ウイルス学者

(日本語)


コロナ危機の発端は明確に特定された

ウイルス学者

病気を引き起こすウイルスの存在を主張する者は、科学的詐欺を働いており、訴追されなければならない。

ステファン・ランカ博士

概要

科学と科学的手法は、課題を発見し解決するための重要なツールです。科学には非常に明確なルールがあります: 主張は証明されなければならない -- つまり透明性があり、理解しやすく、検証可能でなければなりません。検証可能なものだけが科学的と呼ばれ、それ以外はすべて信仰の領域に属します。信仰に関する事柄が科学的に証明された事実として、政府の施策を導き出したり、正当化したりするために、提示されてはなりません。

科学的な記述は反駁可能でなければなりません。科学的であると主張するためには、反証可能でなければならないのです。すべての科学者が負っている義務の中で、規定された一番の義務は、自分の発言を厳密にチェックし、反論を試みることです。反論の余地がなく、そのことが対照実験によって明確に記述されるのであれば、その声明は科学的と言えます。

政府や当局が発するすべてのコロナ対策は、最終的に法律、ドイツでは感染症保護法(ifSG)によって規制されています。法律は、それらに正当性のようなものを与えますが、根拠を与えるものではありません。例えば、ifSGの§1では、法的枠組みは国民を科学のルールに従わせることを意図しています。科学において最も重要なルールは、真実で科学的であるとして提示されてきた声明に反論するために、文書化された不成功の努力であるということです。すべての科学のルールは、推論と論理の法則に従うことを要求します。これらのルールが無視されたり、違反されたりした場合、科学的な声明は、その声明が誤りであることを示す対照実験によって反論されるのに等しいのです。

病原性ウイルスに関するすべての出版物の言葉の選び方から、ウイルス学者が理性、論理、科学の拘束力の法則に違反しているだけでなく、病原性ウイルスの存在そのものを否定してしまっていることは明らかです。恐怖による催眠術眼鏡を外して、著者の書いたものを客観的に読めば、英語を理解できる関心のある人で、使用されている方法を理解している人は、常々見受けられる遺伝子配列をウイルス学者がウイルスを構成するものと誤解していることや、そうすることによって彼らの専門分野全体が否定されていることに気付くでしょう。(ただし、この混乱はファージやファージ様、いわゆる巨大ウイルスを研究しているウイルス学者には及びません。) 新型コロナウイルスと言われているようなものの存在を主張する場合、この混乱は特に明白です。

ウイルス学の分野で働く人々によって、基本的な科学的要件がすべて侵害されたため、これは科学的詐欺としか言いようがありません。科学的詐欺は、現在の刑法では決して許されない行為であり、これまでのところ、そのような前例はありません。科学的に行動しているように見せかけて、実際には非科学的に行動することによって、ウイルス学者たちは、ドイツ法では「Anstellungsbetrüger(雇用詐欺師)」と呼ばれる、従事している仕事を果たさないという詐欺を働いているのです。だからこそ、私は発議しているのであって、
裁判と刑法で立証することに向けて努力しているのです。 政府の関係部署は、詐欺的な疑似科学者が反科学的、反社会的で危険な活動を続けるのを防ぐために、彼らを起訴するよう求められています。 一度、裁判所がこの記事で説明した事実を立証し、一人でもウイルス学者を詐欺罪で有罪にすれば、すぐにでも世界的なコロナ危機の終焉がもたらされ、司法的に封じられるころになり、すべての人にチャンスが与えられることでしょう。

はじめに

人類は大きな課題に直面しています:生物学と医学の学問は、自己強化的な推進力、必然的な恐怖、反生命的な展望を生み出しています。これらは、環境、植物、動物、人類、そして経済に干渉し、破壊しています。コロナ危機は、あらゆる人々や、あらゆる事物がぶつかる道筋にある氷山の一角に過ぎません。この課題の理由のひとつは、唯物論にあります。純粋に物質的なモデルで生命を説明しようとする物質主義です。
現代の唯物論は「ソクラテス以後」の古代の産物であり、宗教による恐怖と権力の乱用に対する明確な反作用です。このことは、理解可能であり、非常に人間的な反応で、人道主義に動機づけられていると言えますが、劇的な結果を招いています。唯物論哲学は生物学に善/悪の二項対立をもたらしました。そして、西洋医学における有力な見解が唯物論に基づいています --- その結果、反生命的医療のアプローチが行われています:抗生物質、放射線、化学療法、消毒、基本的権利の制限、ワクチン接種、ロックダウン、隔離、ソーシャルディスタンスなどです。このイデオロギーによって、ますます多くの人々や環境、経済に損害を与えています。この唯物論的な善/悪論は、事実上の根拠はなく、反証された仮定から発展したもので、最も強力な宗教として静かに発展してきました。

唯物論的な生命論は、原子は存在するが、意識はなく、霊的な力もなく、原子を創造しその原子に動きを与えた創造者もいないとします。宇宙と生命を純粋に物質的に説明するために、我々の「科学」はビッグバン(大爆発)を主張せざるを得なくなったのです。これらの原子のうちのいくつかは、偶然に互いにぶつかり合って分子を形成したと仮定されています。これらの分子は、ランダムに集まって原始細胞を形成し、そこからさらにすべての生命が闘争と選択によって発展したとされています。これらはすべて、想像を絶する長い時間をかけて遠い過去に起こったとされており、科学的な検証の対象にはなり得ないと言われています。
このような物語は科学的とは呼べません。

量子論に代表される理論物理学はともかくとして、このような考え方は、より小さなものへの資本投資が増え続けていることを想像させます。 簡単な実験によって容易に理解できる、より明白な生命観のために、私は生命を構成する物質そのものを指摘したいと思います:水の膜、いわゆる表面張力膜と呼ばれるものです。これは水が他の物質と接触したり、渦を巻いたりするときに形成されるものです。アリストテレスはこの物質を「エーテル」と呼び、後にピーター・オーギュスタン博士が発見し、「原始物質」と呼びました。。日本の植物生理学者は、この物質を「πウォーター」と呼んでいます。このエーテル/原初物質の再発見によって、ソクラテス以前の原理である「大は小を兼ねる」を復活させ、議論することができます。原子論の観点から考えることは、このような認識を妨げ、誤った仮説をもたらします。生物学や医学の学術的な概念世界全体が、この偽りの概念に基づいているのです。

1848年、フランス革命に触発された建設的な可能性がドイツにも影響を与えるチャンスがあったのに、急進的な変化は失敗し、政治と社会生活の劇的な硬化と悪化を引き起こしました。今日の生物学と医学の極めて重要な発展に貢献した人物は、1848年当時、疫病予防のために人道的で論理的で正しい対策を提唱していました。しかし、その後10年の間に、彼の考え方は、硬化し、ますます極端になる政治状況に適合するようになりました。ルドルフ・フィルヒョウは、1858年、何の科学的根拠もなく、もっぱらデモクリトスとエピクロスの原子論に触発されて、生命とすべての病気に関する細胞論、すなわち細胞病理学を提唱したのです。

ルドルフ・フィルヒョウは、生涯を通じて、自分の新しい細胞理論を事実として提示し、普及させるために、発生学や組織学に関連する事実を抑圧しました。発生学と組織学 --- しかし、生命の胚種説は、生命及びその発達、そして何よりも病気、治癒、治癒の危機、治癒を妨げるものを理解するための必要不可欠な前提条件です。

ルドルフ・フィルヒョウは、原子論になぞらえて、すべての生命は細胞を起源とすると主張しました。細胞は生命において分割できない最小の単位であると考えられました。それにもかかわらず、ラテン語で「ウイルス」と呼ばれる病気の毒素とされるものの産出が、すべての病気を引き起こすと考えられたのです。このことは、生命、病気、治癒のプロセスをこの理論の中で説明しようとすれば、遺伝子、感染、免疫、癌の理論が必然的に発展することになるということに基礎を置いています。もし、すべてのプロセスが物質の相互作用によってのみ引き起こされることや、すべての生命が細胞から発生することを信じるならば、この見解の信奉者は、生命の構造的・機能的デザイン、すなわち遺伝性物質を維持し、これを事実として主張せざるを得ません。

同じような強引な論理は、病気の毒素と主張されるものにも当てはまります:細胞はウイルス(病気を引き起こす毒)を作り出し、それを体内外に拡散させます。 それが真実であるためには、個人の中にこのウイルスが最初に作られた場所があると主張しなければなりません。このような考え方が他の教えを排除するドグマに昇格すると、他の視点が非科学的であるとか、国家に反する陰謀であるとかと中傷され、病気の起源について他の考え方や考察が最初から排除されることになるのです。この強制的な論理は、物質的な欠陥や物質的な悪性腫瘍にしか原因を求めません。ウイルスを病気の毒素とする考え方は、1951年にすでに科学的に反論され、放棄されたという事実を、それが隠すことになります。つまり、1952年には別の考え方が生み出されなければならなかったということです: ウイルスは危険な遺伝子の集合体であります。しかし、この仮説にはまだ実現可能な科学的根拠がありません。 いいニュースと言えば、1954年以降に流行した遺伝子ウイルス学が、自らの声明によって科学的に反証されたことです。私は、この声明が100%正しく、検証されていることを証明できます。私はウイルス学者として、科学者として、市民として、そして一人の人間として、それを支持するつもりです。

「毒素ウイルス学」から今日の「遺伝子ウイルス学」への変遷

危険な細菌性タンパク質毒素が体内に存在すると未だに主張されるように、病気毒素という考え方は未だにかなり有力です。また、コルクの栓抜きのような細菌が危険であると考えられているように、細菌もまた危険であると主張されています。その栓抜きのような細菌は、神経を経由して侵入すると推定される地点から脳へとドリルのようにして侵入すると考えられています。ウイルス学者、医師、科学ジャーナリストたちが言及しないのは、ウイルスがタンパク質でできた毒素であるという説が1951年に放棄されたことについてです。この年、毒素ウイルス説を検証するために、2つの対照実験が行われています:

  1. ウイルスに侵されたと思われる組織だけを晒すのではなく、健康な組織も腐敗に晒しました。その結果、健康な組織の分解によって生成されるタンパク質は、「ウイルスに侵された」組織の分解によって生成されるタンパク質と同じであることが分かりました。これによって、ウイルスの仮説は否定されたのです。

  2. その上、1951年以前のウイルスが何であるかという説は、次の事実によって反論されました。電子顕微鏡を用いて、健康な組織で見られるものや撮影できるものと、ウイルスに感染していると思われる人や動物から得られるものとで、異なるものを何一つ見つけたり撮影したりすることが、誰にもできなかったということです。これは現在でも同様です。

ウイルス学は、これらの対照実験の成功によって自らを否定し、自らを無効化したのです。しかし、このことに気付いたのは、専門誌の注意深い読者だけでした。 現在進行中のワクチン接種キャンペーンは、権力を操る者たちによって賞賛され、推進され続けました。それ故に、マスメディアはこのニュースを隠蔽しました。 ワクチン接種キャンペーンは、それを正当化する病毒ウイルスがもはや有効でないにもかかわらず、中止されることはありませんでした。これはさらに、保健当局と科学界が沈黙していたためです。ウイルス学が無効となった後、生物学と医学は、それまで純粋な物質的細胞説の中で、以前よりウイルスが発生したと定義したものに対する、どんな説明でさえも提案することをしませんでした。

そのため、ウイルスの性質に関する新しい理論を考案する必要がありました。そこで、「ファージ」と呼ばれる現存する構造物をモデルにして考えたのです。ファージは、細菌が自分の生活環境から外されて、他の細菌や微生物との必要なやり取りが阻害されたときに、細菌が形成するものです。 私は学生時代、幸運にもこのような構造体を海から単離し、その構造、組成、環境との相互作用を研究することができました。この経験が、私をウイルス学の分野へと直接導いてくれました。無害なウイルス、安定したウイルスと宿主の関係を発見することで、それ故に、ウイルスの起源を研究できるかもしれないと、無邪気に考えていました。
それから30年、「巨大ウイルス」と呼ばれる構造体が次々と発見され、しかも、その構造体が生物学的生命が始まる過程の起源であることを支持することが明確に証明されました。現在では、これらの構造が原始細菌、細菌、真核生物と並ぶ第4の生命界に属すると考える研究者もいます。

ファージや「巨大ウイルス」とも知られているこれらの構造体は、細菌を食べると誤解されています。最適な繁殖や生存ができなくなるような生活環境が変化した時に、細菌や単純な生物が形成する胞子の一種であると、ファージや巨大ウイルスを記述することができます。この種の有用な構造は、いわゆる遺伝性物質であるDNAの鎖で常に構成されています。そのDNAは、常に全く同じ長さで全く同じ組成なのです。この種のDNAは、常に生物学的生命を生み出す濃密な物質の膜で囲まれています。だから、ファージや「巨大ウイルス」(ここではバイオントと呼ぶことにする)は簡単に単離できるのです。即ち、培養し、他の生命と別にすることができるのです。このように単離された状態で、ファージや巨大ウイルスは日常的に生化学的に分析されます。どの生化学的特性評価でも、ファージ/巨大ウイルスの核酸は常に全く同じ長さで、常に全く同じ組成であることが判明されています。

実際、何十年もの間、ファージは生化学研究において純粋な核酸(DNA)の唯一の供給源でした。電子顕微鏡で観察される細菌への取り込み及び細菌からの放出は、感染と解釈されました。何の根拠もなく、ファージは細菌を攻撃や破壊をし、核酸を押し付けることで、その結果、細菌が死滅すると主張されています。しかし、現実はまったく違います。 極めて近親交配的な細菌だけが、即ち、他の細菌や微生物と接触することなく増殖し続ける細菌だけが、変態の行為としてファージへと形態を変えるのです。この変態を、ファージによって細菌が死滅したと誤解しています。 しかし、環境から単離された細菌は、ファージに形態を変えることはなく、細菌に如何なる量のファージを適用しても細菌は死滅することはありません。よく引き合いに出される、抗生物質の代用品として、例えば痛みや症状を抑えるために用いられるファージ療法が、抗生物質のような毒の投与と同様に、決して意図した意味で機能しないのも、このためです。

ファージ及び巨大ウィルスの生物学と生命に関する細胞説の否定

私は藻類(Ectocarpus siliculosus:シオミドロ)から「巨大ウイルス」を単離したのですが、その藻類の場合、次のような状況あります:藻類の移動可能な部分、つまり配偶子や胞子は、移動のための鞭毛を用いて環境中の「巨大ウイルス」を探し、それを吸収しています。この過程において、成長した藻類は、「巨大ウイルス」の核酸を自らの染色体に組み込みます。このとき、「巨大ウイルス」を取り込んだ藻類は、取り込まない藻類よりも上手く成長することが確認されています。また、「巨大ウイルス」を取り込んだ藻類が取り込んでいない藻類よりも問題があるということも、これまで一度も確認されていません。より優れた特性を持つ、かつてない新しく注目すべき「巨大ウイルス」が次々発見されています。細菌や微生物、アメーバ、そして単細胞生物は「巨大ウイルス」から進化しており、生活環境が適さなくなると、それらの生物が再び巨大ウイルスに変化することを示す証拠が発見され続けています。

「巨大ウイルス」は、核酸によって、また核酸を中心に自然に生み出されます。これらの核酸は、触媒作用を発展させます。すなわち、自らエネルギーを放出し、核酸や他の分子、物質を合成することで、常に新しい性質や能力を生み出しています。DNAに変化したり、また元に戻ったりする、反応性の高い多様な核酸であるrNA(「rNAワールド」参照)も、生命の自己組織化の過程で、科学的に理解できる理由や原因なしに生まれています。私たちの目に見える生物学的生命は、明らかに水の中から物質化しています。ゲノムの大部分が「巨大ウイルス」の核酸で構成している細胞性微生物がどんどん発見されています。

極端に同系交配(近親相姦)された細菌培養によってのみ生じるファージや、自己を維持・増殖・代謝する巨大ウイルスの発見、そして巨大ウイルスで構成される新たな有機生物の発見によって、これまでに3つのことが証明されました:

  1. 生物は細胞の形でしか存在せず、細胞からしか生まれないという細胞説に固有の学説が否定されました。

  2. 生物学的生命が原始時代に一度だけ発生したという主張が否定されました。我々が客観的に、且つドグマや根拠のない理論にとらわれずに生命を見れば、生命は常に新しく、目の前に出現していることがわかります。水があるところならどこでも、私たちが知っているような生物学的生命が誕生することが証明されています。おそらく、その生物学的生命が私たちの地球と同じか似たような条件を作り出すこともできるでしょう。

  3. 「ファージ」や「巨大ウイルス」の核酸が他の生物に吸収されることを、感染や有害とみなす誤った解釈は否定されました。1952年以降に作られたこの誤った解釈が、人間の中に遺伝子ウイルスが存在し、その「危険な」核酸を伝達することによって病気を作り出し、死と破壊をもたらすと信じてられている理由となっています。今日まで、いかなるウイルスも、人間、動物、植物、またはそれらの体液から観察されたり、単離されたりしていません。今日まで、病気を引き起こすとされるウイルスの遺伝子鎖の長さと構成に相当する核酸は、1つでさえも単離されていません。この長さの核酸の単離、提示、組成の分析に関しては、最も基本的な標準技術がとっくに利用可能になっているのにも拘わらずです。

ノーベル賞とその悲惨な結末

単離された状態で、「ファージ」や「巨大ウイルス」(ビオント)を電子顕微鏡を使って素早く、且つ容易に大量に撮影することができます。これだけで、純度の高さが証明されます。しかし、病気を引き起こすと主張されるウイルスについては、単離や、特徴的な構造を撮影することが、未だに成功していません!科学的な研究の過程で、ビオントは、それが生み出された生物、つまりビオントを生み出す生物の中で、日常的に大量に目撃され、撮影されています。逆に、如何なる人間からも、その他の動物、植物、体液のいずれからも、電子顕微鏡を使って、いわゆる病原性ウイルスをうまく証明できた例は存在しません。なぜ、このような事例が存在しないのでしょうか。

ウイルスとされるものの電子写真は、他の情報源から常に得ることができる構造を示しているだけです。これらの構造は、単離されたり、生化学的に特徴づけられたりしたことがなく、そのことは科学論文から非常に簡単に検証することができます。 これらの撮影された構造が、次のような材料として使用されたことが一度もありません。採取された核酸の短い断片の材料としたり、そこからウイルス学者が理論的に長い核酸を構築するための材料としたり、ウイルスの遺伝的鎖として見せかけるための材料としたり、
そういった材料としたことがありません。

あらゆる種類の「ファージ」や「巨大ウイルス」から、まったく同じ長さ、まったく同じ組成の核酸を毎回入手することができます。しかし、病原性ウイルスの遺伝子鎖と主張されるものに対応する長さと組成を持つ核酸(DNAまたはrNA)を、構造物や体液から単離することは、これまで一度もできませんでした。

1951年から1954年12月10日までの間に起こったことを見ると、ウイルス学が完全に道を踏み外し、現実から完全にかけ離れた、危険で非科学的なアプローチに行き着いた経緯がわかります。1951年に医学的ウイルス学が対照実験によって終焉を迎えた後、1952年以降、ファージの構造が「ウイルス」をどのように表現するかを決めるモデルとなりました。「病気を引き起こすウイルス」という何処までも執拗なイデオロギーは、単に形を変えて継続されたのです:とある長さと組成を持つ核酸が、とあるタンパク質がある個数で構成されている皮膜で囲まれているとみなすのです。

しかし:ヒト/動物/植物における「病気を引き起こすウイルス」の電子顕微鏡画像がなく、単離された状態の画像もないため、生化学的特性評価や単離もできないまま、ウイルス学者は、「ウイルス性」疾患に感染したとされる組織からウイルスへと、独自の構成要素を組み立てることに従事し続けています。そして、
事実上存在するウイルスとして、これらの発明品をウイルス学者自身や大衆に示すということを続けています。

病気を引き起こすウイルスの存在を維持するウイルス学者が、自分たちの行動を正当化し、科学として成り立たせるために、一つの出版物を参照しています[訳者注:https://pubmedinfo.files.wordpress.com/2017/01/propagation-in-tissue-cultures-of-cytopathogenic-agents-from-patients-with-measles.pdf]。これは、気が遠くなるほど非科学的であると容易に認識できます。 1954年6月1日に発表された論文では、著者たちの観察が推測であり、これらの推測は将来的に検証が必要であると明確に記述されています。1954年12月10日、
この研究の筆頭著者であるジョン・フランクリン・エンダーズは、「ウイルスは危険なタンパク質の毒素である」という以前の学説(1951年に反論されている!)とは異なる推測でノーベル賞を受賞しました。
このノーベル賞は2つのことを達成しました:以前に反証済みである毒素ウイルス説に、疑似科学的な威光を与えました。そして、新たな遺伝子ウイルス学に、最高の、且つ仮定の範疇にある科学的な名誉を与えました。その結果、前述の麻疹の論文が検証されることはなかったのです。

1952年以降の新しい遺伝子ウイルス学には、2つの誤った基礎があります:すなわち、病気を引き起こすウイルスは原理的にファージのような構造を持つということ。そして、感染したと思われる試料を加えた後に試験管の中で細胞が死滅すると、ウイルスが発生するということです。エンダースと彼の同僚は、1954年6月1日に発表した論文で、感染したと思われる物質を加えた後、試験管内で死滅した細胞がウイルスに変化するという考え方を提案しました。

この死滅を、ウイルスの分離であると見せかけています --- 細胞から変化したものが何であれ、外から来たに違いないと考えられています。同時に、この死滅しつつある細胞の塊は、ワクチンとして使用されています。エンダースや彼の同僚、そして他の誰もが --- ノーベル賞に目がくらんで --- 実験室の細胞の死がウイルスによって引き起こされるのではないということを見落としていました。むしろ、実験室の細胞は、誰にも気づかれることなく、組織的かつ無意識に殺されているのです。つまり、彼らが殺しているのです!細胞は細胞毒性を持つ抗生物質によって殺されています。また、栄養液を削減して過度の飢餓状態にしたり、毒性のある代謝産物を放出する分解タンパク質を加えることで、細胞を殺すのです。このようにして実験室で死滅した細胞の成分が、今日まで理論的にウイルスの形態にまとめられ、現実に存在するものとして見せかけられています。病気を引き起こすウイルスの元となるウイルス学は、同様に単純です。エンダースも他のウイルス学者も、ウイルスが含まれない物質を細胞に「感染」させる対照実験を行ったことがありません。対照実験では、「ウイルス」物質と想定されている物質を接種した場合と、全く同じように細胞が死滅します。

病気を引き起こす全てのウイルスに関する簡潔で、明確な、分かりやすい反論

誤りや自己欺瞞は人間らしいものであり、理解できますし、許されることでもあります。 ただ、許しがたいことは、ウイルス学者が自分たちの言動が科学的であると主張し続けることです。これは明らかに誤りであり、容易に証明できますし、誰にでも理解できることです。したがって、コロナウイルスや病気を引き起こすその他のウイルスの存在を主張するウイルス学者は、「Anstellungsbetrüger(雇用詐欺師)」と呼ばれなければならないし、法の支配によって、彼らの虚偽や、反証、そして危険な発言を撤回するよう彼らは起訴されなければなりません。そうすることによって、致命的な結果をもたらすコロナ危機や、「AiDS」や「エボラ」、そしてその他の根拠のない「ウイルス性」パンデミックのようなウイルス性危機が起こされることを、将来において阻止し、防止することが可能であり、且つそうなるだけではなくて、すべての人を好機へと転じることにもできるし、そうなるでしょう。

科学的な声明と呼ばれるものの定義と、その結果生じる義務が明確に定義されています。要約すると:

 

A すべての科学的主張は、検証可能であり、平易であり、反証可能でなければなりません。


B 科学的主張は、論理的法則によって反論できない、及び適用可能な場合は対照実験によって反論できない場合にのみ、科学的と呼ぶことができます。

Cすべての科学者は、自分自身の発言をチェックし、疑問を持つ義務があります。


ウイルス学者たちは自分たちの発言を検証したことがないし、また、分かりやすい理由 --- 自分たちの行動や評判を自ら反証したいと思う人がいるだろうか、という理由から検証をしたがりません --- そこで、私達は7つの主張を行います。それぞれの主張は、それだけですべての病原性ウイルスの存在とウイルス学者(既存のファージや巨大ウイルスを扱う研究者は除く)の仕事を否定するのに十分なものです。以下の点において、「病原性ウイルス 」という表現の代わりに、「ウイルス 」という言葉を使用します。

1. アライメントの問題

ウイルス学者は、ウイルスの完全な遺伝子の鎖を単離したことが一度もありませんし、その全長を直接示したこともありません。彼らが使うのは、非常に短い核酸の断片だけで、その4つの分子の連続を決定し、それを配列と呼びます。このようにして決定された数百万個の非常に短い配列から、ウイルス学者は精巧な計算と統計的手法を用いて、架空の長い遺伝物質鎖を理論的に組み立てます。このプロセスをアライメントと呼んでいます。

この複雑なアライメントの結果、ウイルス学者は、架空の非常に長い遺伝物質の鎖がウイルスの存在を証明するものである、と宣言します。しかし、如何なる核酸の長さや組成を決定する標準的な技術は古くからあるにもかかわらず、現実や科学的文献においてそのような完全な鎖が示されたことがありません。対応する長い核酸を直接提示するのではなく、アラインメントプロセスを用いているということによって、ウイルス学者たちは自分たちの研究が誤りであることを証明しています。

2. アライメントに関する対照実験の欠如

ウイルス学者たちは、アライメントを実施し、その正しさを証明するために対照実験によって得られる非常に短い核酸を使用したことがありません。これを行うには、全く同じ細胞培養手順で短い核酸を単離する必要があります。いわゆる感染が、感染したと思われるサンプルの添加によるものではなく、ウイルスが含まれていない材料によるものである、ということが異なる点です。

このような論理的で、且つ義務である対照実験が、一度も実施されたことがなく、それによって証明されたこともありません。これだけで、ウイルス学者たちは自分たちの声明に科学的価値がないことを証明したことになり、科学的声明と装うことはできないのです。

3.  アライメントは理論的な構築によってのみ実施される

核酸の非常に短い配列を長いゲノムへと理論的/計算的に組み立てるために、ウイルス学者は、これらの短い配列をウイルスゲノムと思われる非常に長い鎖へと整列させるのに、参照配列を使用しています。このようなあらかじめ定義された非常に長い参照配列がなければ、ウイルス学者は理論的/計算的にウイルスゲノム鎖を作成することができません。


ウイルス学者たちは、理論的・計算的に構築されたゲノム鎖はウイルスに由来すると主張します。何故なら、アラインメントが、さらに別の、既に定義されているウイルスゲノム鎖によって行われているからです。この論理は、明白に且つ明確に否定されます。何故なら、すべての参照配列が、それ自体が理論的/計算的に専ら作り出されたものであり、ウイルスに由来するものではないからです。

4. ウイルスが人間や動物、植物そして体液の中では見られたことがない

ウイルス学者は、血液や唾液の中には感染力のある、つまり完全なウイルスが大量に存在すると主張しています。そのため、コロナ危機では、全員がマスクを着用することになっています。しかし、電子顕微鏡による画像が簡単で日常的に行われる標準技術となっているのに、唾液や血液、その他、人間/動物/植物の中や、それらの体液中で、ウイルスが撮影されたことが今までに一度もありません。

人間/動物/植物の中やそれらの体液中で見たことがないものを、科学的に証明された事実として装うべきではありません。

5. ウイルス学者がウイルスと偽る構造物の組成は、生化学的に特徴づけられたことがない

ウイルスとされるものの写真を作成するためには、2つの異なる手法があります。透過型電子顕微鏡(TEM)を使うためには、細胞培養物を樹脂に埋め込み、それを透かして見ることができるように薄くスライスする必要があります。この画像に写っている粒子は、単離されたことがありませんし、その組成も生化学的に決定されたこともありません。まず、ウイルスのタンパク質や長い遺伝子を特定する必要があります。このような事は行われておりませんし、遺伝子が埋め込まれた粒子の単離も行われていません。そして、その組成の生化学的特性評価も、どの出版物にも掲載されていません。以上のことから、このような画像がウイルスを構成しているという主張が否定されるのです。

ウイルスとされているものを撮影するために用いられる2つ目の方法は、単純で迅速な陰性染色電子顕微鏡法です。ファージや巨大ウイルスなど、純粋に存在する構造体を、他のすべての成分から分ける(単離)するために、密度勾配遠心分離と呼ばれる標準的な技術が使用されています。この粒子を金属含有物質でコーティングすることで、単離された構造体の存在、外観、純度が電子顕微鏡で見えるようになり、その下の構造体は電子ビームに影として映ります。 陰性染色によって可視化された単離されている粒子は、その後生化学的に特性評価されます。ファージや巨大ウイルスがこの方法で単離されると、完全で、常に同一の、非常に長い、同一構成の核酸が必ず見つかり、生化学的特性評価の結果が記述されることになります。

陰性染色によってウイルスを装っているすべての粒子の場合では、次のことが行われています。これらの粒子を濃縮したり、純粋化したり、単離したりする目的のために意図して密度勾配遠心分離を使用し、これらのことを実施したことがありません。代わりに、単純な遠心分離で遠心管の底に沈殿させ(ペレタイゼーション)、その後、電子顕微鏡で観察します。今日まで、ウイルスであると宣言されたこのような構造体の組成が、生化学的に決定されたことは一度もありません。電子顕微鏡でウイルスを装った構造物が記載されている出版物はすべて、簡単に確認・検証することができますし、ウイルス学者自身が --- 気づかないうちに --- ウイルスの存在に対する彼らの主張が単純かつ優雅に誤りであることを証明しています。

6.  ウイルスであると主張する電子顕微鏡写真は、典型的な人工物や細胞構造物である

ウイルスと主張される構造物の電子顕微鏡写真が多数公開されています。しかし、これらの写真はすべて、死滅しつつある細胞培養物や実験室で作られたタンパク質--脂肪--石鹸でできた小胞という典型的な構造であり、人間/動物/植物やそれらの体液でこういった構造が撮影されたことは一度もないという事実を隠しています。

また、ウイルス学以外の研究者からは、これらと同じ構造が、絨毛(アメーバ状の突起で細胞が基質に張り付いて移動する)や、エクソソーム、あるいはウイルスと想定される大きさの粒子(ウイルス様粒子と呼ばれる)などの典型的な細胞成分であると指摘されています。これにより、電子顕微鏡でウイルスが見えるという主張が科学的に否定されたことが、より独立した形で確認されました。

7. ウイルス学者の動物実験がウイルスの存在主張に反証する

ウイルス学者たちは、自分たちが扱う物質がウイルスであり、病気を引き起こす可能性があることを、真偽は別としてそれを証明するために動物実験を行っています。このような動物実験の実施について言及しているすべての出版物は、動物が扱われる方法が、ウイルスの影響であると主張される症状を正確に作り出すことを明確に示しています。これらの出版物の一つ一つを見れば、動物がウイルスが含まれていない材料を用いて同条件で動物実験を行うという、対照実験が行われなかったことは明らかです。

この現実でもって、動物実験でウイルスの存在と効果を立証したと主張するウイルス学者は反論されるのです。

結語

コロナ危機を終わらせ、これをすべての人に対する好機に変えるためには、コロナ危機に関する明確で、平易であり、且つ検証可能なウイルス学への反論を公にしなければなりませんし、インパクトのあるものにしなければなりません。これらの反論を強力なものにする一つの方法は、法廷でウイルス学者に対して適切な法的手続きを用い、その結果を公表することです。報告可能な結果が得られたら、Wissenschafft-Plusのニュースレターでお知らせします。

如何なる病気を引き起こすウイルスに関するこれらの記述を確認しようとする人は誰でも、英語に堪能でこの分野の手法に精通していれば、まったく同じ結論に達することを保証いたします。当分の間、コロナ危機が続く限り、私と同僚は、いわゆるコロナウイルスと麻疹ウイルスに関する質問にのみ回答します。コロナ時代の他のすべての「ウイルス」に関する質問は、2003年から雑誌『WissenschafftPlus』に掲載されているこの件に関する記事を参照してください。

法的措置を取ることを検討されている方は、ドイツの最高裁判所で支持された麻疹ウイルス裁判の判決が、
ウイルス学という分野全体の根拠をなくしてしまったことを心に留めておいてください。前回説明したように、実験室で意図せず不注意に細胞を死滅させてしまったことが、いわゆる病気を引き起こすウイルスの存在を証明するものとして発表されました[訳者注、https://pubmedinfo.files.wordpress.com/2017/01/propagation-in-tissue-cultures-of-cytopathogenic-agents-from-patients-with-measles.pdf]。 ウイルス学の中心的な手法の論文(1954年[訳者注、前回のリンク先の論文])は、2016年現在、もはやウイルスの存在の証明にはならないということが、こうしてドイツの法学の一部となっています!

コロナ危機は、麻疹ウイルス裁判の判決だけで、今日の生物学、医学、社会、国家を支配する善・悪の考え方から流れを変えることができる、という可能性を高めました。 上に挙げた7つの主張を適用すれば、世界的なコロナヒステリーの予想される勢いと、それを支える検査手続きとワクチンによる利益供与を終わらせることが十分可能です。麻疹ウイルス裁判と一般的なことに関しては、電報チャンネルCorona_Faktenを参照して頂きたいです。 そこには、麻疹ウイルス裁判の意義に関する優れた要約と、その他多くの非常に役立つ文章が掲載されています。

コロナ危機がすべての人にとってのチャンスになるという私の確信は、感染症予防法(Infection Prevention Act)、ifSgと略されますが、この法律の§1に基づいています。ifSgの§1「法の目的」の条文(2)では次のように謳われています:「連邦、州、地方当局、医師、獣医師、病院、科学機関、その他の関係者の必要な協力と連携は、医学・疫学の科学技術におけるそれぞれの最新状況に応じて組織され、支援されるものとする。
感染症予防における地域施設、食品施設、医療施設、個人の提供者及び管理者の個人的責任が明確にされ、促進されるものとする。」

コロナのすべての対策や条例、現在ではコロナの法律も、専ら、感染症予防法(IfSg)に基づいています。
しかし、IfSgの§1にある義務規定「医学的・疫学的な科学技術のそれぞれの状態に合わせて設計・支援されなければならない」という規定は、ウイルス学者自身の発表した声明によって反論されてきましたし、反科学的であることが証明されてきました。そのため、すべてのコロナ対策、条例、法律は適用する法的根拠を欠いています。

コミュニティ施設、食品施設、医療施設の機関および管理者のうち、§1、条文(2)で取り上げられた者も、また市民も、ウイルス学者が病気を引き起こすウイルスの存在について、自らの行動や出版物を通じて自ら反証しているように、これらに科学的根拠がないことを認識し証明できる者の中に、コロナ対策や規制を実施し許容できる者は誰一人いません。

ifSgの§1における科学性の義務が維持される限り、ifSgの§1を参照して、すべてのコロナの対策、条例、法律の非妥当性、無法性、有害性、不道徳性の証拠を裁判所に首尾よく提出することが可能です。ドイツの裁判官の大半は、法律に従った正直で良心的な人たちです。もしそうでなければ、この国では長期的に、公然たる独裁政権が存在することになるでしょう。ウイルス学や医学の分野からの似非科学的で反証されてもいる議論を用いて、独裁化がますます目に見えて確立されていくことになるでしょう。

以下のことを念頭に置いて行動してください:国民の大多数は、病気を引き起こすウイルスやワクチンの有効性を信じています。極端に言えば:がんが悪性腫瘍の結果である、という間違った概念を信じている人は、ウイルスとしても知られている「空飛ぶ腫瘍転移」も信じているのかもしれません。がんの診断とその厳しい治療による悪影響は、ほとんどすべての人間が直接的、間接的に経験しており、根深く影響を及ぼしています。

直接的、間接的に体験した苦しみが、危険で死に至る病気やウイルスが存在する、という大衆の認識を生み、強めていることを、説明や活動の中で考慮してください。 また、そのような体験から、病気に対処できるのは国家やその専門家だけであるという考え方が生まれることも留意してください。人々の認識を考慮することで、自分が達成しようとしていることと反対の結果を引き起こすことを避けることができます。特に、我々が必要としている医師と接するときには、このことが重要です。

例えば私は、病気や治癒に至るプロセスを(良い意味で)科学的に説明できる、より良い知識の体系があることを、尋ねる人すべてに説明しています。さらに、治癒の危機はこのプロセスの一部であり、治癒の障害も起こりうるということも伝えています。 しかし、この新しい考え方を受け入れるためには、細胞理論に基づくこれまでの説明体系が否定されていると認識されることが前提条件となります。コロナ危機は、生命や、自由、平等、友愛という人類普遍の3つの理想、すなわち人間社会の社会的三重構造のために立ち上がるための、またとない機会であり、明確な呼びかけであります。(本号w+ 4/2020号「Die soziale Dreigliederung」の記事を参照)。


この記事は、「Corona - Weiter ins Chaos oder Chance für Alle?」に転載しています。「Corona - Further into Chaos or opportunity for All?」本号w+、46ページの書評をご覧ください。


この記事の出典は以下の通りです:

The Virus Misconception part 1」(「ウイルスの誤解パート1」), 雑誌『WissenschafftPlus』No.1/2020.

The Virus Misconception part2」(「ウイルスの誤解パート2」), 雑誌『WissenschafftPlus』No.2/2020.

The Virus Misconception part 3」(「ウイルスの誤解パート3」),雑誌『WissenschafftPlus』No.3/2020.

この記事と記事 「Entwicklung von Medizin und Menschheit - wie geht es weiter?」(「Development of medicine and humanity - where do we go from here?」「医学と人類の発展 -- ここからどこへ行くのか?」),雑誌『WissenschafftPlus』No.6/2015については、インターネット上のwww. wissenschafftplus.de の「Wichtige texte」(「重要テキスト」)で無料で見ることができます。

 「Einführung in eine neue Sichtweise auf das Leben」(「Introduction to a new way of looking at life」
「新しい生命の見方序論」)パート1~3は、雑誌『WissenschafftPlus』No.1,2,3/2019に掲載されています。

Wasser begreifen, Leben erkennen. Pi-Wasser:  Mehr  als nur  energetisiertes  H2O」(「Understanding  water,  recognising life. Pi-Water: More than just energised H2O」「水を理解し、生命を認識する。πウォーター: エネルギーに満ちたH2O以上のもの」),雑誌『WissenschafftPlus』No.6/2018.この記事は、弊社ウェブサイトwww.wissenschafftplus.deの「Wichtige texte」(「重要なテキスト」)という見出しで自由に閲覧できます。