第二審

被控訴人準備書面1

答弁書の内容を理解しやすくするために控訴人の「控訴人準備書面1」の記述内容も記載する。

事件番号 令和 6 年(行ヌ)第 1 号
控訴提起事件
控訴人  有馬ジキ
被控訴人 山形県 他 1 名

被控訴人準備書面1

令和6年6月17日

仙台高等裁判所第3民事部C係 御中

上記被控訴人ら訴訟代理人

弁護士 ●●●●    

 

第1 控訴人準備書面(1)に対する認否

1 第1 控訴人の主張について

(1) 同1について

(1) 第一審では、当該命課の理由として、異なる3つの理由が存在していた。①山形県立米沢養護学校(以下「本件学校」という。)●●●元校長(以下「●●元校長」という。)が説明する「命を守るため」、②被控訴人山形県教育委員会(以下「県教委」という。)が説明する「控訴人が感染症対策に協力しないため」、③被控訴人らが被告準備書面 1 で主張する「県教委の通知(乙 3)に基づくもの」の 3 つである。ここで、令和 5 年 3 月 8 日付け県教委発出の『令和 4年(措)第 3 号措置要求事案に係る確認書の提出について』(以下「『県教委確認書』」という。)(甲 21)が、事実と異なる虚偽の内容であることが警察の調べによって裏付けが取れたこと(甲 32)を受けて、上記 3 つの理由の中で検討されるべき「当該命課の理由」は、命課を発令した当時の校長であった●●元校長が、令和 4 年 4 月 1 日に控訴人に直接(甲 1)、または職員会議(甲 5)で説明した①「子供、保護者、そして先生方の命を守るため」であると主張する。

第1審で、本件命課の理由として異なる3つの理由が存在していたとの記載の意味が不明であるので不知。被控訴人が主張した本件命課の理由は令和5年6月30日付け準備書面1、第2、2以下に記載の通りである。

山吉校長の説明の事実、被控訴人県教委が作成した甲21号証に記載されている文言、及び甲1号証及び甲5号証記載の事実は認める。

その余は不知乃至否認する。

イ (2)は認める。

(2) 一方、被控訴人らは被告準備書面 1、第 2.2.(2). ア〔11 頁〕で当該命課の理由を、令和 3 年 7 月 5 日付け県教委発出の③「『県立特別支援学校における「新しい生活様式」を踏まえた学校運営方法について』(乙 3)の通知(以下「県教委通知」という。)に基づくもの」であると最終的に主張した。

ウ (3)のうち、甲8号証及び甲10号証の記載の事実は認め、その余は不知乃至争う。

(3) しかし、県教委は③「県教委通知に基づくもの」という理由に至る前に、②「控訴人が感染症対策に協力しないため」という理由を挙げていた。具体的には、令和 4 年 9 月 30 日県教委発出の『意見書に関する補足説明について』(以下「『県教委意見書』」という。)(甲 8)において、当該命課の理由を「有馬教諭に対し感染対策に協力するよう求めたが、有馬教諭は新型コロナウイルスの存在を認めておらず、協力を得られなかった。」ことを根拠に命課したとしていた。

しかし事実は、令和 2 年 8 月 23 日に行われた●●元校長が校長に就任する前の校長であった〇〇〇元校長(以下「〇〇元校長」という。)との面談において、マスク着用の職務命令が出されたことに対して控訴人は従ったのであり、従ったからこそ授業に出ることが認められていたのである。したがって、県教委は『県教委意見書』(甲 8)において事実と異なる説明を行い、それを根拠として命課したと主張していた。それを裏付けるように、この説明に対して令和5 年 1 月 11 日に行われた控訴人との面談で●●元校長はこの理由を否定している(甲 10)。このことからも、県教委は●●元校長から事実確認を行っていないことが窺えるのであり、事実に沿って説明する意識が低いことが分かる。

エ (4)は、否認し争う。

(4) 更に、『県教委意見書』(甲 8)に続いて県教委から発出された『県教委確認書』(甲 21)は警察の調べによって事実と異なる虚偽の説明を含んでいることが分かっており(甲 32)、県教委は事実に沿って説明する意識が低いだけではなく、虚偽を発することに何ら抵抗がないことが見て取れる。したがって、県教委の説明は信用するに値しないことは明らかである。

オ (5)は、甲10号証記載の事実は認め、その余は否認し争う。

(5) 訴状、第 2.5.(19)〔25 頁〕でも指摘しているが、●●元校長は命課の理由が「命を守る」に尽きると断言しているのであって、それ以外の理由を否定している(甲 10)。以上より、事実と異なる説明を繰り返す県教委の説明は勿論のこと第三者が説明する理由は無効であり、●●元校長自身の口から発した理由が当該命課の理由であると考えるべきである。即ち、当該命課の理由は①「命を守るため」であると考えるのが妥当である。

(2) 同2について

ア (1)について

(1) 陳述書(甲 32)で説明した告発事実にあるような説明を当時教頭であった●●●●●元教頭(以下「●●元教頭」という。)が保護者にしていないことが、警察の調べによって分かっている。被告準備書面 1、第 1.2.(2)〔1 頁〕、及び第 2.3〔12 頁〕でも、●●元教頭が上記説明を保護者にした事実はないと記載されており、被控訴人らもそれを認めているのであるから、『県教委確認書』(甲 21)が事実と異なる説明をしていることは争いようがない事実である。

被告準備書面1第1、2(2)及び同書面第2、3記載の事実、甲21号証記載の文言は認め、その余は不知乃至争う。

イ (2)について

(2) 上記事実と異なる説明に続いて書かれている内容は、「咎めることはしていないが、感染症対策として不十分であると認識しているため、認めていない。」であり、県教委がネックウォーマーによる感染症対策を認めていないことを主張するために虚偽の説明を行ったのであった。

甲21号証記載の文言は認め、その余は不知乃至否認する。

ウ (3)について

(3) 訴状、第 2.5.(26)〔30 乃至 33 頁〕で指摘した通り、マスクに代わる代替手段としてネックウォーマーを持ち出したのは●●元教頭であって(甲 4)、代替手段自体も控訴人に全てを委ねたのである。それを控訴人が「認められていた」と指摘した後に県教委が「認めていない」と主張するのは、明らかに無理がある。仮に、感染症対策として不十分であったのなら、指摘すればよいことである。しかし、〇〇元校長も●●内元教頭も県教委もその指摘をしなかった。それだけでなく、虚偽説明で「認めていない」と主張しようとしたのである。つまり、県教委の「認めていない」という主張は、事実と異なる虚偽の説明によって当該命課の正当化を企図したものであって、到底認められるものではない。

甲4号証記載の事実は認め、その余は不知乃至否認する。

エ (4)について

(4) 以上より、控訴人がマスク着用の代替手段としてネックウォーマーを着用することについて、本件学校から感染症対策として不十分であると指摘されていないことから、本件学校はその代替手段を認めていたと解釈するのが妥当である。

否認し争う。

(3) 同3について

ア (1)について

(1) 以上の議論により、●●元校長が就任する以前に本件学校が認めていたネックウォーマーによる代替手段を、●●元校長が命令権を利用して一方的に破棄し、控訴人に対して更に、控訴人を担任業務から外し別室勤務という感染症対策を追加した、というのが当該命課の実態であるということができる。そして、その当該命課を正当化する理由が、「命を守るため」であったということである。

しかし、「命を守るため」という理由が熟慮の上に発せられたものではなく、浅慮な思い込みによるものであった。それだけでなく、如何なる理由であっても、一度認めたものを一方的に破棄することは、不当であり命令権の濫用であると主張する。以下、理由を述べる。

否認し争う。

イ 同アについて

ア 「命を守るため」が合理的であることの説明が、●●元校長本人ができていない。

 訴状、第 2.5.(10)〔18 乃至 19 頁〕で主張したように、「命を守るため」という理由が非合理的であると控訴人が指摘したことに対して、●●元校長の説明は二転三転し一貫性がなかった。更に、死ぬということまで考えていなかったが「そういう言葉を使ってしまった。」(甲 6)という発言から分かるように、●●元校長が「命を守るため」という言葉を安易に使ってしまったと受け取れる発言をしている。また、控訴人がマスク不着用で校内を歩き回ることを許可するのは、他者に「感染させる危険が低いっていうふうに考えているから」であるという指摘に対して、●●元校長は「今はそういうふうになっている。」と回答しており(甲 6)、マスク不着用でも他者に感染させる可能性が低いことを認めている。以上の事実は、当該命課の「命を守るため」という理由と明らかに矛盾しており、当該命課の必要性が存在していなかったことを意味している。

実際、控訴人は命課当時健康であり他者に感染させる危険もなかったし、命課以前も以後も控訴人から感染が拡大した事実はなかった。したがって、●●元校長の発言からも、控訴人の健康状態からも、「命を守るため」という理由に合理性や正当性を与えるような危機が命課当時にはなかった。

 

甲6号証記載の事実は認め、その余は不知乃至争う。

ウ 同イについて

イ ●●元校長は控訴人の医療を選択する権利を無視している。

訴状、第 2. 5.(9)〔17 乃至 18 頁〕で主張したように、感染症予防は明らかに医療であり、控訴人には自身の健康を維持するために医療を選択する権利がある。命課当時も感染症対策を義務付ける法律は存在せず、国は国民に感染症対策を強制していなかった。

ネックウォーマーによる代替手段は、●●元校長の感染症対策を推進する権限と、控訴人の医療を選択する権利の衝突を調整するための、お互いに納得できた妥協案だった。それを●●元校長は一方的に破棄したのであり、控訴人の医療を選択する権利を無視し蔑ろにした。

本来ならば、この妥協案に問題があると●●元校長が判断したのであれば、その説明を控訴人に行うべきであるし、控訴人の医療を選択する権利を尊重して、更なる妥協点を探るべきであったがそれを怠った。以上より、●●元校長は控訴人の医療を選択する権利を軽視し、何ら配慮しなかったのであるから、明らかに命令権の濫用である。

 

否認し争う。

エ 同ウについて

ウ ●●元校長は、文部科学省(以下「文科省」という。)や山形県、法務省のマスクを着用できない人への差別や偏見に対する注意喚起を無視している。

 被控訴人は感染症対策推奨の通知ばかりを強調するが、訴状、第 2.5.(4)〔14 頁〕で指摘した通り、文科省は保健教育指導資料『新型コロナウイルス感染症の予防』で、「マスクをしていない人」を嫌悪の対象にしてしまうことで差別や偏見が起こることを指摘していること(甲 33)については無視している。

 それに対して●●元校長は、訴状、第 2.6.(2)〔37 頁〕にあるように、命課当日の職員会議で命課の理由を「命を守るため」と全教職員に伝えたため、控訴人が他者の命を奪う存在である印象を教職員に与え、高等部教員からは「マスクを着けていないのに子供達に話しかけないでください。」と言われたり、控訴人の高畠町立中学校への異動が取り消しになったのは、控訴人が異動先の校長に「マスクをしない」と脅したからだという控訴人を貶めるような事実とは異なる噂が流されたりした(甲 49)。

 ●●元校長は上述の通り、「命を奪うとまで思っていなかった。」にも関わらず、安易に「命を守るため」と全教職員に説明した行為は、マスクができない教員に対する配慮に欠けており、控訴人に対する差別や偏見を誘発させる結果を招いた。それによって、控訴人は幾度もの精神的ダメージを受けた。

 以上より、当該命課の理由である「命を守るため」は、文科省が指摘しているように控訴人に対する差別や偏見を生むものであり、極めて不適切である。控訴人に対する偏見を招く結果となった理由は、文科省が感染症対策を推奨する通知ばかりを採用し、同じく文科省がその結果人権侵害を招く可能性があるから慎重に進めなければならないという指摘(甲 33)を●●元校長が無視したことにある。

また、山形県のホームページでマスクを着用できな人への配慮を求めていること(甲 34)を控訴人が●●元校長に知っているかを確認したところ、「うん。」と返答していた(甲 1)。つまり、●●元校長はマスク着用困難者に対する配慮がなければ、困難者に対する差別や偏見が起こることを知っていたことになる。●●元校長の当該命課は、控訴人に対して差別や偏見が起こることを分かった上で発令されたものであり、感染症対策の推進と人権尊重のバランスを取ることなど全く念頭にない偏狭な命課であって、人権尊重に対する極めて配慮に欠けた命課であったと言える。このことからも、当該命課は命令権の濫用であると言える。

 

甲1号証記載の事実及び、甲33及び同34号証記載の事実は認め、その余は不知乃至争う。

オ 同エについて

エ 「命を守るため」という理由に科学的な裏付けが不存在であり、何一つ合理性が存在しない。

脇田隆字国立感染症研究所(以下「感染研」という。)所長が監修し、正林督章前厚生労働省(以下「厚労省」という。)健康局長が編集した『令和4年度地域保健総合推進事業新型コロナウイルス感染症対応記録』(以下「『感染症対応記録』」という。)、第 4 章.5.(4)「新型コロナウイルス感染症パンデミックにおける教訓 1:アジア人不足の影響」〔128 頁〕では、「危機管理という営みは、科学ではない。(中略)危機管理の一分野である感染症危機管理も同様である。」と書かれている(甲 35)ように、国の感染症対策は科学ではない。したがって、その考えに基づいて作られた通知に書かれた感染症対策も科学ではない。よって、その通知を参考にした当該命課やその理由も科学ではない。

ここで言う「科学」とは科学の本質である「反証可能性」を有することを意味しており、正当な批判と正当な反論による真理の探究を意味する。ここでの「正当な」とは、「根拠が示された論理的な正しさを有している」ことを意味する。よって、「感染症対策が科学ではない。」が意味するのは、正当な批判と正当な反論による真理への探求が欠如しているということである。

ここでは、国が示す感染症対策や、新型コロナウイルス感染症が科学ではないことを指摘し、その結果、当該命課及びその理由に科学的根拠がなく合理性がないことを主張する。

 

不知乃至争う。

カ 同エ(ア)乃至(ク)について

(ア) 法律や通知の内容はともかく、現実では感染症対策をしていない控訴人が発症することはなかったが、その一方で感染症対策をしっかりしていた者ばかりが発症している。寧ろ、控訴人よりも感染症対策を実行している集団の中で陽性者の拡大が起きていた。このような事実の指摘に対して、議論が行われることはなく正当な反論はなかった。

(イ) この観点について興味深い経験をした。控訴人が現在勤務している本件学校やまなみ学園分教室を設置している福祉型障害児入所施設である山形県立やまなみ学園では、令和 6 年 2 月頃に利用者の一人が陽性と診断された。それに対してやまなみ学園は徹底して感染症対策を行い、職員は防護服を着用し全身にアルコール消毒液を噴霧した。分教室の教員は感染症対策は任意であったので、控訴人も含めてマスクを着用していない者がいた。この状況で、やまなみ学園の職員に陽性者が広がった一方、分教室教員は誰一人発症すらしなかった。理由は明らかである。消毒は微生物に対して毒性があるから、微生物を不活性化できるのであり、生物に対して毒性があるのである。したがって、消毒液を大量に人体に噴き掛ければ、発症するのは当然のことである。つまり、感染症対策が発症の原因であったということである。

(ウ) つまり、現実で感染症対策をしている集団の中で陽性者が拡大していたのは、感染症対策が健康や命の危険を冒しているからであったということである。そのような指摘は論文等でも多数見られる。また、控訴人も令和2 年の感染症が騒がれるようになった当初から、職場で過剰な感染症対策の危険性を指摘していた。訴状〔70 頁〕の図 1 に示したグラフから分かるように、陽性者が爆発的に増加したのはワクチン接種が開始された後であり、それ以前は陽性者数は微々たるものであった。一般的に、ワクチンには抗体を獲得するために、体内で炎症を起こすことを目的としたアジュバントと呼ばれる毒物が混ぜられている。その炎症が、一般的に副反応と呼ばれている症状を引き起こす。その結果、健康被害が起きているのである。実際、令和 6 年 4 月 17 日には、新型コロナワクチン接種後に死亡した方々の遺族 13 名が国を相手に集団訴訟を起こしている(甲 36)。感染症対策や予防が健康被害を起こすという指摘や批判を、国や科学者及び専門家たちが無視し続けてきたため、このような事態を招いたのである。

(エ) 『感染症対応記録』、(2)新型コロナウイルス感染症の病態生理〔43 頁〕では、「新型コロナウイルス感染症の患者の大多数は、ほぼ無症状に近いか、感冒様症状のみで自然軽快する。」と書かれている(甲 35)。新型コロナウイルス感染症は毒性や感染性が高いという触れ込みであったし、●●元校長もそれを信じて当該命課を発令したと思われるが、実際には、国はこの感染症に感染しても無症状か軽症であると評価しているのであっ
て、新型コロナウイルスの毒性が低いことを認識していたのである。

また、「患者の大多数は、ほぼ無症状に近い」という事実は、仮に患者の体内で病原体による感染が起きていたとしても、感染と症状に相関関係が認められないことを意味している。このことから、感染と症状に因果関係が認められないことが言えるのであり、言い換えれば、新型コロナウイルスによる感染が症状の原因であると断言できないことを意味している。これは新型コロナウイルスが病原体であるという主張に矛盾する。そして、患者の症状の原因は他にあることを示唆している。

(オ) ウイルス学の説明では、新型コロナウイルスなどのエンベロープウイルスのエンベロープは宿主細胞膜由来であり、ウイルス由来ではない(甲 37)。これはウイルス学においては教科書にも載っている基礎知識である。

この説明から導かれることは、次の事柄である。①宿主由来の蛋白に覆われている粒子が宿主にとって無害である¹⁾ 。②宿主由来の蛋白がウイルスの遺伝子で変異するわけがない²⁾。以上から、エンベロープが宿主細胞膜由来であるという説明は、病原ウイルス粒子が病原体であるという説明と矛盾している。

(カ) 日本ウイルス学会によれば、病原ウイルスの定義は「核酸を含む感染性粒子」とされる(甲 38)。感染とは一般に、「寄生微生物が宿主に侵入して寄生し増殖する」ことを意味する。病原ウイルス粒子は代謝を行わない無生物粒子であるが、このような無生物粒子が感染性を持つことは有り得ない。何故なら、それは無エネルギーで宿主に対して「感染」という行為を行うことができる粒子が存在することを意味するからであり、言い換えれば、無エネルギーで外部に仕事をすることができる粒子の存在を意味するからである。つまり、これは物理法則に反している。仮にこのような粒子が存在するならば、物理学史上の大発見になる。

したがって、日本ウイルス学会が示した定義を満たす粒子が存在することを主張するならば、その存在を実験等で示す必要があるが、ウイルス学の説明では病原ウイルス粒子を単離することは技術的に困難である(甲39)として、その存在を示すことができないでいる。このような事態は、科学一般ではその主張に蓋然性がないとされるのであるが、上述の通り感
染症対策が科学ではないので、定義を満たす粒子の存在性に関する科学的な議論は行われない。

実際、日本物理学会にそのような定義を満たす粒子の存在性について確認したが、回答を拒否された(甲 40)。このことからも、ウイルス学は科学的議論がタブーとされている領域であることが分かる。

また、令和 6 年 3 月 5 日付けで控訴人は厚労省に対して上述の指摘に反論できる文書の開示請求を行ったが、同年 4 月 10 日付けで不開示が通知された(甲 41)。つまり、厚労省は宿主に感染という行為を行う粒子の存在を証明できないのである。

以上より、ウイルス学の説明は正当な科学的批判に耐えうるものではなく、ウイルス学は科学的領域ではないことが事実上証明されたと言える。

(キ) ウイルス粒子の存在は、科学的には証明できないが、法的に証明できる。何故なら、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(以下「感染症法」という。)」に、様々なウイルス粒子がそれぞれの感染症の病原体として規定されているからである。上述の通り病原ウイルスを単離することはできないのであるから、その存在を確認することは不可能であり、当然病原体であることを証明できない。にも拘らず、法律に規定できるのは、用語の意味をすり替えたある意味詐欺的な手法が使用されているからである。

新型コロナウイルス感染症およびその病原体が感染症法に規定された経緯は次の通りである。①令和 2 年 1 月 30 日、WHO が緊急事態宣言をし(甲 35)、その翌日の② 1 月 31 日に、国立感染症研究所(以下「感染研」という。)が分離報告をした(甲 42)。そして、その翌日の③ 2 月 1 日に、国は新型コロナウイルス感染症を指定感染症に指定した(甲 35)。

国が指定感染症に指定する前日に、感染研が分離報告を行っているが、その理由は「病原体が分かっている」ことが指定感染症に指定することの条件だからである。何故なら、感染症法第 6 条第 8 項が規定する「指定感染症」の定義に、「既に知られている感染症」とあるからで、この文言の意味について、令和 5 年度第 1 回感染症危機管理研修会において、感染研感染症危機管理研究センター長である齋藤智也氏が作成した資料『感染症対策に関係する法律について 感染症法』³⁾ の 12 頁において「既知の感染症(病原体が分かっている感染症)」と説明されている(甲 43)。つまり、国は指定感染症に指定するために、病原体が分かっている必要があったために感染研に分離報告をさせたのである。

ここで、一般的な用語としての「分離」は「単離」と同義であるが、ウイルス学ではプラーク法を意味することに注意が必要である。ウイルス学では病原体が宿主細胞に感染すると、その細胞を破壊しプラークが発生すると考えている。宿主細胞が死滅することを細胞変性効果(CPE)というが、患者から採取した検体を培養細胞に接種した結果、細胞変性効果が確認されると「分離」に成功したと考える(甲 44)。つまり、ウイルス学では、細胞変性効果が病原体の存在を証明しうると考えている。しかし、細胞培養の領域では、抗生物質の過剰投与や栄養制限が細胞変性効果の原因になり得ることは常識であり、細胞変性効果の原因が必ずしも病原体によるものであると断言できないのである。病原体が原因であることを証明するには、検体を接種せずに全く同じ手順で分離実験を行う必要があり、接種しない場合は細胞変性効果が起きないことを確認する必要がある。これは科学の分野で当然行われるべき対照実験と呼ばれるものであるが、感染研は対照実験をしていない(甲 45)。それだけでなく、令和 4 年 5 月 8日付けで控訴人は対照実験を行うよう要請した(甲 46)が、感染研はその要請を無視した。また、同様に感染研が行った分離方法で分離に成功していた山形県衛生研究所に対照実験を行うように、控訴人は同年 2 月 6 日付けで被控訴人山形県に要請した(甲 47)が、同年同月 15 日付けて拒否された(甲 48)。以上より、感染研の分離方法による分離報告は科学的に必要な手順に従っておらず無意味である。

このような科学的無意味な分離報告を根拠に指定感染症に指定したので、科学的には病原体の存在を証明できないが、法律上では証明できるという極めて不適切な状況になっている。そのため、司法上でも科学的な議論はできないでいる。

(ク) 以上の議論より、感染症法は科学に基づいていないのだから、感染症法を根拠にした如何なる法律も、如何なる通知も科学に基づいていないのであり、通知の中で推奨されている感染症対策は全て科学に基づいていない。よって、当該命課で控訴人に行った感染症対策も科学に基づいていないし、当該命課の理由である「命を守るため」も科学に基づいていない。だから、控訴人がマスク等の感染症対策を行わなくても、何ら発症しなかったし、少しも感染を広げることがなかったのである。それは事実が証明している。したがって、当該命課及び当該命課の理由に何一つ科学的な合理性が存在しないのは明らかである。

 

 

不知乃至争う。

カ 同(2)について

(2) 以上をまとめると、当該命課の合理性や当該命課の理由の正当性について、①●●元校長は説明できず、それだけでなく②控訴人の医療を選択する権利を蔑ろにし、更に③文科省からのマスク着用困難者に対する差別や偏見に対する注意喚起を無視しており、この当該命課に合理性も正当性も存在しない。そして、④科学的な裏付けが何一つないのであって、現実は感染症対策を行った者達が発症するという結果を招いた。以上より、当該命課に合理性もその理由に正当性も皆無であって、本件学校が認めていた代替手段を一方的に破棄する必然性もなく、控訴人の人権を尊重せずお互いの権利行使の衝突を調整する妥協点を探ることを●●元校長が怠ったことは、不当であり命令権の濫用である。

否認し争う。

(4) 同4について

ア (1)について

(1) ●●元校長は〇〇元校長によって認められていた代替手段を一方的に破棄して、更に当該命課によって控訴人対して感染症対策を追加した。

山吉校長が控訴人に対し本件命課を命じたことは認め、その余は否認し争う。

イ (2)について

(2) そして、「命を守るため」という理由を全教職員に伝えたために、控訴人が他者の命を奪う存在であるという印象を全教職員に与え、文科省が注意喚起をしていたマスク着用困難者に対する差別や偏見を一部の教職員が抱いた結果、差別的な言動が控訴人に対して行われたという事態を招いた。

「命を守るため」という理由を伝えたことは認め、その余は否認し争う。

ウ (3)について

(3) 県教委は事実と異なる説明でもってネックウォーマーによる代替手段を「認めていない」と主張し、当該命課を正当化しようとした。

ネックウォーマーによる代替手段を認めていない点は認めその余は否認し争う。

エ (4)は、否認し争う。

(4) 当該命課の合理性や当該命課の理由の正当性の根拠となる感染症法や通知に科学的な裏付けがなく、現実に起きた現象や状況も法律や通知が予想した結果とは異なり、当該命課の必要性を証明できるものは何一つ存在しなかった。

 

オ (5)は、否認し争う。

(5) 被控訴人は●●元校長の感染症対策を推進する権利を一方的に主張するばかりだったが、その一方で、●●元校長が当該命課の合理性について何ら説明もできず、必要性についても矛盾した説明を繰り返し破綻していた。

カ (6)は、否認し争う。

(6) ●●元校長は立場上、控訴人の医療を選択する権利を尊重するべきであり、●●元校長の感染症対策を推進する権利と控訴人の人権の行使の衝突を調整するために、妥協点を探るべきであったところをそれを怠った。

キ (7)は、否認し争う。

(7) 以上より、●●元校長が発令した当該命課は必要な控訴人の人権尊重に対する配慮に欠けた利己的な命課であり、不当であり命令権を濫用している。また、県教委の虚偽による説明も併せて考えると、断じて許されるものではない。

 

以上