第二審

控訴理由書

事件番号 令和 6 年(行ヌ)第 1 号
控訴提起事件
控訴人  有馬ジキ
被控訴人 山形県 他 1 名

控訴理由書

令和 6 年 2 月 22 日

仙台高等裁判所 民事部 御中

当事者の表示

(住所)  〒999-9999 山形県仮想市我々留守9丁目茶番地Q号

(控訴人) 有馬 ジキ

 

(住所)  〒 990–8570 山形県山形市松波二丁目 8–1

(被控訴人)山形県

(知事)  吉村 美栄子

 

(住所)  〒 990–8570 山形県山形市松波二丁目 8–1

(被控訴人)山形県教育委員会

(教育長) 髙橋 広樹

頭書の事件について、控訴人は、次の通り控訴理由を提出する。

第1 控訴の理由

1 第 2 事案の概要の 1

 原審判決文〔2 頁〕に、「感染症対策としてマスク着用を命じられ、これに応じなかった原告がクラス担任から外されたこと」とあるが、事実誤認である。

 事実は、訴状第 2.4 訴訟までの経緯の (1) 乃至 (16)〔4 乃至 6 頁〕に記したように、経緯は以下の通りである。

(1) 令和 3 年 8 月 19 日に控訴人が●●●●教頭(以下「教頭」という。)に呼び出され面談が行われた。その面談において控訴人は、過剰な感染症対策が児童生徒の学習機会を奪っていたり(甲 30)、健康被害 ¹⁾ や死亡事故²⁾ が起きていたりして、それまでに繰り返し控訴人が所属する県立米沢養護学校(以下「本件学校」という。)に問題提起をしていたが、無視され続けてきたので、マスクをはじめとする感染対策の無意味さ³⁾ や害が広く知られることを期待してマスク着用の拒否を表明した。それを受けて教頭は、同年同月 23 日の午前8:00 に校長室に来るよう控訴人に指示した。

(2) 教頭の指示通り控訴人が校長室に出向くと、●●●●前校長(以下「前校長」という。)はマスク着用は職務命令であると述べた。同日午後の校長面談において前校長からマスクを着用すれば授業に参加できると言われたので(甲24)、控訴人は命令に従うことにし翌々日から授業に参加している⁴⁾ 。

(3) 令和 4 年 2 月 22 日に化学物質過敏症の診断書(甲 3)と共に、マスク着用免除申請書(甲 2)を学校に提出し、同年 3 月 8 日にその申請が認められた(甲4)。その際、教頭からマスク着用の代替案としてネックウォーマーが提示され(甲 4)、控訴人はその指示に従っていた。

(4) 令和 4 年 4 月 1 日に●●●●現校長(以下「現校長」という。)が本件学校に着任した。現校長は、マスクを着用できない者から他の職員や児童生徒の命を守るためという理由で、前校長が認めていた代替手段で対応していて特に問題が起きたわけでもなく、その代替手段に何の問題があるのかについても説明することもなく、健康で無症状の控訴人に対して不意打ちのように、クラス担任を外し別室勤務を控訴人に命じた(以下「本件命課」という。)(甲 1)。

(5) 令和 5 年 1 月 11 日の面談で控訴人の「あなたが協力依頼に応じないから、この仕事を命課します、となぜ言わなかったんですか?」という問いに対して、現校長は「その時は、そうでなかったもんね。」と回答した(甲 10)。

(6) 同面談において、控訴人に協力に応じないなどの非があるのかという問いに、現校長は「いや、非はないよ。別に。」と回答している(甲 10)。

 以上より、控訴人は前校長の職務命令に従っており、正当な理由及び手続きで以てマスク着用の免除が認められ、且つ教頭の指示である代替案で対応していた。したがって、「応じなかった」という事実はないし、現校長も控訴人に非がないことを認めている。

 また、本件命課の理由は、控訴人が文部科学省(以下「文科省」という。)発出の衛生管理マニュアル(乙 7)や令和 3 年 7 月 5 日付け被控訴人山形県教育委員会(以下「被控訴県教委」という。)発出の通知(以下「県教委通知」という。)(乙 3)に沿った協力依頼に「応じなかった」からではない。

 本件命課の理由は「命を守るため」であり、前校長が認めていた代替手段で控訴人が応じていて特に問題が発生していたわけでもないにもかかわらず、前校長から現校長に変わった途端、代替手段の問題点を指摘することも何の説明をすることもなく、控訴人に対してクラス担任を外すなど、より多くの感染症対策を命
じたのである。この方針変更は控訴人にとって予測可能性がなく不意打ちであり、現校長の一方的な命課に対して控訴人は妥協点を探ることもできず多大な不利益を被った。


脚注

1) 薬機法で認められている手指除菌用アルコールは、医療用医薬品、一般用医薬品、指定医薬部外品に分けられるが、安価で手に入りやすい指定医薬部外品を児童生徒に使用する学校も見られる。医薬品は本人もしくは保護者の承諾なしに使用することはできないが、強制的に使用する学校も見られる。除菌に用いられる薬剤は生物に対して毒性を有しており、強く反応が出る児童生徒が上記のような無知の学校教師によって被害を被っている。

 運動会や体育祭でマスクを着用して参加した児童生徒が、熱中症で救急搬送された事例が多発
した。

 ワクチン接種後に甚大な健康被害を受けた児童生徒が多数存在する。

2) 令和 3 年 2 月、高槻市の小学校で、5 年生の男子児童(11)がマスクを着用して体育の授業に参加している途中、倒れて死亡した。
 令和 2 年 6 月 8 日、静岡県東富士演習場で第 32 普通科連隊に所属する男性陸曹長(45)が、マスクを着用して徒歩行進訓練に参加した後、倒れて死亡した。
 令和 5 年 7 月 28 日、米沢市立第●中学校の女子生徒(13)が部活動の帰宅途中、マスク着用のまま倒れ死亡した。
 ワクチン接種後に死亡した児童生徒が多数存在する。

3) 感染対策を徹底しても検査陽性者がワクチン接種開始後に爆発的に増加した結果を見て、感染対策と期待される検査陽性者の減少に相関すら何もないことに気付くことに、高度な知識や思考力は必要ない。判断を誤る理由は責任を権威に委ねる他責思考である。

4) 翌日は個人的な理由で年休を取った。


2 第 2.4.(2) 争点 3(本件命課の違法性)のア

 原審判決文〔5 頁〕に、「本件学校の校長は、本件命課の以前から、新型コロナの感染対策を理由に、原告に対してマスクの着用を強要し続けたうえ」とあるが、事実誤認である。

 事実は、前述の第 1.1.(2)〔3 頁〕の通りマスク着用を職務命令によって強要したのは前校長であり現校長ではない。現校長が控訴人に対してマスク着用を強要した事実はない。

3 第 3.3.(1) 認定事実(後掲証拠等により認められる事実)のイ

 原審判決文〔10 頁〕に、「上記通知を受け、本件学校でも、上記通知に基づく感染症対策が取られるようになったが、原告は少なくともこの頃には学校内で常時マスク着用をすることを拒否するようになっていた。」とあるが事実誤認である。

 事実は、前述の第 1.1.(1)〔3 頁〕の通り令和 3 年 7 月 5 日付け県教委通知以降、同年 8 月 19 日に初めて教頭に対してマスク着用の拒否を表明したのであって、それ以外で拒否した事実はない。

4 第 3.3.(1) 認定事実(後掲証拠等により認められる事実)のイ

 原審判決文〔10 頁〕に、「教頭は、原告がワクチン接種状況の調査にも無記入で回答したため、令和 3 年 8 月 19 日、原告と面談をした。」とあるが事実誤認である。

 被控訴県教委作成の文字起こし(甲 24)には「無記入で回答したため」と書かれているが、事実は、令和 3 年 8 月 19 日に控訴人が教頭に送信したメールでワクチン接種状況の調査に回答するとともに、マスク着用を拒否する旨を書いたために、同日に教頭が控訴人を呼び出し面談を行ったのである。

5 第 3.3.(1) 認定事実(後掲証拠等により認められる事実)のエ

 原審判決文〔11 頁〕に、「令和 4 年 3 月 14 日、原告に対して、高畠町立高畠中学校への異動内示が出された。これに対し、原告は手続きに不備があるとして異議を唱えたところ、同月末日、異動内示は取消となった。」とあるが事実誤認である。

 事実は、訴状第 2.4.(12) 乃至(13)〔6 頁〕に記したように、令和 4 年 3 月 24日に京都の南出喜久治弁護士に本人の承諾を得ない校種変更の異動は違法であり、控訴人が承諾したという文書が被控訴県教委によって作成された可能性があると教えられたので、同年同月 25 日に控訴人が被控訴県教委に対して、控訴人が異動を承諾したという文書が存在するのか確認しただけである。異議を申し立てた事実はない。

6 第 3.3.(2) 判断のイ、第 2 段落

 原審判決文〔13 頁〕に、「翌年 2 月以降は、化学物質過敏症等と記載された診断書を得て、マスク類の着用を一切拒否するようになったことを受け」とあるが事実誤認である。

 事実は、前述の第 1.1.(3)〔3 頁〕の通り控訴人のマスク着用免除申請が受理されて、控訴人は教頭の代替案を受け入れて指示に従っていたのである。控訴人には、衛生管理マニュアルや県教委通知通りに感染症対策を行えない正当な理由があり、正当な手続きによって本件学校から免除が認められ、同学校が提示した代替案に従っていたのである。原告が一切拒否していたという事実はない。

7 第 3.3.(2) 判断のイ、第 4 段落

 原審判決文〔13 頁〕に、「校長によるマスク着用の職務命令に応じない原告」とあるが事実誤認である。

 事実は、繰り返しになるが、現校長がマスク着用の職務命令をした事実はないし、控訴人は前校長のマスク着用の職務命令に従っていたのであり、且つ令和4 年 3 月 8 日以降は前校長が認めていた代替案に従っていた。前述の第 1.1.(2)〔3 頁〕の通り、控訴人が前校長によるマスク着用の職務命令に応じなかった事実はない。且つ、前述の第 1.1.(6)〔3 頁〕の通り、現校長は控訴人が協力に応じていない事実がないことを認めている。

8 第 3.3.(2) 判断のイ、第 6 段落

 原審判決文〔14 頁〕に、「感染防止対策を完全に拒否していた原告」とあるが事実誤認である。

 事実は、これまで繰り返し述べてきた通り控訴人が感染防止対策を完全に拒否していた事実はない。

9 第 3.3.(2) 判断のイ、第 6 段落

 原審判決文〔14 頁〕に、「必要性がある措置であった」とあるが事実誤認である。

 事実は次の通りである。

(1) 令和 4 年 10 月 19 日の面談において、控訴人の「でも、そうしたら(マスクをしないで)話をしたら感染が広がるんですよっていうことを言わないといけなくなる。」という指摘に、現校長は「そんなことまだ分かんないしな。」と回答しており(甲 9)、現校長はマスク着用によって感染防止になることの真偽は不明であることを認識している。

(2) 被控訴県教委が発出した通知(乙 3)の 5 教職員の対応〔9 頁〕には、「職員室においても身体的距離の確保に努め、必要に応じて別室で業務を行う等の対応を取ること。」(太字は控訴人による。)とあるが、繰り返し述べているように前校長が認めていた代替手段で対応していて感染拡大等の問題が何も起きていなかったのだから、代替手段に問題があり控訴人を別室勤務させる必要があると現校長が判断する理由がない。

(3) 前述の第 1.1.(5)〔3 頁〕の通り、令和 5 年 1 月 11 日の面談で、本件命課の理由が協力依頼に応じないからではないことが明らかにされている。

(4) 同日の面談で、控訴人の「感染症予防は医療です⁵⁾ 。医療であるから、十分な説明が必要です。で、本人の承諾が必要なんです。 それは理解していますか?」(太字は控訴人による。)という問いに、現校長は「今、言ったことは分かる。」と返答しており(甲 10)、現校長は感染症対策は医療であり、本人の承諾が必要であることを理解している。

(5) 同様に、控訴人の「よりもっと多くの感染症対策を求めるのであれば、今の状態がこういう問題があるっていうことを説明しなければならないし、私の承諾を得なければならないんですよ。それを怠ったわけでしょ?」という指摘に、現校長は反論できなかった(甲 10)。つまり、前校長が認めていた代替手段の問題点を、現校長は指摘することができない。

(6) 同日の別の面談において、控訴人の「それを理由に仕事外しもできない。」という指摘に、現校長は「うん。」と答えており(甲 11)、マスク着用が困難であることを理由に仕事外しができないことを認めている。

 以上より、現校長はマスク着用が感染防止になることの真偽は不明であることを認識し、前校長が認めていた代替手段の問題点を指摘できず、感染症予防は医療であることも理解し、マスク着用困難を理由に仕事外しができないことも認めていることから、健康で無症状の控訴人が前校長の認める代替手段に従っていて、それで感染拡大などの問題が発生していなかったにもかかわらず、より多くの感染症対策を命課する必要性があったと主張するのは極めて無理がある。

 問題は、前校長から現校長に校長が交代することで突然方針が変更されたことである。その方針変更において現校長は代替手段の問題点を命課してから 10 カ月過ぎても説明できないように、現校長が熟慮の上で命課したわけではないことは明らかである。要するに、本件命課は恣意的であって、合理性や正当性を主張できる命令とは言えない。繰り返すようだが、この方針変更は控訴人にとって予測可能性がなく、妥協点を探る機会すら与えられない一方的な命課であることは明らかであり、控訴人にとって不利益でしかない。前校長が認めていた代替手段の問題点を現校長が説明できない方針転換が、必要性のある措置であったと主張するのは極めて無理がある。


脚注

5) 今回の感染症騒動においては、騒動開始時から感染症対策は任意であったにもかかわらず、通知を根拠に徹底することが強調されたが、感染症予防が医療であることの側面が等閑にされたために、健康被害や死亡事故が起きた。本人の意に反する医療を強いることができないことが徹底されていれば、避けられた被害である。


10 第 3.3.(2) 判断のイ、第 7 段落

 原審判決文〔14 頁〕に、「マスク等の感染防止効果を否定し、マニュアルや学校運営方法が定める感染防止対策に従わない意向を示していた原告の業務場所を職員室と別の部屋に指定したことは、職員室での感染防止対策として必要かつ相当なものであったというべきである。」 とあるが、これは問題発言である。

 何故ならば、国や県及び学校の方針の問題点を指摘し、異議を唱えることは、憲法第 19 条及び第 21 条で保障された国民の権利であるからである⁶⁾。また、訴状第 2.6.(1)〔36 頁〕で指摘した通り、控訴人の信条を理由に本件命課が正当性を帯びるのであれば、地方公務員法第 13 条に抵触する。同様に、訴状第 2.6.(5)〔38 頁〕で指摘した通り、労働基準法第 3 条に抵触する。

 繰り返しになるが、控訴人は前校長のマスク着用の職務命令に従ってきた。例え、衛生管理マニュアルや学校運営方法と異なる感染防止対策を取っていたとしても、それは正当な理由により、正当な手続きで前校長に認められていた代替案に従っていたのである。確かに、国や県及び学校の方針の問題点を指摘していたが、それは事実や科学的知見に基づく見解⁷⁾ であって、且つ、それは法で認められる範囲内の事項である。一方、指摘はしていたが、控訴人は前校長の職務命令や教頭の代替案の指示に従っていたのである。更に、協力依頼に応じないことが本件命課の理由ではない。


脚注

6) 今回の感染症騒動では、国の方針に反する見解や批判に対する言論弾圧があらゆる場面で起きた。批判を認める科学的な視点でまともな議論が行われていれば、感染症騒動は起きなかったし感染症対策による被害もなかった。

7) 逆に感染対策を推進する側は、専門家の見解を鵜呑みにするだけで、我々の指摘に対して何ら反証することができない。そもそも危険な感染症が蔓延しているという説は、法に護られている科学とは無縁の説であるから、科学的な批判に耐えられるほどの蓋然性を持ち合わせていないのである。


11 第 3.3.(2) 判断のイ、第 7 段落

 原審判決文〔14 頁〕に、「原告が命じられた業務の内容は、別紙のとおりであり、教員が行う業務に関するものといえる」 とあるが、事実誤認である。

 事実は、令和 4 年 7 月 1 日に別室勤務が解かれ、職員室勤務に変更されて以降、教頭の監視下で業務を行わなければならなくなり、業務内容も教頭の業務の下請けを行うようになった。つまり、教頭が行うべき業務を依頼されるようになった。乙第 5 号証で挙げられた業務の中で、例えば、校内及び校外巡視は教頭の責任で行われる業務である。しかし、警備員に指摘される巡視の不備に対して、控訴人の見落としではなく、教室管理担当教員の見落としでも、控訴人の責任であるとして警備員の巡視結果の用紙に印を押すよう言われていた。本来ならば、依頼した教頭にも責任があるし、安全管理の面で言えば教頭自らも巡視するべきであるが、教頭は何も責任を取ろうとはしなかった。また、新聞の切り抜き作業は、控訴人が作成した資料を誰も見ていないし、令和 5 年度は作成していない。つまり、必要のない業務である。このような業務は挙げればきりがない。

 原告準備書面 (1) 第 2.2.(7)〔8 頁〕でも示したように、教頭に「丸投げのように言い渡される業務や高圧的な態度、監視など」が控訴人にとってストレスフルであったからこそ、令和 4 年 11 月 1 日の教頭面談でパワハラの訴えを教頭にしている。その際に、この業務は「屈辱である。」と教頭に伝えているが、現校長も教頭も控訴人の訴えを無視した。

12 第 3.3.(2) 判断のウ、第 2 段落

 原審判決文〔15 頁〕に、「特措法上の基本的対処方針である「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」は、新型コロナ対策本部が設置した新型コロナウイルス感染症対策専門家会議による医学的・科学的観点からの議論を踏まえて策定されたものであり⁸⁾ (公知の事実)、前記マニュアルや学校運営方法が定める感染防止対策もこれに基づくものであるから、病原体の存在に疑間を呈する見解⁹⁾ や、マスク着用の感染防止効果について疑間を呈する見解¹⁰⁾ が存在することはともかくとして、これが医学的・科学的根拠のないものであるといえるものではない。」とあるが事実誤認である。

 事実は、脇田隆字国立感染症研究所長が監修し、正林督章前厚生労働省健康局長が編集した『令和4年度地域保健総合推進事業新型コロナウイルス感染症対応記録』¹¹⁾ 〔128 頁〕に、「危機管理活動という営みは、科学ではない。アート(運用術)である。科学に基づく危機管理や、エビデンスに基づく危機管理など存在しない(この点、わが国では誤解があるようである)。」と書かれており、感染症における危機管理は科学的根拠に基づかないことを国は認識している。

 病原体が人に感染して病気を起こすという病原菌説(Germ Theory)は、それを提唱したルイ・パストゥール¹²⁾ の時代に、アントワーヌ・ベシャン¹³⁾ がマイクロザイマス¹⁴⁾ を発見したことにより、病原菌説の間違いが証明されている¹⁵⁾ 。しかし、パストゥールがナポレオン三世の側近であったため、ベシャンの発見を側近らがベシャンに取り下げるよう圧力をかけたのは、歴史的事実である。

 現在でも病原菌説は仮説であり¹⁶⁾、この仮説において無症状感染者が多数確認されるが、これは病原体と病気の因果関係を証明するための指標であるコッホの原則の第一原則「その微生物は、病気に罹患しているすべての生物で豊富に存在しなければならないが、健康な生物では存在してはならない。」に反する¹⁷⁾。

 したがって、病原体と病気との因果関係は未だに証明されていないのも事実である¹⁸⁾。

 その病原菌説に基づく「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下、「感染症法」という。)第 6 条では、国が「国民の健康に影響を与えるおそれがある」と判断するだけで、科学的根拠が不在であっても感染症を規定できる仕組みになっている。当該感染症を含む全ての感染症においては、技術的な理由で以て病原ウイルスの存在は確認できていない¹⁹⁾ のであるが、そのため、病原体の感染性や病原性の有無²⁰⁾、及び毒性の程度などの生化学的特性を分析することができない²¹⁾。だから、山形県衛生研究所が病原体の存在は前提であると回答するのであり(甲 16)、山形県は感染症が発生している前提であると回答するのである(甲 28)。

 問題は、感染症法上で病原体が存在することになっていることから、感染症に関する科学的批判は国の方針に反するとして科学的な議論の俎上に上がらないことである。つまり、科学が科学である所以であり原則である、反証可能性が感染症の領域では存在しないのである。したがって、感染症の領域は科学とは呼べない²²⁾。

 以上より、感染症の領域は法的根拠²³⁾ があるが、科学ではない²⁴⁾。政治である²⁵⁾。


脚注

8) 医学的・科学的観点からの議論で得られた結論が必ずしも正しいとは限らないことは、科学が真理へ到達する過程であることを理解していれば、容易に判断できる。科学において重要なのは、その結論が様々な批判に反証できるか否かである。

9) 疑問を呈するというレベルではなく、歴史的事実や科学的な証拠及び論理に基づく反証である。控訴人は病原ウイルスの定義を満たす粒子が存在しないことを証明しているが、その証明に対して感染研や地衛研は何一つ反論できず、感染症法等の法に遵守するとしか言えない。

10) 疑問を呈するというレベルではなく法的並びに科学的根拠に基づく証明である。家庭用マスクは薬機法上では雑品であり、感染症予防効果を謳って販売することが禁じられており、パッケージにも効果があるとは書かれていない。厚労省がマスクの効果の根拠としている論文『Effectiveness of Face Masks in Preventing Airborne Transmission of SARS-CoV-2(SARS-CoV-2 の空気感染予防におけるマスクの有効性)』では、「医療用マスク、我々がテストした条件下で完全に密閉された場合でも、ウイルス飛沫/エアゾルの感染を完全に遮断することはできなかった」と書かれており、マスクを着用しても伝染が起こることが示唆されている。

11) 同文書〔43 頁〕には、「新型コロナウイルス感染症の患者の大多数は、ほぼ無症状に近いか、感冒
様症状のみで自然軽快する。」と書かれている。実際に、厚労省のデータでも重症者や死亡者は検査陽性者数に対して僅かな割合しかいない。事実は危険な感染症ではなかったのである。

12) 病原菌説は細菌が発酵の原因であるというベシャンの発見が基になっており、細菌が有機物を発酵・分解するように、生物を分解することで病気が起こるという仮説に基づいている。しかし、細菌が健康な生物の細胞を分解することはない。それ故に、パストゥールは病原体を一つも確認していない。それだけでなく、パストゥール研究所を置くことを拒否した国では狂犬病や水恐怖症は起きていないが、一方、研究所で治療を受けた症例は 6,000 件ある中で死亡した例はパストゥール治療法を受けた者だけである。

13) フランスの医師、科学者、薬学者である。発酵の原因が微生物によるものであるなど画期的な発見をしたが、これらの業績をパストゥールに盗まれた。

14) 第二次世界大戦中、フランスのガストン・ネサンも同様の生物を発見しソマチッドと呼んでいるが、ベシャンのマイクロザイマスと同じものであると言われている。細菌は多形性で環境の変化によって形態を変化させる。マイクロザイマスは細菌などの微生物の基本となる形態だと考えられている。この発見が闇に葬られなければ、我々は病気の本当の原因を理解することができたし、また生命の起源の真実により近づけたことだろう。

15) 上述の通り、細菌は多形性であるから、病原体とされた細菌も環境が変われば形態を変えて宿主に常在している。この事実で以て、細菌が病原体であるという説は否定されるのである。病原ウイルスに関しては、単離が不可能で存在すら証明できていない。

16) 病原菌説を否定するベシャンの証明に反証できないばかりか、仮説を支持する科学的証拠が何一つ見つかっていない。

17) 感染研は、コッホの原則を満たす病原体は稀であると主張している。一般の科学的領域であれば、因果関係を示す指標を満たさなければ、因果関係がないと結論付けるが、感染症の領域は法が感染症の原因を病原体と規定しているため、一般的な科学的論理が通用しない。法が科学を凌駕することにより、科学の進展を阻害しているいい例である。

18) 感染症とは、病原体が宿主に感染したことが原因で起こる病気を差すのであるから、病原体と病気の因果関係が示せないのであれば、それは感染症ではない。感染症であると固執した考えに至るのは、ある症状の原因が 1 つであるという誤解に基づくのであって、とりわけ当該感染症のような不定型肺炎の原因は無数に考えられる。

19) 感染研などは、病原体が単離できていないにもかかわらずゲノムや画像で存在を確認したと主張するが、これはツチノコを捕獲していないにもかかわらずゲノムや画像で存在を確認したと主張するのと全く同じである。ゲノムは、ツチノコの体液であると思しき検体を採取してきて、例えば蛇などのゲノムを参照配列にすれば容易に創作することができる。ツチノコの画像は CG で幾らでも実在する生物のように描くことができる。現代のコンピューター技術では捏造が容易であり、だからこそ「単離」という実物の提示が重要なのである。

20) 恐らく多くの方が誤解していると思われるが、「感染=病気」ではない。感染症とは、病原体が宿主に感染したことが原因で起こる病気を差すのであって、ある感染因子が宿主に感染しても症状を起こさなければ、その感染因子は病原性がなく病原体ではない。つまり、この感染因子による感染は病気ではない。感染という現象を確認した科学者は存在しないが、定義ではそのようになっている。このことからも、病態の重症化率や死亡率を無視して、ただ感染することが危険だとする感染者数(正しくは検査陽性者数)を抑制しようとする感染防止対策が現実的でないのである。

21) 代謝を行わない無生物の病原ウイルス粒子が宿主の細胞に侵入したり、細胞を乗っ取って自分のコピーを作らせたりするというのは超常現象であり、オカルトである。このような現象が、完全に物理法則を無視しているということに気付くことは、高校の物理学を理解する程度の知識で十分である。

22) 病原ウイルスが宿主に感染する仮説の中に、物理法則を無視した超常現象が含まれていることから、ウイルス学はスピリチュアルである。スピリチュアルに騙される人と、ウイルス学に騙される人はよく似ている。

23) 分かりやすい例えを挙げると、幽霊が人に憑依するという現象が存在すると法で規定されているとしたとき、幽霊の存在や幽霊が起こす現象が物理法則を無視しているとする批判があったとしても、それは国の方針に反するとして議論の俎上に上がらない状況と全く同じである。幽霊と同様に病原ウイルスの存在は、未だに確認されていないのである。

24) 科学とは真理に到達する過程であって、常に間違いを含んでいる。科学における全ての説は批判に晒されることが認められ、多くの批判に反証できる説がもっとも蓋然性が高いとして生き残る。しかし、法が科学を凌駕すると、批判に晒されることを認めないため、批判に反証できない説でも生き残ってしまう。その意味で感染症法は悪法である。

25) 感染症対策が科学に基づかず政治に基づくが故に、実際に重症者や死亡者の増大が広がっているかどうかではなく、方針通りに実施しているかどうかが問題になる。つまり、感染症対策は形だけのルールに過ぎない。この現実に基づかないルールが国民を苦しめてきたし、多くの自殺者を出した。


13 第 3.3.(2) 判断のウ、第 2 段落

 原審判決文〔15 頁〕に、「原告は、その職務を遂行するに当たって、法令や地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従う義務を負うのであるから(地方公務員法 32 条)、職場においては、前記マニュアルや学校運営方針に沿った行動をすることが義務付けられるのであって」とある
が事実誤認である。

 事実は、次の通りである。

(1) 衛生管理マニュアル(乙 7)の「はじめに」に「学校の参考となるように作成したものです。」と書かれており、当該マニュアルは教員に義務付ける類の文書ではない。

(2) 現校長は県教委通知を「お願い」と称しており(甲 9)、現校長は当該通知が教員に義務付ける類の文書ではないことを認識している。

(3) 訴状第 2.5.(9)〔17 乃至 18 頁〕に「令和 5 年 1 月 11 日に原告と行った面談において、十分な説明を怠っているという指摘に対して何も反論できず、原告に何ら非がないことを認めている。」と指摘しているように、現校長は控訴人が命令服従義務違反などの違反行為がないことを認めている。

(4) 控訴人は当該マニュアル通りに感染症対策ができない正当な理由があり、正当な手続きで以てマスク着用の免除が認められ、前校長が認めた代替手段に従っていた。

 以上より、控訴人が地方公務員法第 32 条に反するような行動を取っていないことは明らかである。

14 第 3.3.(2) 判断のウ、第 2 段落

 原審判決文〔15 頁〕に、「これに反する見解のもと、感染防止対策をしないことは許されないというほかない。」とあるが事実誤認である。

 控訴人が「これに反する見解のもと、感染防止対策」は必要ないし、寧ろ害でしかないという結論に達しているのは、前述の第 1.12〔11 頁〕の通り歴史的・科学的な事実に基づいて判断しているからであり、法的根拠しかない科学的な批判が多数存在する過剰な感染症対策で児童生徒が被害を受けている²⁶⁾ からである(甲 30 及び 31)。繰り返しになるが、そのような意向や信条は法で許される範囲の事項である。

 また、これまで繰り返し述べてきたように、そのような意向を抱いていても、前校長が認めた感染防止対策を行ってきたことは紛れもない事実であり、本件命課の理由は協力依頼に応じないからではない。


脚注

26) 法や通知に従うことで秩序が保たれるとしても、国民が幸福にならず犠牲を強いられているのであれば、法や通知は誰のためにあるのか疑問でしかない。過剰な感染対策が導いた国民の犠牲に光をあてず、まともな議論に背を向けている公務員の姿を見る度に、「全体の奉仕者」という言葉は絵に描いた餅としか感じられない。


15 第 3.3.(2) 判断のウ、第 3 段落

 原審判決文〔16 頁〕に、「感染防止対策に協力できない教員を特別支援学校の小学部のクラス担任とすることは著しく困難である」とあるが、事実誤認である。

 事実は、これまで繰り返し述べてきたように、衛生管理マニュアルなどが推奨する感染防止対策に沿って対策が取れなかったのは、取れなかった正当な理由があり、正当な手続きによって前校長が認めた代替手段で感染防止対策を行っていたからである。「協力できない」のではなく、学校で認められた方法で協力していたのであり、本件命課の理由は協力依頼に応じないからではない。

16 第 3.3.(2) 判断のウ、第 3 段落

 原審判決文〔16 頁〕に、「校長の措置はやむを得ない措置というべきであり、これが制裁であったとは解しがたい。 」とあるが事実誤認である。

 本理由書で繰り返し述べてきたように、控訴人は前校長の職務命令に従い、前校長に認められていた代替手段で感染症対策を行っていた。且つ、本件命課の理由は協力依頼に応じないからではない。

 上記事実に反して、被控訴県教委発出の文書(甲 8)〔2 頁〕に、被控訴県教委が「協力を得られなかった。そのため学年分掌に属さず、(中略)という立場で勤務することを命じた。」と書いたり、別文書²⁷⁾ (甲 21)〔4 頁〕に、「認めていない。」と書いたり、原審判決文で繰り返し控訴人が職務命令や協力に応じないと書かれたりするのは、控訴人が命令服従義務に違反していなければ本件命課の合理性や正当性を主張できないからであるが、現校長が認めているように控訴人は命令服従義務に違反していないのだから、その理由で以て本件命課の合理性や正当性を主張できないのは明らかである。仮に控訴人の命令服従義務違反を持ち出すのであれば、違反に対する制裁の性格が本件命課に帯びてくることになる。

 被控訴県教委の文書(甲 8)に書かれているように、控訴人が協力に応じないことが本件命課の本当の理由であるならば、控訴人は協力に応じていないという事実がないため、これは甚だしい言いがかりである。それ故、控訴人は、本件命課がこの言いがかりに基づく制裁であると主張したのである。

 しかし、本件命課の合理性や正当性が問われるのは、本件命課の理由である「命を守るため」である。前校長が認めていた代替手段に応じており、その代替手段で何も問題が起きていなかったにもかかわらず、現校長が着任した途端、突然方針変更が変更され、尚且つその方針変更の必要性を説明する代替手段の問題点を命課をした年の翌年になっても現校長が指摘できない状況で、控訴人から児童生徒や教職員の命を守るという理由に合理性や正当性が認められるかについてに他ない。

 しかし、令和 4 年 6 月 8 日の面談において、控訴人の「命ってどういうことですか。かなり大袈裟ですよね。(中略)命、死ぬってことですよね。」という指摘に、現校長は「あ、そこまでは考えては、そういうこともあるかもしれないけど、ま、そういう言葉を使ってしまったんだな。」と答えている(甲 6)。この回答が、如何に本件命課が熟慮のない恣意的な判断によるものであることを物語っている。


脚注

27) 令和 6 年 1 月 31 日付けで同文書の虚偽有印公文書作成罪の告発状が受理されている。


第 2 結語

 原審判決文では、繰り返し感染症マニュアルや県教委通知通りに感染対策を行えない教員は担任を外されても別室勤務を命ぜられても致し方ないと主張しているが、正当な理由なく感染対策を行わない教員であればまだしも、控訴人のように正当な理由で以て方針通りの感染対策を行うことが困難な教員を教室から追い出し別室に追いやるという行為は、諸事情でマスクを着用できない人物を排除していいというメッセージを児童生徒達に与える効果がある²⁸⁾。訴状第 2.5.(4)〔14 頁〕で指摘した通り、文科省は保健教育指導資料『新型コロナウイルス感染症の予防』(令和 4 年 3 月改訂)で、「マスクをしていない人」を嫌悪の対象にしてしまうことで、差別や偏見が起こることを指摘している。したがって、本原審判決文は諸事情でマスク着用が困難な者に対する差別や偏見を助長する効果がある²⁹⁾。

 以上をまとめると、原審判決文には以下の事実に対する誤認が認められる。

1 前校長が認めていた代替手段通りに対策を行い、その状況で感染拡大等の問題が何一つ起きていないにもかかわらず、前校長から現校長に校長が変わった途端、突然に方針が変更され、健康で無症状の控訴人に対してより多くの感染症対策を強いる別室勤務や担任外しの命課が出された。

2 本件命課の必要性を説明するのに重要である前校長が認めていた代替手段の問題点を現校長が説明できないほど、本件命課は熟慮を欠いた恣意的な命課であった。

3 突然の方針変更は、控訴人にとって予測可能性がなく、一方的で妥協点を探る機会を与えられていなかった。

4 控訴人が衛生管理マニュアルや県教委通知に沿った感染症対策ができなかったのは、正当な理由があり、正当な手続きで免除が認められ、学校が認めている代替方法で対応していたからである。

5 控訴人は本件学校の感染症対策に協力していた。

6 現校長が認めている通り、控訴人は命令服従義務に違反していない。

7 本件命課の理由は「命を守るため」であって、感染症対策の協力依頼に応じていた控訴人が協力依頼に応じていないと認識されたからではない。

 以上のとおり、原判決は事実誤認による認定に基づくものであるから、取り消されるべきである。

以上