第4章 感染症法

1 公衆衛生法

令和6年1月14日公開

米国でポリオが大流行していたころ、かつて感染症と考えられていなかったポリオがある時から感染症とみなされるようになり病原体の特定が盛んに行われるようになった。それに対してポリオの大流行の背景には農薬散布があるとして、病原体が原因とする国の方針に疑問を持つようになった医師がいた。ニューヨークで小児科を専門とするスコビー医師である。

病原体以外に原因を求めることは違法である

彼は、ポリオの原因を病原体以外に考えようとしない国の方針の原因に公衆衛生法の制定にあると指摘していた。彼は論文「ポリオの謎は公衆衛生法の責任か?(原題:Is The Public Health Law Responsible For The Poliomyelitis Mystery?)」で次のように述べている。

この往復書簡が掲載された論文「The Infantile Paralysis Muddle(幼児麻痺の泥沼)」の中で、スウェイジは、ポリオ性脊髄炎は単なる太陽熱衰弱であるという証拠を提示している。この概念[18]は、この病気のある症例を説明するために、その前にも後にも考えられていた。小児麻痺は伝染病ではないというスウェイジーの主張から学ぶべき教訓は、小児麻痺が伝染病でなくても法律によれば伝染病であり、そうでないと考えることは違法であるということである。法律は、それに反する臨床所見も考慮しなければならない。ポリオ性脊髄炎は、その原因について確立された事実がなく、理論が公衆衛生法に組み込まれた、医学史上唯一の病気であるという点で比類ない疾病である。

このように、ある疾病が感染症や伝染病ではなくても、法律に規定されてしまうと、原因を病原体以外に考えることが法に反してしまうこという問題が起こる。実際は、罰則規定がない限り、病原体以外に原因を探ることに法的な制限を受けることはない。がしかし、実質病原体以外に原因を探る研究ができなくなったとスコビー医師は指摘している。

1905年から1911年にかけての医学史上のこの時期を境に、ポリオ性骨髄炎はやがて世界中で報告義務のある伝染病となっただけでなく、法律上も感染性伝染病となった。ポリオ性骨髄炎の報告義務が公衆衛生上の措置として特定の地域で採用された時点から、報告が普遍化された現在に至るまで、ポリオ性骨髄炎が感染性伝染病であるという含意が公衆衛生法に盛り込まれている。もし、ポリオ性脊髄炎が報告義務のある病気であるだけで、その病因に関する示唆が法律に含まれていなかったとしたら、この半世紀の間に間違いなく無制限の研究が行われ、ポリオ性脊髄炎にまつわる謎は解明されていただろう。

(中略)

この病気が法的に伝染病とされたとき、無制限のポリオ研究は突然中止された。しかし、公衆衛生法によってポリオ性脊髄炎が病原菌やウイルスによる病気とされる以前から、この問題の解決に向けて確実な進展があった。たとえば、毒性学者や細菌学者によって、ポリオ性脊髄炎は有機・無機毒物や細菌毒素によって発症することが報告されていた。この病気と脚気との関係も検討されていた。しかし、細菌やウイルスがこの問題に対する完全かつ最終的な答えであると考えられるようになると、こうした研究は援助を断たれた。ポリオ研究への資金は、それ以降、感染説の研究のみにあてられるようになった。

多角的に病原体以外に原因を求めるような研究に対する支援が行われなくなるため、研究を継続することができなくなったのである。そのため、病原体を原因とする研究しか行われなくなるのである。

このようにして法律が科学に縛りを与えるのである。つまり、法が科学を支配しているということである。

病原体説で有意な成果は得られていない

では、病原体に原因を求める研究にどれだけの成果があったのか、スコビー医師は次のように述べている。

ポリオ性脊髄炎は法的には伝染病であり、病原菌やウイルスによって引き起こされることを意味するが、公衆衛生法のこの必須要件を証明する試みはことごとく失敗に終わっている。私たちが考慮しなければならない明白な真実は、この時期尚早に制定された公衆衛生法によって、ポリオ性脊髄炎研究の進歩が妨げられてきたということである。ホイン[21](1951)は最近、ポリオが報告義務のある伝染病とされて以来、ポリオについて蓄積された知識を次のようにまとめている:「研究者たちの集中的な研究にもかかわらず、過去40年間、ポリオ性骨髄炎に関する知識に実用的価値のある情報はほとんど加えられていない。」

結局、病原体に原因を求めても、何も成果は得られなかったのである。それは当然である。病原体など存在しないし、それが原因であるはずもないのだから。

流行しているから感染症である

ポリオの原因が病原体であるという科学的な根拠が法に規定されてからも示すことができないということは、法に規定される以前も根拠は示されていなかったということである。それならば、どんな理屈で法に規定したのだろうか。スコビー医師は次のように述べている。

キャバリー[9]の報告によれば、1894年にバーモント州でポリオが大流行したが、1907年にニューヨーク州とマサチューセッツ州で流行するまで、この病気の大発生が広く注目されることはなかった。キャバリーはその13年前にこう力説していた:「この伝染病流行には、病原性の要因としての伝染病は一般的に存在しなかった。伝染病の要素も病因には含まれていない。一家に一人以上発症した例は一例しかなく、通常は複数の子供がいる家庭で発症し、隔離する努力もなされなかったことから、非伝染性であることは確実であった。」しかし、1907年以降、ニューヨーク市とマサチューセッツ州の保健局は、ポリオ性脊髄炎が感染性伝染病であることを示すためにあらゆる努力を払った。当時の一般的な態度は、サックス[10]が言うように、「一般に、どのような病気であれ、その感染症の流行が発生していることが、その病気の感染性または伝染性を証明するのに十分である。」医学史のほぼ同時期に、ペラグラの感染性や伝染性が疑われたのは、ペラグラが流行によって発生したからであり、この伝染概念を証明する説得力のある証拠が、この問題を研究するために任命されたトンプソン-マクファデン委員会、イリノイ委員会、テキサス委員会によって提示されたことは重要である。ハリス[11]は、この病気がウイルスによって引き起こされることを「証明」し、タッカー[12]は臨床的、病理学的研究からペラグラはウイルスによる疾病であると結論づけた。もちろん、当時はペラグラがビタミン欠乏症であり、大流行する可能性があることは知られていなかった。

1907年、ポリオが特殊な感染症であるという主張は、主にポリオが流行していたという事実から生まれた。いわゆるポリオウイルスの発見はまだ発表されていなかった。他の病名で呼ばれるポリオの流行は以前にもあった。マニング[13](1911年)は次のように述べている:「前世紀にポリオの流行性が認識されるのが遅れたため、ポリオの歴史や疫学は非常に限られたものでしかなかった。」

感染症が感染症たる所以は病原体の存在ではなく、「流行しているから」に過ぎないのである。それは今の感染症にも言えることである。存在しない病原体を発見する技術など、過去も現在も存在しないのは勿論だが、未来永劫開発されることもない。

根拠のない合意形成は科学ではない

デュースバーグ氏は次のように述べている。

注)1996年、デュースバーグは「AIDSは政府の記者会見でその原因が宣言された最初の病気である。」、また「AIDSは、科学が合意へと堕落した時代における、合意の最初の病気である。」と書いている(エイズウイルスの発明)。

科学的根拠もなく法律に規定されるということは、最早それは科学とは呼べない。特にウイルス学は何一つ根拠がなく、法律の威を借りて出鱈目を続ける狐のようである。

拙速な法規定は無駄に迷宮入りへと誘導する

ポリオ流行の原因は農薬散布にあることが誠実な研究者たちによって明らかにされてきたが、日本ではそれを知る者はごく一部に限られている。公衆衛生法では、今では感染症とは認識されていない疾患でも感染症に規定されていた。例えば、脚気である。脚気が今も公衆衛生法で感染症と規定されていたら、おそらく日本でも脚気は感染症であると認識されていただろうし、その原因がビタミン不足であると知る者はごく一部に限られていただろう。スコビー博士はこの件に関して次のように述べている。

古典的な食欠乏症である脚気やペラグラ、さらには日射病は、ある時期から伝染病とみなされてきた。もし、これらの病気のいずれか、あるいはすべてが、法律で報告義務のある伝染病とされていたとしたら、今日、その病気は法律上、病原体による病気とされ、病原体の探索がまだ行われていたかもしれないことは明らかである。もし脚気やペラグラが報告義務のある伝染病になっていたら、これらの病気の病因となる感染因子の探索が行われる中で、ファンクやその後の研究者たちによるビタミンに関する画期的な研究は、無視されていたかもしれない。医学の進歩は著しく遅れたであろう。

繰り返すようだが法に規定されてしまうと、病原体以外に原因を求めることができなくなる。脚気が今も感染症に規定されていたら、ビタミンを補うこともせず、脚気治療薬かワクチンで感染を防ごうという話になっていたかもしれない。そしてビタミン不足のまま脚気は治らず、最悪の場合、命を落とすようなことも成り兼ねないし、そうなった場合は危険な感染症のレッテルが貼られ、日々脚気感染拡大防止の感染対策を行っていたかもしれない。

ポリオを感染症にしたのはロックフェラー財団

米国のフリーのジャーナリストであるF.ウィリアム・エングダールは自身のサイトで『毒性学対ウイルス学:ロックフェラー研究所と犯罪的ポリオ詐欺 (原題:Toxicology vs Virology: Rockefeller Institute and the Criminal Polio Fraud)』というタイトルの記事を書き、その中で次のように書いている。

サイモン・フレクスナーと大きな影響力を持つロックフェラー研究所は1911年、ポリオ性脊髄炎と呼ばれていた症状を「空気感染ウイルスによる伝染性感染症」としてアメリカの公衆衛生法に記載させることに成功した。しかし、彼らでさえ、この病気がどのようにして人体に侵入するのかを証明していないことを認めている。ある経験豊かな医師が1911年の医学雑誌で指摘しているように、「伝染の可能な方法に関する我々の現在の知識は、ほとんどすべてこの街のロックフェラー研究所での研究に基づいている」のである。

このような記述に触れると、感染症は科学の一領域ではなくて、政治であると思わされる。ある力によって、存在しない病原体による感染症が法律に規定され、法律上でその病原体が存在するとされる。しかし、病原体が存在するという科学的根拠は、ウイルス学者がする「分離」や「ゲノム決定」のような存在証明をすれば循環論法になってしまう不完全なものしかないのである。しかし、法に規定されると、それですら正しいとされるのである。

まとめ

公衆衛生法の問題を指摘したスコビー博士の論文を紹介した。法に規定されることで、多角的な原因究明ができなくなり、本当の原因に基づく正しい治療を阻害する。ウイルス学と法律はお互いに補完しあい、ウイルス学は法を後ろ盾に自分たちの主張は正しいとし、法はウイルス学の詐欺研究を根拠に法は適切であると主張する。今回は米国の例であったが、次回以降は日本の感染症法についてお話しする。

前の議論へ
第4章 感染症法
次の議論へ
2 感染症法第6条