原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」
著 者:Ethel Douglas Hume
出版年:1923
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
思い起こせば、それは、アルザスの首都ストラスブールでの出来事だ。先に触れたように、彼の地で、ベシャン教授が最初の科学的勝利を収めたのである。そこで、彼は化学的研究の過程で、サトウキビ糖がブドウ糖⁽¹⁾へ自発的に変化するという通説を検証することを思いついたのである。
当時、生きている物体に由来する有機物は、植物性であれ動物性であれ、死んでいる物体とみなされていた。当時の考え方によれば、自発的に変質しやすいとされていた。これこそ、パストゥールが論争を繰り広げた信念であった。彼がどのような手段で闘っていたかは、既に批判した通りである。ベシャンは彼よりも先に、明らかにより厳密な手段でこの問題に挑戦していた。そして、彼が残した結果は、今となってはより示唆に富んでいるように思われる。
澱粉を使った実験で、ベシャンは、それまでの定説の真偽を疑うようになった。当時の定説では、水に溶かしたサトウキビ糖が常温で自発的に転化糖に変化すると考えられていた。しかし、この転化糖はグルコースとフルクトースの等量混合物であり、技術的には糖の転化として知られていた。ここに調査が必要な謎があった。この謎に取り組むにあたって、教授は後に起こることになる結果を全く想像していなかった。
1854年5月、彼は一連の観測を開始した。後に、その観察は「Expérience Maitresse」と名付けられ、最終的には「ビーコン実験(Beacon Experiment)」と呼ばれるようになった。1854年5月16日、ストラスブールの薬学部の研究室で、この一連の実験の第1回目が開始された。この実験は1855年2月3日に終了した。
この実験では、完全に純粋なサトウキビ糖を密閉栓付きのガラス瓶に入れた蒸留水に溶かしたが、わずかに空気を入れておいた。これを実験台の上に常温、拡散光下で放置した。
同時に対照実験も行った。 これらは蒸留水とサトウキビの砂糖の溶液からなる。そのうちの1つに塩化亜鉛を少々加えた。、他の1つに塩化カルシウムを少々加えた;それぞれの瓶には、少量の空気を残した。最初の、すなわち試験溶液が入っている瓶と同じようにした。これらの瓶は最初の瓶と同じように栓をした。そして、すべての瓶を実験室に並べて放置した。
数ヶ月経過するにつれ、蒸留水中のサトウキビ糖は部分的にブドウ糖に変化した。また、偏光度計は、溶液の中で変質が起こったことを示した。偏向度計の回転角度に変化が見られたのである。つまり、変質は起こっていたが、おそらく自発的な変化ではなかった。なぜなら6月15日にカビが発生し、その日から変質が急速に進んだからである。 次の表は、ベシャンの実験結果を簡単にまとめたものである。
表1 - ベシャンのビーコン実験⁽²⁾
ベシャンは、様々な溶媒100ccに16.365gのサトウキビ糖を溶かした溶液を用意した。
それぞれの溶液を様々な間隔で数回偏光させ、回転角に一定の変化を得た。
ベシャン教授は特にカビに注目した。そして、塩化亜鉛と塩化カルシウムを加えた溶液ではカビが発生しなかったことことが重要であることに気付いた;さらに、カビが発生しなかった溶液での偏向度計の変化はほとんど無視できるものであった。彼は次のように述べている:
「偏光の平面は、偶発的な変化以上の変化は見られなかった。」⁽⁴⁾
ベシャンは、1855年2月19日のフランス科学アカデミーの報告書⁽⁵⁾にこの実験結果を発表した。彼はカビについて言及した。しかし、カビの発生に関する説明は試みなかった。 彼は、それ以上の考察を将来の実験まで保留したのである。それは、カビの発生の原因を探る有力な手掛かりとなるような説明を見つける必要があると感じていたからである。それまでカビの発生の原因が、自然発生の証拠とみなされてきたのである。また、彼は砂糖を変化させる化学的メカニズムは何なのかを解明することに関心があった。そして、なぜ塩化物を添加した溶液では変化が起きなかったのかについても興味があった。
一方、もう一人の観察者であるM.モウメネも実験を行っていた。ベシャンは彼の結論に同意しなかったが、彼の観察結果に強い衝撃を受けた。その観察結果は、1856年4月7日に科学アカデミーで発表され、1856年9月に『化学・物理学年報(Annales de Chimie et de Physique)』⁽⁶⁾に掲載された。
モウメネの実験もまた、偏光測定に関係していた。次の表は、彼の主な結果をまとめたものである:
表2 - M. モウメネによる実験
ベシャンはここで、彼自身の観察が裏付けられたのを見た。『ミクロザイマ(原題:Les Microzymas)』の50頁と51頁で、ベシャンは2つの疑問について述べている。彼自身とモウメネの実験を通して心に浮かんだ疑問である:
カビは化学的活性を持っているのか?そして、
砂糖水に現れるカビの起源は何なのか?
これらの疑問に対する答えを見つけるために、彼は1856年6月25日にストラスブールで新たな実験を開始した。1857年12月5日にモンペリエで新たな一連の実験が完了した。こうして、彼はこの研究の途中でストラスブールを離れ、有名な南の大学でキャリアを続けることになった。
彼の新たな見解を、以下の表に示す:
表3 - ベシャンのビーコン実験⁽⁸⁾
特定の化学物質を加えた場合や加えない場合において、
100ccの水に15.1gmのサトウキビ糖を溶かしたもの。
この結果は、媒体に含まれる塩の違いによって効果が異なってくることを明確に示している。これは、ベシャン自身が著書『ミクロザイマ(原題:Les Microzymas)』の第2章で指摘していることである。先の実験でも示されたように、塩化亜鉛と塩化カルシウムはサトウキビの変質を防止した;また、ごく少量のクレオソートや塩化水銀も同様の防止効果があった。
このことは、ごく少量の割合で存在する亜ヒ酸や、ある種の他の塩には当てはまらなかった。それらの化学物質は、カビの発生やサトウキビの変質を妨げることはなかった。実際、塩の中にはカビの発生を促進するものもあった;その一方で、対照的なのは、クレオソートである。この物質は、この実験が行われてからようやくカルボン酸と区別されるようになった。このクレオソートは、カビの発生と砂糖の変質を防ぐのに特に効果的であった。
彼特有の正確さで、ベシャン教授はクレオソートの役割を徹底的に調査することを決意した。そして、この目的のために、1857年3月27日に別の一連の実験を開始した。その実験は、同年12月5日まで続けられた。
この実験における彼の説明は以下の通りである:
「私は、ヘテロゲネシス(自然発生)説反対論者の手法に従って、いくつか砂糖溶液を調製した;つまり、使用した水を沸騰させ、冷却した。その際、硫酸の入ったチューブを通さないと空気が入らないようにした。
この水に砂糖は急速に溶けた。いくつかの瓶は、注意深くろ過した溶液で完全に満たされた。その溶液には空気が残らないようにした。別の溶液の一部には、クレオソートを加えなかった。そして、十分に大気が触れている瓶に、不純物の混入に細心の注意を払ってその溶液を注いだ。それらの瓶の1つに亜ヒ酸を入れた。
クレオソートを入れた溶液とクレオソートを入れない溶液の瓶を1つずつ別々に置いた。ただし、実験の全過程を通じて、瓶は開けないようにした。」⁽⁹⁾
以下の表は、観測結果の要約である:
表4 - ベシャンのビーコン実験⁽¹⁰⁾
100cc中16.365gmのサトウキビ糖。
ベシャン自身、この結果を説明している。フラスコ1と2は、操作中に液体が少し失われ、完全にフラスコを液体で満たせなかった。その結果、フラスコ内の溶液に空気が触れるようになってしまった。そのため、これらのフラスコにカビが発生し、続いて溶液に変化が生じた。ただし、それが生じた時期は2つのケースで異なり、カビが多く発生したフラスコの方が変化が早かった。
それどころか、8ヶ月の観察期間中、空気に触れさせなかった砂糖水は何の変化も起こらなかった。6月、7月、8月、9月はモンペリエの気候が温暖であったにもかかわらず、発酵も起こらなかった。これは注目すべきことで、当時は水が変化するのを防ぐ手段が、何もなかったのだからである。自発的に変化が起こるというのが自然の摂理であり、それが当時の一般的な意見であったのである。さらに、クレオソートを含む溶液は最初から空気に触れていた。しかも、特定のフラスコは開けっ放しであったにもかかわらず、何の変化も起こらず、カビの痕跡も見られなかった。砒酸を加えた溶液でさえも同様であった。
最後にNo.2の溶液に話を戻すと、5月30日以前にカビが発生している。この日に、偏光度計の角度が減少していることからも分かる。6月30日にクレオソートを1滴添加したにもかかわらず、その後、角度は減少し続けた。
ベシャンは『血液(原題:The Blood)』の序文で、これらの異なる観察に感銘を受けたと語っている。それは、16世紀にガリレオが大聖堂のランプの揺れに感動したのと同じような感覚であった。その当時、アルブミノイド(硬蛋白質)という物質が存在しない限り、発酵は起こらないというのが通説であった。パストゥールが酵母エキスを使って発酵を行ったことはすでに述べた。その酵母エキスは複雑なアルブミノイド溶液であった。
それに反して、ベシャンが調製した媒体にはアルブミノイドは含まれていなかった。彼は注意深く蒸留した水と純粋なサトウキビ糖を使って実験を行ったのだ。彼が言うには、消石灰と一緒に加熱してもアンモニアは発生しなかったという。しかし、カビは明らかに生きている有機体であり、必然的にアルブミノイド物質を含んでいた。しかし、彼が調合した化学溶液にはカビが出現したのである。
彼はこの発見に驚嘆した。しかも、この発見が予兆するあらゆることの示唆を彼の知性はすでに見抜いていた。もし彼がパストゥールであったなら、そのニュースは国中に鳴り響いたであろう;彼はすべての知人に手紙で事実を説明したであろう。 しかし、ベシャンであった彼は、我を忘れることなく、新たな実験を開始した。彼は、新たな発見を検討することだけを考えていた。
彼は、自分の観察の結果を回顧録に記録した。1857年12月に直ちに科学アカデミーに送った。同アカデミーは1858年1月4日付の報告書にその抜粋を掲載した⁽¹¹⁾。このすべてにわたって重要な文書のフルペーパーは、理由は不明だが8ヶ月間掲載が延期された。その後、1858年9月になって『化学・物理学年報(Annale de Chimie et de Physique)』に掲載された⁽¹²⁾。
その回顧録のタイトルは、『純粋な、あるいは様々な種類の塩を含んだ水が、低温でサトウキビ糖に及ぼす影響について(原題:On the Influence that Water, either Pure or Charged with Various Salts, Exercises in the Cold on Cane Sugar)』であった。
ベシャンは次のように語っている:
「その題名からして、この手記は純粋化学の仕事である。当初は、純粋な冷水がサトウキビ糖を転化させることができるかどうかを確認する以外の目的はなかった。そして、さらに、塩が転化に何らかの影響を及ぼすかどうかも確認する目的があった;しかし、すぐに、私が予見していたように、この疑問は複雑化した;それは同時に生理学的なものとなった。そして、発酵現象と自然発生の問題に左右されるようになった - こうして、私は単純な化学的事実の研究から、発酵の原因、発酵体の性質と起源を次々に調査するようになったのである。」⁽¹³⁾
実験の全体的な結果により、以下のことが確認された。
「冷水の中では、カビの発生の量に比例してサトウキビ糖が変化するに過ぎない。これらの初歩的な植物はその後、発酵体として作用する」⁽¹⁴⁾。
ここで、水の作用によって変質するという学説が一挙に崩れ去った;発酵として知られる変化は、生きている有機体の成長に起因するものであると宣言されたのである。
さらに、次のことが証明された:
「空気との接触がなければカビは発生しない。偏向度計を回転させる力に変化がない場合も同様である。」
そしてまた、次のようにも言える:
「空気に触れた溶液は、カビの発生量に比例して変化した。」
こうして、発酵の過程にはこれらの生きている有機体が必要であることが明確に示された。ベシャンはさらにカビの作用を説明した:
「カビは発酵体の要領で作用する。 では、発酵体はどこから来るのか?」
これらの溶液にはアルブミノイドの物質は存在しない;この溶液は純粋なサトウキビ糖で作られている。この溶液を生消石灰で加熱してもアンモニアは発生しない。したがって、空気中に浮遊している芽胞(germs)が、その発育にとって好都合な媒体である砂糖溶液を発見したのだ、ということは明らかであると思われる。この発酵体は真菌の発生によってもたらされたものである、ということが推論せざるを得ない。」
ここでビール酵母やその他の有機体の自然発生的起源に関するパストゥールの説明とは正反対に、ベシャンは空気中の芽胞というシュワンの概念を証明した。さらに酵母は真菌類に属すると特定した。
当時、このような明確な主張をしたことは注目に値する。なぜなら、科学的な考え方が混沌としていた時代であったからだ。ベシャンはさらに踏み込んだ見解を示した。彼はこう述べている:
「砂糖溶液中で生成した物質は、孤立した小体の形をとることもある。また、大量の無色の膜の形をとることもある。その膜は、フラスコから一塊となって出てくることがある。これらの膜を苛性カリで加熱すると、アンモニアが大量に発生する。」
彼はここで、これらのカビという有機体の多様性に注目した。この観察は、細胞の生命に対する深い洞察と、細胞学の最初の適切な理解の基礎となるものであった。
彼はカビの作用について、さらに明確な説明をしていた。つまり、こうだ:
「カビの存在下でサトウキビ糖が受ける変化は、ジアスターゼ(澱粉分解酵素)によって澱粉に生じる変化とよく似ている。」
彼が語るこの特別な結論⁽¹⁵⁾は、この課題に多大な影響を及ぼした。その時代には非常に斬新な考えであったため、パストゥールは、後になってさえ、それを無視し否定したのである。
ベシャンはさらに次のように説明した:
「冷水はサトウキビ糖に作用しない。しかし、カビが繁殖できる場合は別である;言い換えれば、その変化は真の発酵によるものである。且つ、発酵体の出現に伴う酸の生成によるものである。」
つまり、それはカビが生成する酸によるものだったのである。彼はカビによって発酵の過程を説明したのである。彼は溶液に及ぼす様々な塩の影響から、さらに多くの結論を導き出した。
もしリスター卿がパストゥールの学説ではなく、ベシャンの学説に従っていたなら、ベシャンが発明した石炭酸スプレー(the carbolic spray)を正直に撤回することをせずに済んだかもしれない。(訳者追加:間違った使用法のために)その石炭酸スプレーは多くの患者に致命的な結果をもたらしたのである。
ベシャンは次のように教えている:
「...クレオソートは、カビの発生を防ぐことで、サトウキビ糖の変化を抑制する。」
また:
「...クレオソートは、空気と長時間接触しても、しなくても、カビの形成とサトウキビ糖の変化を同時に防ぐことができる。しかし、観察によると、一度カビが形成されると、クレオソートはカビの作用を防ぐことはできないようだ。」
異なる塩の効果からさらに結論を導き出すと、彼は次のように述べた:
「塩分を含んだ溶液の影響はさまざまである。、塩の性質や種類によって異なるだけでなく、塩の飽和度や中性度によっても異なる。サトウキビ糖がグルコース(ブドウ糖)に変化するのを防ぐ塩は、一般に防腐性があると言われている塩である。いずれの場合も、変化が起こるにはある程度の最低温度が必要である。」
1857年、発酵がまったくの謎であった時代に、パストゥールは死んだ酵母を含む、アルブミノイドの物質を取り扱っていた。この酵母やその他の有機体を、彼は自然発生の産物であると見なしていた。その時に、ベシャンはこの課題に関するあらゆる疑問を払拭したのである。
まとめると、彼は次のように説明した:
1)サトウキビ糖は水溶液では変化しない近成分(proximate principle:動植物の組織に自然に存在し、分析方法で分離可能な化合物 。タンパク質、脂肪、炭水化物、無機塩、水など。)である。
2) 空気はそれ自体には何の影響も及ぼさない。しかし、生きている有機体を持ち込むために、空気の見かけ上の影響があらゆる面で重要なのである。
3) これらの有機体は、それ自身は不溶性であるが、有機体が生成する酸が発酵の過程をもたらす;これらの酸は可溶性発酵体と考えられる。
4) 糖溶液中の有機体の侵入を防ぐ方法は、最初の段階で媒体にわずかなクレオソートを添加することである;しかし、クレオソートを添加する前に有機体が出現していた場合、その後にクレオソートを添加しても、有機体の成長とそれに伴う糖の転化を阻止する効力はないことを彼は示した。
さらに詳しいことは、『Le Sang(The Blood)』⁽¹⁶⁾の序文にあるベシャン自身の発見の要約から引用するほかない。彼はこう書いている:
「可溶性発酵体は不溶性発酵体と関係づけられるのは、生成元に対する生成物の反応による。そして、可溶性発酵体は、組織化された発酵体なしには存在できない。それ故に、その組織化された発酵体は、必然的に不溶性発酵体となる。
さらに、可溶性発酵体やアルブミノイドの物質は窒素を含んでいることから、フラスコ内に残された限られた量の空気から窒素を得ることによってのみ形成することができると言える。同時に、植物を形成する窒素を含む物質の合成において、空気中の遊離窒素が直接役立つことが実証された;これはそれまで論争の的となっていた問題であった⁽¹⁷⁾。
こうして、以下のことが言える。カビや酵母の構造を形成する物質が有機体の中で精巧に作られるのだから、可溶性発酵体や発酵による生成物もまた有機体内部で分泌されるに違いない。それは、サトウキビ糖を転化させる可溶性発酵体の場合と同様である。それゆえ私は、発酵と呼ばれるものは実際には、栄養摂取、消化吸収、分解、分解された生成物の排泄という現象であると確信するようになった。」⁽¹⁸⁾
このように、ベシャンの発酵に関する説明が、1857年という遠い過去においてでも、いかに明確で完全なものであったかがわかる。ベシャンは、可視化するために顕微鏡を必要とするほど微小な生きている有機体の生命現象によるものであることを示した。そして、砂糖を加えた溶液を用いた発酵において、有機体(訳者註:ミクロザイマ?)が空気中に浮遊していることを証明したのである。彼は明らかにこの問題を最初に解決しただけでない;彼の最初の発見は、彼をさらに大きく前進させることになった。残念なことに、この発見は、彼の考えを理解できない人々の理解をはるかに超えていた。なぜなら、彼らは大気中の有機体という考えに執着するようになったからである。
しかし、ベシャンの学説を深く探求する前に、一旦立ち止まってパストゥールの話に戻りたい。そして、この優れた指針(ビーコン)がパストゥールの仕事にどのような影響を与えたのかを確認したい。彼のライバルのこの指針は科学に光を与えている。
化学的な媒体中での発酵が空気中の生きている有機体によるものであることを証明したのは誰か
ベシャンか?パストゥールか?
ベシャン
1855年⁽¹⁹⁾及び1857年⁽²⁰⁾。
完全に純粋なサトウキビ糖を蒸留水に入れて実験を行った。その実験では、異なる種類の塩を加える場合と加えない場合に分けて行っている(空気を排除する場合や、加える場合も行っている)。
パストゥール
1857 年 - 乳酸発酵 ⁽²¹⁾.
砂糖、石灰(chalk)、カゼインまたはフィブリン、グルテンを含む媒体から得られた発酵体を用いて実験を行った。そして、酵母エキスの中に播種した。その酵母エキスに石灰を加えて砂糖を溶かした。
結論
1) サトウキビ糖の転化はカビによるものである。カビは生きている有機体で、空気によって持ち込まれる。カビがサトウキビ糖に及ぼす影響は、ジアスターゼ(澱粉分解酵素)が澱粉に及ぼす影響とよく似ている。
2) クレオソートはカビの侵入を防ぐ。しかし、一度カビが発生すると、その成長を阻止することはできない。
結論
乳酸発酵体は、ビール酵母のように簡単に、自然発生的に誕生する。それは酵母の可溶性部分から供給される液状のアルブミノイドの物体内で発生する。乳酸発酵体は生きた存在であるが、この結論は反論の余地のない事柄の序列に属するものである。
アルコール発酵⁽²²⁾
水で洗った新鮮なイーストを同量2つ使って実験する。一方は純粋な砂糖水で発酵させた。もう一方はたっぷりの水で煮沸して可溶分をすべて抽出し、濾過して球状体を取り除いた。その後、最初の発酵と同量の砂糖を加え、次に微量の新鮮なイーストを加えた。
結論
ビール酵母の場合、主要な役割を果たすのは球状体ではなく、可溶性部分の球状体への変換である。なぜなら、発酵が自発的に行われる場合、100度の温度によって球状体が死滅する可能性があるからである。糖がアルコールと炭酸に分解されるのは、生命現象に関連する作用である。
補論
ここに、発酵の謎に関する最初の明確な説明と証明がなされた。そして、防腐剤に関する知識の基礎が築かれたのである。
補論
これらの実験で使用されたアルブミノイド物質は、純粋に化学的な媒体において起こる変化の謎を探ろうとする試みを無効にした。発酵体の起源は自然発生的であると言われている。発酵は生命的な作用であると宣言された一方で、死んだ酵母を使用し、一般的に結論を証明する能力を超えていると宣告した。
脚注