指示し、原告との面談を終えた。
イ その後のマスク着用を巡る原告と本件学校とのやりとり等(甲2~4、弁論の全趣旨)
原告は、その後、授業中はマスクを着用し、授業外ではマスクを着用しないという対応をするようになったが、令和4年2月16日、武田内科胃腸科医院の医師から「化学物質過敏症、マスク過敏症」との診断を得たこと、マスク等に感染予防効果は期待できないこと、新型コロナウイルス感染症の病原体は特定されていないことなどを理由に、同月22日付で校長に対しく業務におけるフェイスシールド等を含むマスク着用の全面免除を求めた。
これを受け、教頭は、身体的理由で不織布マスクをつけられないのであれば、違う感染症対策するよう指示し、原告はネックウォーマーを口元まで上げて覆う方法での感染症対策を取るようになった。
ウ 原告に対する異動内示とその取消(争いがない)
令和4年3月14日、原告に対して、高畠町立高畠中学校への異動内示が出されたが、同月末日、異動内示は取消となった。
エ 本件命課(甲1、5、 7、8、 10、13、21、乙5、弁論の全趣旨)校長は、令和4年4月1日、原告に対し、クラス担任から外れ、教育活動補助業務に従事することを命じた(本件命課)。
本件命課は、原告が校長の定める感染防止対策が取れないことを理由とするものであった。命課当時、原告の勤務場所が職員室外となることは決められていたが、具体的な場所は決まっていなかった。その後、原告には、概ね別紙(乙5)の「教務等補助的業務」欄及び「教材等作成業務」欄記載の業務が割り当てられた。
原告の就業場所は、校長の指示により、令和4年4月1日から同年6月30日までは職員室と別の部屋が割り当てられたが、同年7月1日以降は職員室での就業に戻された。
本件学校において、令和4年度及び令和5年度中に教育活動補助業務を主たる業務としていた教員は原告だけである。
オ 原告のクラス担任への復帰(公知の事実、乙1、弁論の全趣旨)
新型コロナ対策本部は、令和5年2月10日、「マスク着用の考え方の見直し等について」を決定し、同年4月1日以降、学校教育活動の実施に当たっては、マスクの着用を求めないことを基本とするとして、従前の方針を改めた。これを受け、校長は、本件命課を解除し、原告は同年4月1日、クラス担任の業務に復帰した。
2 判断
(1) 判断枠組み
控訴人は、本件学校の校長が控訴人をクラス担任から外し、教育活動補助業務をさせたことは、国家賠償法1条1項の適用上違法であると主張する。
学校教育法5条並びに82条及び37条4項によれば、特別支援学校の校長は、設置者の管理の下、校務をつかさどり、所属職員を監督するものとされているところ、校務をつかさどるとは学校の仕事全体を掌握し、処理することをいい、校長による監督の対象となる所属職員は、同法84条、37条の定めるすべての所属職員をいい、教員を含む。そして、校長による監督の態様としては、監視による状況の把握のほか、許可、承認、職務命令等を含むと解される。その結果、特別支援学校の校長は、教員を含めた所属職員について、その職に応じた校務分掌を決定し、これを命じる権限を有し、その一内容として、教員にクラス担任を明示又はクラス担任から外れるよう命じる権限を有すると解される。かかる校務分掌に関する命令は、校長がその裁量により決するものであると解されるが、これが職務命令として行われ、当該職務命令がその対象となる教員に著しい不利益を及ぼし、そのことについて合理性を欠くものと認められる場合には、裁量権と逸脱し、又はこれを濫用したものとして、国家賠償法1条1項の適用上違法な公権力の行使となるものと解すべきである。
(2) 以上を前提に検討する。
本件命課は、原告が、令和3年8月以降、新型コロナウイルス感染症の病原体が確認されていないという見解を前提に、校長が指示した感染症対策に協力できないという姿勢を明らかにするようになり、翌年2月以降は、化学物質過敏症等と記載された診断書を得て、マスク類の着用を一切拒否するようになったことを受け、感染症対策の一環としてされたものである。
そして、学校教育法が、特別支援学校の教諭が児童の教育をつかさどるものとし、その職務を助けるものとして助教諭の職を定めていること(同法82条、37条11項、15項)、現に、少なくとも令和4年度及び令和5年度中に本件学校において、教育活動補助業務に専属して従事した教員はないこと等に鑑みると、本件命課は、教諭である控訴人の職に照らし異例なものであったというべきである。
他方、本件命課当時、特別支援学校の校長は、持続的に児童生徒の教育を受ける権利を保障していくため、学校における新型コロナウイルスへの感染及びその拡大リスクを可能な限り低減した上で、学校運営を持続していくことが求められていた(乙3)。
そして、本件命課当時、文科省マニュアルVer. 8は、身体的距離が十分とれないときはマスクの着用を原則とすることを定めた上、例外的に身体的距離をとってのフェイスシールドの着用を認める一方で、指導の際に接触が避けられないなどの事情がある特別支援学校においては、別途適切に対応すべきことが定められていた。また、山形県教育委員会教育長が定めた本件通知は、特別支援学校におけるマスク着用の方針を、不織布製マスクの常時着用を原則とし、教員がフェイスシールドを用いる場合にも、マスクとの併用を原則とすることや、マスクを着用しない場合は、身体的距離を取るべきことを定めていた。これらによれば、新型コロナウイルスへの感染及びその拡大リスクを低減するためには、上記の対策が必要であると考えるべき根拠があったということができる((1)ア)。
このことに加え、本件学校は知的障碍者等を教育対象とする特別支援学校であり、本件学校においてクラス担任としての業務に従事することとなれば、多数の児童生徒に接し、身体的距離を取ることができない状況が度々生じることが容易に想定できることにも鑑みれば、本件校長において、控訴人がマスクの着用による感染症対策を取らないとの意思を明確に示していたことを踏まえ、本件命課を発して控訴人をクラス担任から外したことは、感染症対策としてやむを得ない措置であったといえる。
また、本件命課により、控訴人は、教育活動補助業務に専属して従事することとされたが、控訴人が命じられた教育活動補助業務の内容は原判決別紙のとおりであって、これらはいずれも、助教諭の置かれていない本件学校においては、教諭が教育活動とともに分掌していた業務であったことからすれば、この点についても不合理であったとまでいうことはできない。
なお、控訴人は、本件命課が発せられた当初、職員室とは別の部屋で業務を行うよう命じられたが(前記1(2)エ)、本件通知においては、職員室においても身体的距離の確保に努め、必要に応じて別室で業務を行うという対応も想定されていることに照らせば(前記1(1))、この点についても、文科省マニュアルVer. 8や本件通知に沿うものといえる。
以上に加えて、本件校長は、令和5年2月10日、新型コロナ対策本部においてマスク着用の考え方について見直す旨の決定がされ、学校におけるマスクの着用についても同年4月1日からこれに沿った対応とすることとされたことを踏まえて、本件命課を同年3月30日までとして解除しており(前記1(2)オ。なお、前記1(2)エのとおり、職員室とは別の部屋での就業については令和4年6月30日までの3か月間で解除された。)、本件命課による控訴人の不利益を最小限にとどめるべく配慮したと評価することができることにも鑑みれば、本件命課が合理性を欠くと認めることができず、本件校長がその裁量権の範囲を逸脱し、またはこれを濫用したということはできない。
これに対し、原告は、コロナウイルス感染症の病原体が確認されていないにも関わらず、これを前提とした科学的根拠のない感染防止対策を原告に強いること自体が違法であるから、これに従わないことを理由としてされた本件命課は違法であると主張する。
しかし、前記説示のとおり、本件校長は、新型コロナウイルスの感染症対策として本件命課を発したものであって、控訴人が、感染症対策に従わないことを理由として本件命課を発したものではないから、控訴人の上記主張は、前提を欠くものである。なお、本件命課は文科省マニュアルVer. 8や本件通知に沿うものであるところ、これらは新型コロナウイルス感染症が、疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある指定感染症であるとする法令や、特措法上の基本的対処方針である「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」に基づくものであり、法令上の根拠を有するものであるから(前提事実(2))、これが違法なものであるとはいえない。原告は、これらの法令や基本的対処方針が科学的根拠を欠くものであるとして、マスク着用拒否に至ったのであるが、特措法上の基本的対処方針である「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」は、新型コロナ対策本部が設置した新型コロナウイルス感染症対策専門家会議による医学的・科学的観点からの議論を踏まえて策定されたものであり(公知の事実)、文科省マニュアルや本件通知が定める感染防止対策もこれに基づくものであるから、病原体の存在に疑間を呈する見,解や、マスク着用の感染防止効果について疑間を呈する見解が存在したとしても、文科省マニュアルや本件通知が医学的・科学的根拠のないものであるといえるものではないし、これらを踏まえ、控訴人に対し本件命課を発したことが、国家賠償法1条1項の適用上違法との評価を受けるものでもない。
ほかに、原告は、本件命課が、校長の指示に従わない原告への制裁であると主張するが、文科省マニュアルVer. 8や本件通知の趣旨に従えば、感染防止対策に協力できない教員を特別支援学校の小学部のクラス担任とすることは著しく困難であるから、校長の措置はやむを得ない措置というべきであり、これが制裁であったとは解しがたい。
3 当審における控訴人の補充主張に対する判断
(1)控訴人は、本件校長は、ネックウォーマーによる感染症対策を容認していた元校長の方針を突如変更して本件命課を発したものであって、本件命課は控訴人にとって予測可能性がなく、一方的なもので妥協点を探る機会が与えられなかったと主張する。
しかし、控訴人は、遅くとも令和3年8月19日、教頭に対して常時のマスク着用を拒否して以降、新型コロナウイルスが感染するという科学的根拠がないこと、マスクの着用に感染防止効果がないこと、新型コロナウイルスのないことの持論を理由とし、令和4年2月以降は、自らが化学物質過敏症及びマスク過敏症である旨の診断を受けたことを理由として、マスクの着用による感染症対策を取らないという姿勢を明確にしていた(補正の上引用する原判決第3の1(2)ア、イ)。このような状況を踏まえれば、本件校長が、控訴人との間で改めて感染症対策について話し合いの機会を持つことなどせず、控訴人に対しマスクの着用による感染症対策を取ることを求めることができないことを前提として、本件命課を発したとしても、かかる本件校長の判断や対応が恣意的であるとか、合理性を欠くものであるなどということはできない。本件命課がされた当時、特別支援学校の校長は、持続的に児童生徒の教育を受ける権利を保障していくため、本件学校における新型コロナウイルスへの感染及びその拡大リスクを可能な限り低減した上で、学校運営を持続していくとが求められており(補正の上引用する原判決第3の2(2))、文科省マニュアルVer. 8や本件通知がマスクの着用による感染症対策が推奨され、殊に特別支援学校での学校教育活動においては、教室の中では基本的にマスクを常時着用すること、マスクを着用しない場合は身体的距離をとることなどの指針が示されていたこと(補正の上引用する原判決第3の1(1))に鑑みると、本件校長が、ネックウォーマーを口元まで上げるという方法は上記指針に沿わないものと考えて本件命課に及んだとしても、その合理性を欠くとはいえないことはもとより、控訴人にとって予測可能性がなく一方的であったということもできない。したがって、控訴人の上記主張は採用できない。
(2)控訴人は、本件命課は、マスクを着用できない人に対する配慮を欠くものであり、また、控訴人の医療を選択する権利をないがしろにするものであるなどと主張する。
しかし、本件命課がされた当時、文科省マニュアルVer. 8や本件通知において、前記(1)のような指針が示されていたことからすると、マスクの着用を一切しない控訴人について、児童生徒との接触の機会が多いクラス担任から外すなどしたことはやむを得ない措置であったというべきである。かえって、本件命課の期間が必要最小限にとどめられていたといえること(原判決第3の2(2))をも考慮すると、本件命課は、新型コロナウイルスへの感染及びその拡大リスクを可能な限り低減させるべき必要性に迫られる中、マスクを着用しないという控訴人の判断や選択に配慮し、マスクを着用しない状態で、教員として行うことができる業務を控訴人に割り当てたものと評価し得るから、控訴人の上記主張は採用できない。
(3)その他、控訴人は種々主張するが、前記引用に係る原判決の認定、判決を左右するものはない。
第4 結論
以上によれば、控訴人の損害賠償請求は理由がなく、棄却されるべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
仙台高等裁判所第3民事部
裁判長裁判官 倉澤守春
裁判官 櫛橋直幸
裁判官 栗原志保