第4章

感染症法

令和6年1月14日公開

存在しない病原ウイルスの存在を証明するために考えられたのが「分離」や「遺伝子配列決定」であったが、それだけではパンデミックを起こすことができない。これまで述べてきたように、病原ウイルス粒子を単離できないので、実物の確認が行えないからである。検査では陽性反応が出るのであるから、それは実物が存在するからであろう。そこで、実物の標本の提示を求められたら、提示できないでは、科学的根拠が希薄ではないかという指摘を受けてしまう。しかし、これはあくまで科学的な議論においての話である。

行政は、法に基づいて動く。勿論、法は科学的な裏付けがあって然るべきであるが、法が規定されてしまうと法律上ではそれが正しいのであって、科学的な議論の入る余地を失ってしまう。非常に奇異な話であるが、これは感染症の歴史を振り返れば明らかで、例えば米国の公衆衛生法が規定された後は、感染症に指定された疾病の原因を病原体以外に求める研究はほぼ不可能になってしまった。法が学問の方向性に縛りを与えるのである。

よって、感染症について科学的な議論を許さず「教義」に基づいて、パンデミックを粛々と実行するために、法で行政が動くということから感染症を法で規定する方法が考えられた。その最初が私の知る限りでは、上述の公衆衛生法である。

この章では、まず公衆衛生法の事例に触れて、どのようにして法が学問に縛りをかけるのかを見ていきながら、日本の感染症法の問題点やどのようにしてパンデミックを引き起こしているのかについて議論していきたい。

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1 公衆衛生法