ベシャンか?パストゥールか?

第2部

ベシャンか?パストゥールか?

- 生物学史における失われた一章

Béchamp or Pasteur? ― A Lost Chapter in the History of Biology

 


原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」

著 者:Ethel Douglas Hume

出版年:1923

掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)



第2章 ミクロザイマ

THE  MICROZYMAS

12.不満を募らせる盗用問題

12. A Plagiarism Frustrated

ベシャンとパストゥールの間にある顕著な対照点は、ある事実に置かれている。ベシャンは、自分の見解が論理的な順序立てが成立することを要求する。一方、パストゥールは、一見二項対立しているように見える見解を提唱することに満足している。以上のような事実だ。

例えば、パストゥールによれば、身体は不活性な塊、単なる 化学的化合物(chemical complex)に過ぎないという。そして、健康な状態であれば、外来の有機体(foreign organisms)の侵入に対して免疫があると主張している⁽¹⁾。彼は、全く気づいていなかったようだ。この信念は、元々キルヒャー(Kircher)とラスパイユ(Raspail)が提唱した芽胞説(germ theory)と矛盾していることを。にも関わらず、この学説を、彼とダヴェイン(Davaine)はいち早く採用したのだった。

どのようにして外来の有機体(foreign  organisms)が、体内で病気を発生させることができるというのだろうか?パストゥールによれば、外来の有機体は病気が発症するまでその体内に侵入できないという。ユーモアのセンスのある人なら、このような主張に愉快な矛盾があることに気づくだろう。しかし、パストゥールの崇拝者たちは、彼を機知に富んだ人物と賞賛している。だが、こういった滑稽な感覚は、ある人にとってはめったにない長所である。つまり、パストゥールがしたように真剣に自分自身を受け止めているような人たち、あるいは彼の信奉者たちのように真剣に彼を賞賛するような人たち、にとっては長所である。

1863年6月29日、彼は科学アカデミーで腐敗に関する研究発表⁽²⁾を行った。

この中で、彼はこう言った:

「肉片をアルコールに浸した麻布で完全に包む(ここで彼は以前の実験でベシャンを真似た)。そして、密閉した容器に入れる(空気の有無は問わない)。これは、アルコールの蒸発を妨ぐためである。この状態では腐敗は起こらない。それは、内部ではビブリオ(vibrios)が存在しないからである。外部では、アルコールの蒸気が表面での芽胞(germ)の発生を防ぐからである;しかし、次のようなことが観察された。肉が少量であれば顕著な程度で腐敗した。そして、肉がかなりの量であれば壊疽を起こした。」⁽³⁾

パストゥールの目的は、食肉(meat)には先天性の生命要素(living elements)が存在しないことを示すことであった;外部の生命(external life)、すなわち大気中の芽胞(germs)を完全に排除すれば、内部の有機体からバクテリアが発生(development )することはないだろうと考えていた。 当時は、大気中の宿主(atmospheric hosts)が重要な役割を果たすというベシャンの考えを熱狂的に採用していた時期だった。パストゥールは、それと同時に、騒々しく否定していた。如何なる生命要素(living elements)も、動物や植物の体内に先天的に存在することを。

ベシャンは、自分の顕微鏡の腕前が同時代の研究者のそれを凌駕していることを認識していた。だから、パストゥールが肉でできた物質の奥深くに存在する微小な有機体(organisms)を発見できなかったことに問題を感じていなかった。 しかし彼は、こう主張した。パストゥール自身が食肉が腐敗している、あるいは壊疽を起こしていると認めるだけで、十分であったはずだと。化学変化とそれに付随する必然的な実在を確信するのに ―― つまり原因となる因子(causative  agent)の実在を確信するためには、腐敗を認めるだけで良かったのだ。 また、ベシャンは、こうも主張した。パストゥール自身の実験は、原因となる因子の存在を否定しようとしながらも、逆にミクロザイマに関する主張が真実であることを証明したのだと。

例えば、繰り返しになるが、煮沸した牛乳を使った実験で、パストゥールは獣脂に似た臭いがすることを観察した。そして、脂肪分が凝固した状態で分離していることに気づいた。もし牛乳の中に生命体(living)が何も存在しないとしたら、どうやって、その臭いの変化を説明できるというのか?どうやって、凝固の原因を説明できるというのか?

このように、無視できないほど、ベシャンとパストゥールは、あらゆる現象に注意を払っている点において、対照的なのである:ベシャンは何一つ無視しなかったが、一方、パストゥールは、矛盾する証拠を絶えず見過ごしていたのである。

例えば、牛乳が著しく変化しているにもかかわらず、パストゥールは、牛乳は変化することがないと説明することに満足していた。つまり、空気中の芽胞(germs )が侵入することがない限り、ミネラル塩、乳糖、カゼインの溶液に過ぎないと。そして、その中に脂肪の粒子が浮遊していると。要するに、牛乳は単なる乳剤(emulsion)であり、その組成に変化を起こすことのできる生きている物体(living bodies)は含まれていないという。何年もかけてベシャンは牛乳を研究してきた。そして、ずっと後になってからである。彼が最終的に牛乳の科学的な複雑さをすべて納得したのは。

1857年当時、パストゥールの自然発生論的見解がベシャンの見解と完全に対立していたように、1860年代を通じてパストゥールは、ベシャンの説明(teaching)を完全に無視していたことが分かる。すなわち、細胞に関係するミクロザイマ、もしくはミクロソームに関する説明や、これら先天的な生命の要素(living elements)が原因で起こる発酵作用で生じる変化に関する説明を無視していた。空気中の芽胞(germs)を認識しながらも、パストゥールは体内の芽胞(germs)については盲目であったようである。故に、ベシャンの驚異的な業績を無視した。その時、ベシャンは牛乳やチョークなどに存在するミクロザイマを破壊するのに必要な熱の度合いを実験によって区別していたのである。

最後に、それこそ、パストゥールは自分の意志に反して納得させられていたに違いない。つまり、蚕の病気に関するベシャンの結論にだ。そして、彼がベシャンを軽蔑したのは、危険なライバル関係を意識してのことであったということは疑う余地がない。1868年末、彼は病気で伏せっていたが、空気中に浮遊する有機体(organisms)と、発酵におけるその役割という課題に関してパストゥールを啓蒙した人物の見解について考えたとき、彼の心にどのような思いがよぎったかは誰にもわからない;その人物は、蚕の病気の原因を反論の余地なく証明した。その蚕の病気の研究では、パストゥール自身の科学的名声が著しく脅かされた ―― 要するに、その人物は決してパストゥールの弟子にはなり得なかったと言える。

いずれにせよ、パストゥールが病床から起き上がったとき、半身不随で、片足を引きずっていた。その頃は、プロイセンの大軍が平穏なフランスでの生活の流れを一時中断させ、国民的苦悩があらゆる些細な論争に影を落としていた。 誰にもわからない。彼が次のように考えていたかどうかなんてことは。要するに、このような破滅的な出来事が、彼と同時代の人々の記憶に致命的な影響を及ぼすかどうかを考えていたのだろうかなんてことは。それはともかく、1872年、パストゥールは突如として科学アカデミーを驚かせた。

少し話をまとめよう。1862年には早くもベシャンがワイン発酵の研究に着手したことは記憶に新しい。そして、1864年に実験結果が発表された。その時、彼はブドウの外側から、カビが発生することを明言した。そのカビは、ブドウ液(must)を発酵させ、ブドウの木の茎や葉には、有機体(organisms)が付着していた。その有機体は、ブドウ種の生産(vintage)に支障をきたす発酵を引き起こす可能性があった。こうして彼は、発酵現象についての広範な見解を示した。彼は空気中に浮遊する有機体(organisms)や細胞に内在する要素の役割を理解していただけでなく、外部の表面に見られる有機体(organisms)についても指摘することができた。その後、1869年から1872年にかけて、他の2人の研究者(experimenters)、レシャルティエ(Lechartier)とベラミー(Bellamy)が、次に示す実証結果によって、彼の見解を裏付けた。つまり、果実の細胞内要素が空気との接触を避けて(protected)いても発酵し、アルコールを生成した。そして、発酵は微生物の成長に関する活動(vegetative activity)と関連していることを実証したのだ。

この堅実な仕事が静かに進んでいる間、一方でパストゥールは世間の大きな注目を集めていた。当初、彼が皇帝の祝福を受け、ナポレオン3世に本を献呈したことは、すでに述べたとおりである。その本で、1867年の博覧会の大賞メダルを授与さ れている。実際、それを受け取るために彼は特別にパリに巡礼した。しかし、伝記作家が素朴に示唆するように、「彼の出席は絶対に必要なものだったわけではなかった」のである⁽⁴⁾。

これだけ世俗的な成功を収めたのだから、期待するかもしれない。彼は少なくとも誰かの功績を認めることができただろうと。その功績が正当なものであり、たとえ発酵現象を説明する際に大気中の芽胞(germs)という呪文を絶えず唱え続けた自分とは正反対の見解であったとしても。しかし、パストゥールに、そのような習慣はほとんどなかった;つまり、他の人々が彼を太陽であると認めた限りにおいて、お返しに、パストゥールは、彼を認めた者を自分の衛星として彼らに輝きを放つ用意があった。ベシャンが最初に彼にひざまずいていたなら、パストゥールは教授に賛辞を贈る用意ができていたかもしれない;しかし、ベシャンが彼を凌駕し、批判したため、2人は常に意見が対立した。たとえ彼らの見解が一致していたかもしれない点でさえも。

パストゥールは、すでに述べたように、1872年にアカデミーに驚きをもたらした。この年はモンペリエ校が絶え間ない研究に取り組んだ記念すべき年であった。

この年の終わりを簡単に説明すると、1872年10月7日、アカデミーでベシャンの『発酵現象におけるホウ砂の作用について(Upon the Action of Borax in the Phenomena of Fermentation)』⁽⁵⁾と題された報告書の抜粋が読み上げられた。これは当時かなりの関心を集め、デュマ氏(M. Dumas)が提起したいくつかの疑問に答えるものであった。

1872年10月21日、ベシャン教授とエストル教授(Professor Estor)は、共同報告書を発表した ―― 『胚発生におけるミクロザイマの機能について(On the Function of the Microzymas during Embryonic Development )』⁽⁶⁾である。この論文は、非常に重要な学術論文(treatises)の一つであった。そこには、印象的な発見と、それを実証する実験に関することが書かれていた。

1872年10月28日、ベシャンは『ビール酵母によるアルコール発酵の生理学的理論に関する研究(Researches upon the Physiological Theory of Alcoholic Fermentation by Beer Yeast)』⁽⁷⁾と題する研究報告(memoir)を発表した。

同年11月11日、彼は『カビの機能と変態に関する研究(Researchs on the Function and Transformation of Moulds)』⁽⁸⁾と題する研究報告(memoir)を発表した。

彼の絶え間ない努力から生まれた幾つかのアイディアが、これらの報告(records)の題名から読み取ることができる。このことから、彼の驚きと自然な無念さを思い浮かべることができる。特に、彼がしてきた苦難の研究からパストゥールが彼の見解を盗用したことを、彼が気付き激昂する時である。それは、彼が何年も前から提唱していた見解なのである。

まず、1872年10月7日、パストゥールは、アカデミーに対し、次の論文を報告した。『ワインを生産する酵母菌はブドウの外から来ることを示すいくつかの新しい実験( Some  New  Experiments  Showing  that  the  Yeast  Germ  that Produces Wine Comes from Outside the Grape)』⁽⁹⁾と題する論文である。

これこそ、繰り返すが、ベシャンの発見であった!1854年に、最初に彼が報告したのである!

これはアカデミーの卑屈な会員たちにも耐え難いことであった! フレミー氏(M. Fremy)は、パストゥールの口を挟んだ。パストゥールの結論の欠陥を明らかにするためである。

デュマ氏(M. Dumas)の招きにより、パストゥールは、アカデミーでの講演を再開した。その演題は、「いわゆる発酵の理論に関する知識を助ける新事実(New Facts to Assist to a Knowledge of the Theory of Fermentations, Properly So-called)」⁽¹⁰⁾であった。

ここでパストゥールは次のように主張した。

「発酵の化学現象を他の多くの現象から切り離すこと。特に、一般の生命(life)の作用(acts)から切り離すこと。」

もちろん、栄養摂取と消化が最も重要であることは言うまでもない。ここではっきりとわかる。1872年の時点で、発酵を理論的に研究していたにもかかわらず、彼は発酵の過程について本当の意味での概念を持っていなかった。そして、生きている有機体(living organism)の一部である栄養摂取と排泄の機能としての発酵について明確に理解していなかった。いかに基盤が希薄であったかは、後に弟子のルー氏(M. Roux)が述べている通りである:

「パストゥールの医学的研究は発酵の研究から始まった。」

講演を続けたパストゥールは、こう主張した。発酵は、生命の顕在化の必然的な結果であることを示したと。そして、その時、その生命が、自由酸素による直接的な燃焼以外で達成されるのであると主張した。そしてこう続けた:

「この理論の帰結として、あることに気付く。あらゆる生きとし生ける存在(being)、あらゆる器官、あらゆる細胞は、空気中の酸素の助けを借りずに生命を維持している。あるいは適切な栄養摂取のための現象全体に対して、酸素を十分に利用せずに生命を維持している。そのような存在や器官、そして細胞は、ある物質に対して発酵の性質を持たなければならない。その物質とは、全体的あるいは部分的に、その熱源となる物質である。この物質には炭素と酸素が含まれているはずだ。すでに述べたように、この物質は発酵体の餌となるからだ…。

私は今、この新しい理論に、この理論はすでに何度か提案してきており、恐る恐るではあったのだが、1861年当時から提案しているこの理論に、新しい事実の裏付けを加える。その事実で以て、今度こそ納得していただけるものと期待している。」

実験の説明後、この実験は他人が行った実験の単なるコピーに過ぎないのだが、彼は勝ち誇ったようにこう締めくくった:

「私はすでに予見している。私の努力の結果によって。新しい道筋が生理学と病理医学(medical pathology)に開かれることを。」

唯一の臆病さの表れは、警戒心である。用心しながら、パストゥールは次のような確信を打ち出したのだ。

「あらゆる生きとし生ける存在(being)、あらゆる器官、あらゆる細胞は、発酵の性質を持たなければならない。」

このような説明(teaching)は、1861年以来彼が展開してきた学説とはまったく相反するものである。ベシャンのミクロザイマの学説(doctrine)を盗用しようとした慎重な企てにほかならない。これまで見てきたように、ベシャンは、ブドウは、他の生き物(living  things)と同様に、それ自身の中に微小な有機体 ―― ミクロザイマ ―― を含んでいると主張していた。すなわち、ブドウ自体に発酵を起こすことができる微小な有機体(organisms)が存在すると主張しながらも、ブドウ酒として知られる特殊な発酵を、これらよりも強力な力が原因だと考えていた。その力とは、ブドウの表面に見られる有機体(organisms)、おそらくは空気中に浮遊する有機体である。

したがって、もしパストゥールがベシャンのミクロザイマの発想を盗用したと非難されたとしても、次のように指摘して、その非難を否定すればよかったのである。つまり、ぶどう酒発酵を誘発する原因は、ぶどうの外から来たものであると;しかし、ここでもまた、彼はベシャンの後を追っただけなのである。科学アカデミーが発表した報告書(reports)を読むと、この賢い交渉術がいかに自己を守ることに有効であったかがわかる。

フレミー(Fremy)はすぐにこの議論(contest)に復帰した。 『発酵の生成(The Generation of Ferments)』⁽¹¹⁾と題された覚書(note)の中で、彼はこう述べている:

「パストゥール氏(M. Pasteur)のこの通信の中に、ある事実を見つけた。それは、私の主張する学説を明らかに裏付けるものである。そして、私の研究仲間(confrére) の学説を根底から覆すものである。パストゥールは、特定の有機体が、アルコール発酵のように、酸素がなくても発生(develop)し、生きることができることを示したいと考え、次のように断言している。ブドウは純粋な炭酸の中に置かれると、発酵し、アルコールと炭酸を生成することができると。

この観察が、パストゥールの説とどのように一致するというのだろうか?パストゥールによれば、発酵体(ferments)は空気中に存在する芽胞(germs )によってのみ生成されるという。ならば、次のことは明らかではないだろうか?もし果実が炭酸の中で発酵するのであれば、空気から何も供給されない条件下では、その発酵体(ferments)は細胞自体の内部の構造の影響下で直接生成されるに違いない。そして、発酵体の生成は空気中に存在する芽胞(germs)によるものではない。

これまで以上に、私はパストゥールのこの学説を否定する。この学説は、あらゆる発酵を、芽胞(germs)から派生する発酵体に由来することを主張するものである。芽胞は実証されたことはないものの、パストゥールは空気中に存在すると言っている;そして私は、こう主張する。大気中の胞子(atmospheric spores)が起こす現象と、体内(organisation)で発生する実際の発酵体(ferments)が起こす現象とを混同してはならないと。」

パストゥールはこう返答した:

「フレミー(Fremy)は私を理解していないようだ。私は実験に使われた果実の内部を注意深く調べた。そして、こう断言する。そこには酵母の細胞も、いかなる組織化された発酵体(ferment)も発生していなかった。」

2 人の議論は続き、激しさを増した;パストゥールは、冷静さを失い、フレミーを非難した。彼が、ドイツ科学の擁護者であると;同時に、礼儀を逸脱したことに対して遺憾の意を表明した。

さらに議論を重ねた後、フレミー(Fremy)はパストゥールの謝罪を受け入れた;しかし、フレミーはドイツ人に関する侮辱的な見解を繰り返さないことを望んだ。当時も、その後の世界大戦の時も、当然ながら、あらゆるチュートン(ゲルマン民族)的なものに対する偏見があった。ドイツの科学でさえもその例外ではなかった。

フレミー(Fremy)はさらにパスツールの主張を批判した:

「私たちの友人は、こう考えている。彼はその議論から勝利を得ることができると。その議論において、私は彼を支持する。勿論、彼が提示する事実の正確さに私が異議を唱えなければの話であるが。パストゥール氏(M. Pasteur)は、この議論の実際の根拠について、奇妙なごまかしをしている。この議論は、ある実験的事実の判定に関係しているだけでなく、その解釈にも関係している。」 ⁽¹²⁾

パストゥールは、ベシャンのミクロザイマ説を暫定的に提唱しようとしていた。しかし、フレミー(Fremy)のおかげで、パストゥールは過去10年間の実際の理論に直面することになった。フレミー(Fremy)はパストゥールをその理論に巻き込もうとしたのだ。それと同時に、空気中の芽胞(germs)があらゆる生命現象(vital phenomena)を説明するという学説の浅はかさを露呈させようとした。

ベシャンの説が正しいと主張するためには、パストゥールは、フレミー(Fremy)が指摘したように、それぞれの発酵についても説明せざるを得なくなった。その発酵は、特殊な有機体(organism)の働きによるものだと。また、もし発酵が大気中の芽胞(germs)によってのみ起こるのであれば、雨が降って空気が浄化されたときや、山の高いところでは、発酵は起こらないことになる。しかも、山の上では、パストゥール自身、そのような生物は存在しないと述べている。とは言え、紛れもない事実である。発酵が、どこでも起こるのというのは。雨の後でも、高い山の上でも。

フレミー(Fremy)は言う。「もし、空気中に、パスツール(M. Pasteur)が主張するように、発酵体に成長するあらゆる芽胞(all the germs of ferments)が含まれているとしたら、発酵体(ferment)を発生させることができる甘い液体は、発酵するはずである。そして、その液体は、牛乳や 大麦食品が経験するすべての連続的な変化を示すはずである ―― だが、それは決して起こらないことである。」

フレミー(Fremy)は、固執していた。組織化された身体が、カビのように、精巧な発酵体(ferments)を作ることが立証されていることに;そして、パストゥールは常に、発酵は大気中の小体(corpuscles)の作用から生じると宣言していたが、彼(すなわち、フレミー(Fremy))は、ずっと以前から実証していた。大麦の種子を甘くした液体の中に放置すると、発酵が内部で生じることを ―― すなわち、細胞内発酵であり、二酸化炭素が細胞から排出されるのである。

フレミー(Fremy)は、こう主張した。この細胞内発酵がパストゥールの学説にとどめを刺すことになると。そして、彼はパストゥールを嘲笑した。パストゥールが、細胞内でのアルコール生成は発酵と異なると宣言したからである。パストゥールが言うには、果物の果汁中に特定のビール酵母が存在しないからだそうだ。

彼は次のように主張した:

「発酵は、その原因となる発酵体(ferment)によって定義されるのではない。発酵を特徴づける生成物によって定義される。私は、次のような変化を示すあらゆる有機的変化に、アルコール発酵という名称を与える。その変化では、糖を分解する際に、主に二酸化炭素とアルコールを生成する。 乳酸発酵は、糖やデキストリン(dextrin)が乳酸に変化することで特徴づけられる。 ジアスターゼ発酵は、デンプンをまずデキストリン(dextrin)に変化させる。そして、次にグルコースに変化させるものである。このように、発酵は定義されなければならない。パストゥール氏(M. Pasteur)が望んだように、発酵(ferments )の定義を、発酵体(ferments)が取りうる形態の説明に委ねると、重大な誤りが生じる可能性が高い。」

そして、ついに彼は次のように締めくくった:

「結論として、私は、一種の言いがかりに反論したい。パストゥール氏(M. Pasteur)の通信でしばしば繰り返される批判にである。私の友人は、私に訴えている。私が上に述べたような意見を主張しているのはほとんど一人であると。私は理解できない。パストゥール氏(M. Pasteur)が、次のような言説で正当化されるとは。つまり、すべての科学者が、パストゥール氏と同じ意見を持っているという言説である。全ての科学者が、発酵体の発生と作用機序についての意見を共有しているというのだ。だが、私は知っている。これらの問題に関して十分な能力を持つ同僚、アカデミーの会員、その他の人々の何人かが、パストゥール氏(M. Pasteur)の意見に同意していないことを。」

論争の過程で、フレミー(Fremy)は明確に示した。彼はパストゥール氏(M. Pasteur)の実験の正確さ、不正確さで以て、パストゥールに対して反対の立場を取っているのではないと。実験から導き出された結論で以って反対の立場を取っているのである。彼は、その結論が間違っていると考えているのである。パストゥールはこの観点からの考察を拒否した。そして、アカデミーのメンバーからなる委員会を招集した!彼の実験結果の解釈を無視して彼の実験の正確さを判断するためである。フレミー(Fremy)は、こう指摘した。このような委員会を設置することは、本当の問題をはぐらかすことになると⁽¹³⁾。そして、この問題は、2人が互いに非難し合うという形で終わった。パストゥールは、ある事実を利用しようとしていたのだ。フレミー(Fremy)がこの委員会の提案に何の利用価値もないと考えていた事実を。

パストゥールはまた、植物学者トレキュル氏(M. Trecul)の反感を買った。きっかけは、11月11日のアカデミーの会議において声に出して読まれなかった註釈(note)に関することだった⁽¹⁴⁾ 。11月18 日の会議で、トレキュル(Trecul)は、遺憾の意を表明した。パストゥールがこの註釈(note)を書き加えたことに対してである。この註釈は非常に重要で、彼が次のことを完全に告白したに等しい。4ヶ月ほど前に、彼がマイコデルミ・ヴィニ(mycodermi vini)と呼んでいた有機体(organism)の細胞が酵母細胞に変化することに疑念を抱き始めた。そこで、今では細胞の変化に関するトレキュル(Trecul)の見解を否定する用意がある、というのである。

彼は慇懃な態度でトレキュルに警告した:

「トレキュル氏(M. Trecul)には、このようなデリケートな研究で厳密な結論を出すことの難しさを理解していただきたい。」

それに対してトレキュル(Trecul)はこう言い返した:

「私に過ちの原因について警告する必要はないだろう。そのような過ちは、こうした実験の過程で起こる可能性がある。私は1868年と1871年に4つの異なる通信でそれらの原因について指摘した。そしてそれ以来、その原因について長々と書いてきた。」⁽¹⁵⁾

彼はこう付け加えた:

「パストゥール氏(M. Pasteur)は、10月7日の通信と同月28日のフレミー氏(M. Fremy)への返信の中で、こう言っている。第一に、炭酸の中に置かれたブドウや他の果実の細胞は直ちにアルコールを生成したと;第二に、その内部には酵母の姿は見られなかったと;第三に、それは稀で例外的な事例に限られると。つまり、その稀な事例とは、酵母の細胞が外部から内部に侵入するということである。」

トレキュル(Trecul)は、パストゥールの別の主張と照らし合わせると、これらの発言は混乱していることに気づいた:

「グーズベリーという、ブドウやリンゴとはまったく性質の異なる果実で、酸性果実に見られる小さな酵母の存在を観察することがよくあった。」⁽¹⁶⁾

トレキュル(Trecul)はこう応じた:

「ビール酵母のこのような浸透が、果実の内部でどのようにして起こるというのだろうか?その果実の表面には何一つ傷がないのに。」

まったく不思議なことではない。このような相反する発言が、この課題でも、別の課題でもあったことが、トレキュル(Trecul)をパストゥールの論法に不満を抱かせた⁽¹⁷⁾ということは。その論法について、彼はパストゥール自身に矛盾を生じさせていると述べている。更に、言葉の意味を変え、そして、その言葉の意味を変えた上で、反対する者を非難しているのであるとも。トレキュル(Trecul)自身、次のような経験をしている。

「友人(パストゥール)の矛盾を示す多くの事例がある。彼はどのような問題に対しても、ほとんど常に2つの正反対の意見を持っている。その相対する見解を、彼は状況に応じて持ち出すのだ。」⁽¹⁸⁾

しかし、パストゥールが自分の古い学説を否定することをせず、自分の新しい学説を支持することはできないと多くの人が気づいていた。その一方で、モンペリエの研究者たちほど明確に理解できた者はいなかった。つまり、パストゥールがベシャンの学説(teaching)を汲み取り、それを発表しようとした自信のない努力をしていたことを。新しい言葉で着飾り、パストゥール自身が成した科学的な産物であるかように見せる努力をしていたことを皆理解していたのだ。

これは教授の忍耐には耐え難いものであった。1872年11月18日、教授がアカデミーに提出した書簡(note)には、『パスツール博士が最近行ったいくつかの通信に関する観察、特に「ワインを造る酵母はブドウの外皮から来る」の課題について(Observations Relating to some Communications recently made by M. Pasteur and especially upon the Subject ‘The Yeast that Makes the Wine Comes from the Exterior of the Grape’)』という題名が付けられている。

この研究報告(memoir)の中で、ベシャンはワイン発酵に関する初期の実験について言及している。その実験の内容は、1864年に発表されている。彼はこう付け加えた:

「パストゥール氏(M. Pasteur)は、すでに知られていたことを発見したのだ;彼は単純に私の成果(work)を確認したのだ。 1872 年、彼は8年前に私が到達した結論に達した;すなわち、ブドウ液を発酵させる発酵体は、カビである。そのカビは、ブドウの外側から来る;私はさらに踏み込んだ:1864 年、私は立証した。ブドウの茎とブドウの木の葉に、糖分とブドウ液を発酵させることが可能な発酵体(ferments)が存在することを。さらに、葉と茎に存在する発酵体(ferments)は、時として、ブドウの収穫(vintage)を害する種類のものであることを。」

ベシャンはこの機会を利用して、1872年2月13日に発表した報告書(note)の結論もアカデミーに提出した。この報告書は、表向きはその長さを理由に省略されていた。しかし、現在では公表の必要性が差し迫っている。その当時、この報告書が省略されたという事実は、少なからず苛立ちがあることを示している。彼はこのような状況に絶えずさらされていたのである。

しかし、1872年12月2日のアカデミーの会合まで、教授はパストゥールが新たに表明した見解の深い意味について扱うことはなかった。特に『アルコール発酵の理論に関するパストゥール氏の最近の通信に関する第二の考察(Second Observation on some Recent Communications by M. Pasteur, notably on the Theory of Alcoholic Fermentation)』⁽²⁰⁾と題された研究報告(memoir)の中で、ベシャンは抑制の効いた威厳のある抗議から始めた:

「いわゆる『発酵理論の知識を前進させるための新事実(New Facts to Forward the Knowledge of the Theory of Fermentations)』という題名で、パストゥール氏(M. Pasteur)は、ある報告書(note)を発表した。この報告書に目を通した私は、いっそう興味を覚えた。何故なら、この報告書の中に、多くの着想が見受けられたからである。その着想とは、長い間、私にとって馴染み深いものであった。アカデミーへの深い敬意と私自身の尊厳への配慮から、この通信について若干の見解を述べる義務が私に課せられている。そうでなければ、この問題に関係のない人々が、次のように信じてしまうかもしれない。つまり、私がその事実や着想を自分の成果であるとすることによって、世間を騙したのだと。しかも、その事実や着想は、私のものではないのにと。

彼は続けて、日付や数多くの著書の引用によって示したのだ。彼が最初であることを。2つの重要な点を立証したのは彼であることを:

第一に、組織化された生きた発酵体(ferments)が、アルブミノイド物質を除去した培地で発生しうるということである;そして、

第二に、組織化された、あるいは 「図形化された 」発酵体(ferments)による発酵現象は、本質的に栄養摂取の作用であるということである。

たった1つの事実が、その主張に致命的な打撃を与えたことは間違いない。パストゥールが、発酵について真の理解を始めたという主張;すなわち、彼の初期の実験 ―― 例えば、1857年の実験と1860年の再実験 ―― では、彼はタンパク質の物質を使用し、その結果、次のことを示した。パストゥールが、ベシャンの偉大な発見の、あらゆる点を見落としていたということを。ベシャンは、組織化された生きた発酵体(ferments)が、アルブミノイドを全く含まない培地で生じうることを発見していた。大気中に広く存在する生命(life)が、実証されたにすぎないのである。組織化された生命を持つ要素(living elements)が、純粋に化学的な培地に侵入したことによって実証したのだ。ただ、その培地にそのような生命要素が存在していたことは、何ら疑いようがなかった。この事実だけでも、明らかである。パストゥールがベシャンがした実証の本当の意味を理解していなかったことが。

ベシャンは続けて、彼の過去の実験によって証明された発酵に関する生理学的理論を説明した:

「私にとって、組織化された発酵体(ferments)によるアルコール発酵やその他の発酵は、本来の意味での発酵ではない;それらは栄養摂取の作用である。すなわち消化(digestion)、吸収(assimilation)、排泄の作用である。

酵母(Yeast)はまず、自らの外部で、サトウキビ糖を、ある物質によってグルコースに変換する。その物質は、酵母の有機体の中に完全に形成された状態で含まれている。この物質を、私はチマーゼ(zymase)と名付けた:その後、チマーゼはこのグルコースを吸収し、それを栄養源とする:吸収し(assimilates)、増殖し(multiplies)、増加し(increases )、排泄する(excretes)。消化する(assimilates ) ―― つまり、変性した発酵性物質の一部が一時的に、あるいは確実に、その生きた存在(being)の一部となる。そして、その成長と生命維持に役立つ。排泄する(excretes) ―― つまり、その組織で使用された部分をある化合物の形で排出する。その化合物は、発酵による生成物である。

パストゥール氏(M. Pasteur)は、こう反論した。酢酸は、絶え間なく生成される。それを、私がアルコール発酵でこう証明した。この酢酸は、糖ではなく、酵母に由来することを。発酵による生成物の起源に関するこの疑問は、パストゥール氏とその弟子たちを大いに悩ませたが、私はこう答えた: 理論によれば、酵母から生成されるはずである。尿素が我々人間から生成されるのと同じように。つまり、我々のような有機体を最初に構成した物質から生成されるはずである。クロード・ベルナール氏(M.  Claude  Bernard)は、肝臓で糖が形成されるのを見た。つまり、糖は肝臓から生成されるのであって、食物から直接生成されるのではないのと同じように、アルコールは酵母から生成される。これが、私が発酵の生理学的理論と呼ぶものである。1864年以来、私のあらゆる努力はこの理論の発展に向けられてきた。私はこの理論を発展させてきた。モンペリエで開かれた会議でも、リヨンで開かれた会議でも。私が主張すればするほど、この理論は攻撃を受けた。誰から攻撃されたのか?いずれわかるだろう。」

ベシャンは続けて、明らかにした。それはパストゥールとその弟子のデュクロー(Duclaux)であると。彼らは、この説(teaching)に最も反対していたのである。彼はデュクロー(Duclaux )の言葉を引用した:

「ベシャン氏(M. Béchamp)は、気づかなかったのだ。まったく異なる2つの発生源が存在する可能性に。その発生源から、それら(発酵の揮発性酸)が発生する可能性がある。つまり、その発生源とは、糖と酵母である。」

彼はまた、デュクロー(Duclaux)を引用した。彼が消化(digestion)に関して異常なくらい誤解していることがよく分かる文章である:

「アルコール発酵において、ある重量の糖が、100分の1も1000分の1も小さな重量の酵母によってアルコールに変化するのを見るとき、信じがたいのである。この糖が酵母の体の一部になったとは。そして、アルコールが酵母の排泄物のようなものであることも信じがたいことである。」

ベシャンが明らかにしたこの誤解は、パストゥールも報告書(memoir)の中の考察(discussion)で繰り返している。彼はこう述べている:

「発酵の化学現象を他の多くの現象から区別すること。特に、通常の生命(ordinary life)の作用から区別することは、作用している発酵体の重量よりも大きな重量の発酵性物質が分解されるという事実である。」

教授は、説明を繰り返した。彼は1867年に、このような粗雑な反論に対して回答を与えていた。彼は、その議論は生理学的な過程に無知な人たちによってのみ提唱されたものであることを示した。そして、彼は100年生きた人間を例えにして説明した。その人物の体重が60kgだとして、その人物に食料を加えてやると、生きている間に2万kg相当の尿素のような何かを消費することはできるだろう。ベシャンはこう結論づけた:

「このように、認めることはできないのである。パストゥール氏(M. Pasteur)が、栄養摂取の現象であることを理解して発酵の生理学的理論を確立したとは思えないのである。この学者とその弟子たちは、この理論と反対の見解をとっている。私は、アカデミーに求める。パストゥール氏(M. Pasteur)のこの見解の転向を記録に残すことを許可して頂きたい。」

 これまでのところ、ベシャン教授は、パストゥールが最後に試みた盗用行為を無視していた;しかし今、アカデミーの同じ会合で、12月2日、エストル教授(Professor  Estor)とともに、彼は『1872年10月7日にパストゥール氏が行った通信に関する考察(Observations upon the Communication made by M. Pasteur on the 7th October, 1872)』⁽²¹⁾ と題する共同報告書を発表した。そして、2人はこう述べた:

「パストゥール氏(M. Pasteur)は、去る10月7日、アカデミーにおいて、一般的な細胞の役割に関する新しい実験を発表した、その実験では、それをある特定の状況下における発酵の原因因子として考えている。彼の報告書の主な結論は以下の通りである:

1. すべての生きとし生けるもの(being)は、特定の条件下では発酵体である。遊離酸素の作用が一時的に停止しないものは存在しないからである。

2. 細胞は、それを構成する生き物(being)や 臓器と同時に死ぬわけではない。

3. パストゥール氏(M. Pasteur)は、すでに得られた結果から、こう予見している。新しい道筋が、医学の生理学と病理学に開かれることを。

ベシャンとエストル(Estor)は、過去長い間、次のような説を説いてきたのは、彼らであることを示してきた。その説とは、あらゆる生きている存在(being) ―― というよりも、そのような存在(being)に含まれるあらゆる器官や、そのような器官に含まれるあらゆる細胞の集合体 ―― が発酵体の役割を果たしうる、というものである。そして、微小な細胞状の粒子を示したのも彼らである。その粒子が発酵活性の因子であることを示したのも彼らである。

次のような卵を使って証明したのはベシャンだった:

「... ミクロザイマ以外に、組織化されたものは何もない。卵の中にあるものはすべて、化学的見地から見れば、ミクロジマの働きに必要なものである;もしこの卵の中の秩序立った状態が、激しい揺れによって乱されたとしたら、どうなるだろうか?

アルブミノイド物質と脂肪体は変化しなかった。糖とグルコゲン(glucogen)は消えた。そして、代わりにアルコール、酢酸、酪酸が認められた;完全に特徴づけられた発酵がそこで起こったのである。

それがミクロザイマ、つまり微小な発酵体(ferments)の働きである。そして、その発酵体は、観察されるすべての現象の因子(agents)であり原因(cause)なのである。

鳥の卵が、その機能を果たしたとき、つまり、鳥を作り出すという機能であるが、その時、ミクロザイマは消滅したのだろうか?違う;ミクロザイマはすべての組織学的要素に痕跡を残すことができる;ミクロザイマは以前から存在する ―― 我々はその要素が機能する間、そして、その要素が生きている間に、ミクロザイマを再び見いだすことができる;その要素の死後もまたミクロザイマを見いだすことができる;ミクロザイマによって組織は生かされているのである。組織化された生きた存在(beings)の本質的に活動的で生きている部分は、生理学者によれば、粒状原形質(granular protoplasm)である。

我々はさらに一歩進んで、ミクロザイマは原形質の顆粒(granulations of the protoplasm)であると言った。その認識(perception)には一種のスピリチュアルな洞察(spiritual insight)が必要であるが、我々は最も多様で肯定的な性質の実験的証明に基づいて結論を出した。

ビシャット(Bichat)は、組織を高等動物の身体の構成要素とみなした。顕微鏡の助けを借りて、非常に明確に限定された粒子、細胞状のもの(cells)が発見された。それは順次、素粒子(elementary parts)として、分析の最終項として、一種の生きた分子(living molecule)として考えられた。

我々は順次、こう述べてきた:

「細胞は、独立した生命を持ち、個別に自然の中での経歴(natural history)を持っている多数の微小な生きている存在(beings)の集合体である。この自然における経歴(natural history)について、私たちは完全な記述をしてきた。我々は、動物細胞におけるミクロザイマが2つずつ結合しているのを見てきた。あるいはそれ以上の数で結合して、バクテリアへと成長し伸びていくのを見てきた。

我々は、生理学、病理学、死後におけるこれらの微小な発酵体(microphytic ferments)の機能を研究してきた。我々はまず、分泌物の機能におけるこれらの発酵体の重要性を決定した。そして、この機能は、結局のところ、栄養摂取の特別な手段に過ぎないことを示した。我々はこれらの発酵体が細胞を作るものとして捉えた...。」

我々はまた、病理学におけるミクロザイマの重要性を説いた。我々は1869年にこう述べた:

「腸チフス、壊疽、炭疽では、バクテリアの存在が組織や血液中に存在することが証明されている。そのため、これを通常の寄生(parasitism)が起きているという事実と見なす傾向が強い。しかし、これまで述べてきたことから明らかである。次のような主張は取って代わられると。つまり、疾患の源泉(source)と原因(cause)は、外来の芽胞(germs)が生体内に侵入することでもなく、その侵入の結果として起きる作用が伴っているのでもないのである。その代わりに、ミクロザイマの正常な機能が損なわれているに過ぎないと断言されるべきである。その形態が変化していることによって生じているのである。」⁽²⁰⁾

伝染病やウイルスに関する現代的な研究はすべて、ミクロザイマという学説の外では根拠がない。生物が死んだ後、我々は1869年のモンペリエの医学会議で再び述べたように、物質は原始的な状態に戻る必要がある。その物質(身体)は、組織化された生きた存在(living being)に一時的に貸与されただけだからである。

最近になって、過剰な役割が空気によって運ばれる芽胞(germs)に与えられている;空気は芽胞を運んでくるかもしれないが、芽胞は本質的なものではない。バクテリアの段階にあるミクロザイマは、確信するのに十分である。腐敗(putrefaction)を起こすことによって、物質の循環が起きていることを確信することに。

このように、我々は長い間、実証してきた。細胞が発酵体として振る舞うことができることだけでなく、この役割を果たすのは細胞の中のどの部分なのかも実証してきた。細胞は、こう言われてきた。生き物(being)や器官と同時に死ぬことはないと。細胞が、身体や器官の一部を構成しているが、そうならないと。だが、この主張は表現が悪い。

細胞は、十分な速さで死滅する。ただし、それが外皮や核でできたようなものだと考えるならだ。死骸(corpse)の組織学を研究することは不可能であることはよく知られているように、死骸はさまざまな発酵を起こす;死後数時間後には、無傷の上皮細胞を一つも見つけることができないこともある。

言うべきことは、細胞全体は死なないということだ;このことは、私たちが長い間、実証してきた。細胞の中で生き残る部分を培養(rearing)することによって。

パストゥール氏(M.  Pasteur)は、予見した。 生理学に新たな道が開かれることを。しかし、1869年、我々はそれまでの仕事のすべてを纏めて要約を書いている:

「生きた存在(living being)は、ミクロザイマに満ち溢れ、これら微小植物的な(microphytic)発酵体(ferments)と共に自らの中に持っている。すなわち、生命、病気、死、そして完全な死滅(destruction)の本質的な要素を持っているのである。」

この新しい道を、我々は予見していただけでなく、何年も前に実際に切り開いてきた。そして、粘り強くそれを追求してきたのである。」

この控えめながらも非難に値する抗議を前に、パストゥールは沈黙を守ることができなかった。12月9日、パストゥールはアカデミーに「前回の会議でベシャン氏とエストル氏が発表した3つの報告書に関する考察(Observations on the Subject of Three Notes Communicated at the Last Session by Messers. Béchamp and Estor)」⁽²³⁾を提出した。彼はこう述べた:

「私はこれらの報告書(notes)や優先権の主張を注意して読んだ。それらの中には、評価があるだけである。また、私が論争する権利があると信じている真実と、いくつかの理論があるだけである。その責任は、その著者たちに委ねる。後日、暇を見て、この判断を正当に評価したい。」

しかし、どうやらそんな余裕はなかったようで、パストゥールは沈黙を守っていた。

「彼の判断の正当化」は得られず、ベシャン教授とエストル(Estor)教授は1872年12月30日に次のような文書(note)を送った:⁽²⁴⁾

「我々はアカデミーに対し、記録することの許可を求める。ベシャン氏(M. Béchamp)と我々自身の名前で挿入された見解、すなわち、議事録(Comptes Rendus)の本編の1284ページ、1519ページ、1523ページに掲載された見解が、未回答であることを。」

事実は確かに答えようがない。この有名な化学者、彼は大衆の耳目を集めたが、その大衆は非常に真に受けやすいもの(credulous organ)である。彼は、ベシャンの研究の多くを自分のものとして提唱していたのだが、今や、ミクロザイマの学説に踏み込もうとして、完全に足止めを食らったのである。ここで彼は立ち止まり、「発酵とは空気のない、酸素のない生命である」という彼が編み出した主張で満足するしかなかった。これに対して、パストゥール自身が認めた検証の時期を適用してみると、彼の崇拝者たちが彼の説明の欠陥を残念そうに認めているのがわかる。彼の伝記作家であるフランクランド教授夫妻(Professor and Mrs. Frankland)は言う:

「批判についてここで論じるのは場違いであろう。この批判が、現在活発に行われているが;パストゥールの見解を受け入れることに対する主な反論の1つは、酵母の発酵力を見積もる際に、時間の要素をまったく考慮に入れていないことである...。

今年(1897年)に入って、E. ブフナー(E. Buchner)が次のことを発見した。糖のアルコール発酵を引き起こす可溶性因子(soluble principle)が、酵母細胞から抽出される可能性があることを発見したのだ。そして、これにチマーゼ(zymase)と命名することが提案された。この重要な発見は、発酵の学説に新たな光を投げかけるものであるため、近い将来、この問題を新しく、より決定的な方法で解決することが可能になるだろう。したがって、おそらくあり得ないことであろう。この可溶性のチマーゼ(soluble zymase)の作用が空気の有無に影響されることは...。」⁽⁵⁾

このように、検証の時期(test of time)が、パストゥールの声明に対する答えを与えてくれるのだ!そして、もしパストゥールの支持者たちが、フランス科学アカデミーの古い記録や、忠実な義理の息子による彼への賞賛の記録を研究しさえすれば、彼らの見解が変わるだけでなく、彼らはブフナー(Buchner )が発見したと勘違いする失態を犯さなかっただろう。その発見は、19世紀末にアントワーヌ・ベシャン教授が数十年前に既に行っていたのだ。


脚注

  1. “Le corps des animaux est formé, dans les cas ordinaires, a l’introduction des germes des étres inférieurs.” Comptes Rendus 56 p.1193.
  2. ibid. pp.1189-94
  3. ibid. p.1194.
  4. Life of Pasteur, by René Vallery-Radot, p.141.
  5. Comptes Rendus 75, pp.837-839.
  6. ibid, pp.962-966.
  7. ibid, pp.1036-1040.
  8. ibid, p.1199.
  9. ibid, p.781.
  10. Comptes Rendus 75, p.784.
  11. Comptes Rendus 73, p.790.
  12. Comptes Rendus 75, pp.1059, 1060.
  13. Comptes Rendus 75, pp. 1063-1065.
  14. ibid, p.1168.
  15. ibid, p.1219.
  16. Comptes Rendus 75, p.983.
  17. Comptes Rendus 88, p.249.
  18. Le Transformism Médical, M. Grasset, p.136.
  19. Comptes Rendus 75, pp.1284–1287.
  20. Comptes Rendus 75, p.1519.
  21. Comptes Rendus 75, p.1523.
  22. Congrés Medical de Montpellier, 1869. Montpellier Midical, Yanvier, 1870.
  23. Comptes Rendus 75, p.1573.
  24. ibid, p.1831.
  25. Pasteur, by Professor and Mrs. Frankland, ch.9.
  26. René Vallery-Radot.

ワイン発酵の原因を最初に発見したのは誰なのか

―― ベシャンかパストゥールか?

ベシャン

1864年

10月10日

科学アカデミーへの通信⁽¹⁾『ワイン発酵の起源'(The  Origin  of  Vinous Fermentation)』について。 次の実験に関する説明。その実験では、ブドウの発酵は、ブドウの果皮に付着する有機体(organisms)によるものであることを証明した。そして、その有機体は、ブドウの木の葉やその他の部分にも付着していることが分かった。そこでブドウの木に病気があると、発酵の品質や それから得られるワインに影響を及ぼす可能性があることを証明した。

パストゥール

1872年

10月7日

 

科学アカデミーへの通信⁽¹⁾ 『ワイン醸造の酵母菌はブドウの外皮に由来することを実証する新たな実験(New  Experiments  to Demonstrate that the Yeast Germ that makes Wine comes from the Exterior of Grapes)』について。


補論

ベシャンの発見はパストゥールよりも8年早い。そして、彼の説明はかなり充実していた。パストゥールは、ベシャンの主張を認めるようになったか?つまり、空気中の有機体(organisms)の作用とは別に発酵が存在するという、ベシャンの主張に対して。しかし、パストゥールは、このベシャンの発見に対するいかなる主張も、それを実証することに失敗している。

1872年

ベシャンとエストル(Estor)

12月2日

科学アカデミーへの報告⁽²⁾『10月7日付けパストゥールの報告書に関する観察(Observations  upon  M. Pasteur’s Note of the 7th October)』について。過去何年もの間、次のような説を述べていたのは彼らであることが、示されている。あらゆる生きとし生ける存在(being)、いやむしろそのような存在の中のあらゆる器官、そしてそのような器官の中のあらゆる細胞の集合体が、発酵体の役割を果たすことができると。それは、微小な細胞状の粒子によってであり、それが発酵の因子である。

この生理学への新たな道筋は、彼らが予見していただけではない。その道筋を切り開き、長年にわたって執拗に追求してきたのである。

12月30日

科学アカデミーに宛てた文書⁽³⁾で、次のような事実を記録することを求めた。「パストゥール氏の通信」に関する彼らによる考察が、未だに回答されずにいるという事実の記録である。

パストゥール

10月7日

科学アカデミーに送られた通信⁽²⁾に、「酸素の助けを借りずに生きているすべての存在、すべての器官、すべての細胞は、発酵体の性質を持っているはずである。」と記載した。

「生理学と医学病理学への新たな道」の幕開けが予見された。

12月9日

科学アカデミー⁽³⁾に表明した。後日、時間のある時に反論できるようにしたいと。ベシャン氏とエストル氏(Messrs. Béchamp and Estor)の通信に反論したいと述べた。



脚注

  1. Comptes Rendus 59, p.626.
  2. Comptes Rendus 75, p.1523.
  3. ibid, p.1831.

脚注

  1. Comptes Rendus 74, p.781
  2. Comptes Rendus 75, p.785.
  3. ibid, p.1573


自然が起こした実験
自然が起こした実験