原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」
著 者:Ethel Douglas Hume
出版年:1923
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
ベシャン教授の一連の観察 ―― 実際に、ビーコン(指針)実験という名にふさわしいと思われる ―― は、アルブミノイドの物質を含まない媒体で発酵体が出現する可能性を明確に証明した。
この事実はそれまで信じられていなかったので、ベシャンが最初に立証したことは明らかである。古い科学的記録を探しても、そのような実証をした人物を見つけることはできない。
1857年にパストゥールが行った実験において、彼の手法がまったく異なるものであることは、以前に述べたとおりである。通説に影響されたパストゥールが行ったのは、すでに見たように、通常の発酵で生じた発酵体(ferment )を取り出すことだった。そして、彼は酵母エキスにその発酵体を投入した。その発酵エキスは、アルブミノイドとミネラルの物質を含む複雑な溶液であった。 こうして彼は乳酸発酵(lactic fermentation)と命名したものを得たのである。彼の観察から得られた結論は、まったく成功したとは思えない。 彼は、乳酸の球状体(lactic globule)について次のように発表している:
「...酵母の可溶性部分から供給される液状のアルブミノイドの物体内部で、自然発生的に誕生する。」
そしてまた、こうも言う:
「…乳酸の球状体はビール酵母のように容易に自然発生的に誕生する。」
パストゥールのような自然発生論者としての見解と、明確で単純なベシャンの説明とが対照的であることに疑問の余地はないだろう。良心的な読者であれば、2人の研究者が書いた原著論文を見比べて、その落差に衝撃を受けないはずがない。
パスツールの研究がベシャンの研究により近づいたのは、1859年2月のフランス科学アカデミーの報告書に記録された実験においてである。それは、ベシャンのビーコン実験の報告書が発表されてから1年以上後のことである。確かに、日付の点だけから見ても、この実験は発酵を明確に説明した点で、ベシャンに優先権があるという主張を否定するものではない;実際、この実験はベシャン教授の観察に触発されたようである。パストゥールはここで、媒体として酵母エキスを使用せず、乳酸酵母の起源を大気中の空気にあると仮定している。
パストゥール自身が記したところによると⁽¹⁾、彼は純粋な砂糖水に少量のアンモニア塩、リン酸塩、沈殿した炭酸石灰を混ぜている。そして、実際にそのような環境に動物性物質や植物性物質が出現したことに驚きを示している。ベシャンの厳密な推論とはこれ以上ないほど対照的である。一方の結論は驚くほど曖昧である。そこには次のように書かれている:
「これらの実験において、乳酸酵母の起源については、大気中の空気のみに起因している;我々はここで自然発生の事実に立ち戻る。」
通常の空気とのあらゆる接触を遮断するか、溶液を沸騰させることによって、有機体の生成と発酵は完全に阻止されると主張した後、彼はこう締めくくった:
「この点で、自然発生の問題は進展した。」
もし彼のこの発言において、この問題が(自然発生説の)信念を否定する方向に進んでいるという意味だとしたら、なぜそう言わなかったのだろうか?
その後、1860年4月に『化学・物理学年報(Annales de Chimie et de Physique)』に掲載された回顧録でも、彼は繰り返し酵母の自然発生と発酵について言及している。酵母のような性質を持つ微小有機体が大気中で発生することを本当に理解していた人なら、間違いなく明確な言葉遣いを用いたことだろう。特に、その当時は、このような正反対の意味合いを持つ言い回しは避けたはずである。
この後者の回顧録に詳述されている多くの実験は、1858年12月10日に開始されたばかりである。一方、ベシャンは1857年12月に科学アカデミーでビーコン実験を初めて発表した。そして、そのフルペーパーは1858年9月に出版された。それは、パストゥールが新たな実験を開始する3ヶ月前のことであった。 彼は、この新たな研究において間違いなくベシャンに触発されていた。彼は、この研究が「発酵現象の新たな時代に」光を当てた、と主張している。
ベシャンはその著書『血液(The Blood)』の序文で、パストゥールを批判している。そこでは、乳酸の生成は、元々のアルコール発酵に続くものであると書いている。そして、この発酵は大気中の芽胞(germ)の侵入によるものである。この場合の芽胞は、乳酸である。その後、乳酸酵母が増加し、ビール酵母が飢餓状態に陥ったのである。そのビール酵母は、実験の開始時に含まれていたものである。彼は、パストゥールの推論から、彼が本当の理解力を持っていないことが証明されたと主張する:
「化学的で生理学的な変化現象を発酵と呼ぶ。発酵は、栄養摂取の過程、つまり消化の過程であり、それに続いて吸収、消化吸収、排泄などが起こる。」
そして、生きている有機体とそれがどのように機能するのかを彼は理解していなかった:
「…栄養に関わるあらゆる条件が満たされれば、最終的に自己複製する。」⁽³⁾
パストゥールの回顧録に対するベシャンの科学的批判以上に、批評家なら誰でもパストゥールの記述の不正確さに驚かざるを得ない。例えば、第3節を見ると、これらの観察においてパストゥールが用意した媒体には酵母の灰が含まれていることが分かる。そして、新鮮な酵母を添加したことにも言及している。しかし、そのような実験の一つに関する論文の表題で、彼は次のような誤解を招く記述をしている:
「砂糖、アンモニア塩、リン酸塩からなる媒体における酵母の生成(原題:Production of yeast in a medium formed of sugar, a salt of ammonia, and phosphates.)」⁽⁴⁾
酵母が元々含まれていたことに関しての言及は、P.383でのみ認められるが、上記の見出しと最後の要約では全く触れていない:
「これらの結果はすべて、大部分はごく少量の作用によって得られたものである。そして、この結果により、アルコール酵母と乳酸酵母の生成と、それらに対応する特殊な発酵が、砂糖とアンモニア塩とミネラル成分だけで形成された媒体の中で起こることを立証している。」⁽⁵⁾
実際の媒体は、その頁に至る前に2ページだけ紹介されている。その媒体は、次のような構成だった:
「砂糖10グラム.100立方センチメートルの水.酒石酸アンモニウム0.1グラム.ビール酵母の灰1gm. 少量の酵母、ピンの頭くらいの大きさ.」⁽⁶⁾
総じて、1860年までにおいても、パストゥールがベシャンのエポックメイキングな観察に含まれるような明確な学説を持ち合わせていなかったことは明らかである。
ここで2人の人物像が浮かび上がってくる。ベシャンは、自分の知識がパストゥールのそれを上回っていることを自覚していたに違いない。それでも学生たちへの講義では、ライバルに対しても礼儀正しく言及するばかりであった。
ベシャン教授がこの現象を実際に実証して説明する前の、1863年に出版された著作『ワイン発酵のレッスン(Lessons on Vinous Fermentation)』を参照すればよい。この本には、ベシャンの見解が記されている。彼は常にそれを実践するよう心掛けていた。科学的な新発見に対して正当な敬意を払おうという姿勢である。
「人は触発された発想か、伝え聞いた発想のどちらかしか持つことができない。そのどちらか一方に取り組むことによって、新たな発想が生まれる。真理を探求する者は、自分の仕事において先行する人々の発想に敬意を表するべきである。なぜなら、そのような人々は、偉大であろうと卑小であろうと、努力しなければならなかったからであり、ここに彼らの長所がある。それ故、彼らは世界と真理を共有させることができたのである。 私は、所有権という権利よりも優れた権利を思いつかない。というのも、それこそが私たちの人格を構成するものであり、しばしば天才的な才能を発揮するものだからである。もしこの崇高な特権、稀有な栄誉が、長い忍耐にほかならず、神が私たちに与えた天賦の才によって培われたものである、ということが事実であるならば、この権利は重要である。そして、いっそう尊重されなければならない。なぜなら、この権利は、私たち自身を貧しくすることなく、惜しみなく費やすことのできる唯一の富、唯一の財産の性質を持っているからである。そうして才能の所有権を行使することで、私たちはますます豊かになるのだ。」⁽⁷⁾
残念なことに、パストゥールとは遥かに対照的である。パストゥールは当初から ―― 古い記録によれば ―― ベシャンの発見を繰り返し自分のものとしていた。まずは、1857年のベシャンの発見から始めていた。
ビーコン実験は、当時、暗闇のような自然発生論者の見解に一筋の光を照らした。それは自然発生をめぐる論争が再燃する運命にあった時期であった。
1858年12月末、ルーアン自然史博物館の館長プーシェ氏は、『人工空気中および酸素ガス中で自然発生した動植物の原生有機体に関する覚書(原題:A Note on Vegetable and Animal Proto-Organisms Spontaneously Generated in Artificial Air and in Oxygen Gas)』と題する手記を科学アカデミーに送った。
この話題は再び大衆の関心を集めた。ベシャン教授は、研究を続けるためにあらゆる時間を割いていたが、研究することで精一杯で、議論にはあまり参加しなかった。その一方で、パストゥールは自分がやろうとしている実験について皆によく知らせていた。大気中には生きている有機体 ―― 芽胞(germ) ――
がいると言われていた。そこで、パストゥールは空気を顕微鏡で調べることにした。 その方法 ―― ガラス製のフラスコに空気を濾過する方法 ―― は、すでにシュローダーとデュッシュという2人のドイツ人によって確立されていた。
同じように実験したパストゥールは、アンプル(phial)の中身の違いを比較した。彼によれば、アンプルに大気中の塵が入ると変化し、塵を除いたアンプルでは変化しなかった。しかし、彼は実験室や地下室での実験に満足しなかった。彼は、もっと印象的で絵になるような観察をしようと計画した。
彼の計画を周知徹底させるため、1860年9月、彼は73本のアンプルを携帯して遠征に出発した。さまざまな場所、さまざまな高度でアンプルの開封と封印を行った。最後の20本は、シャモニー上空の氷河湖のために取っておいた。その結果、20本のうち中身が変わっていたのは1本だけだった。
1860年秋のこの頃から、以前は自然発生論者であったパストゥールは、まったく逆の立場へと舵を切った。そして、ほとんどすべての現象を大気中の芽胞(germs)の影響が原因であるとしたのである。
その間、彼の直近の反対論者は、山、平野、海、そして誰もが知っているような場所での空気を用いた実験を行っていた。そのため、パストゥールはその反対論者であるプーシェ氏を納得させることに成功しなかった。
このパストゥール実験について、ベシャンはこう書いている:
「顕微鏡による分析から、彼はプーシェと同じように、正確さを欠いた結論に達した(sans rien préciser); 収集した塵の中に組織化された小体(corpuscles )が存在する。これに対して「これは卵であり、これは胞子(spore)である」と言うことはできなかったが、滴虫(infusoria:水に浸った腐敗有機物にいる微生物の総称)の発生に関するあらゆる事例を説明するのに十分な数が存在すると述べた。こうしてパストゥールは、空気中の芽胞(germ)により説明するという立場に立った。そして、以前は自然発生により説明していたことを、すべて芽胞を用いて説明するようになったのである」⁽⁸⁾。
彼は、自分が選んだ意見を保持する権利が当然ある。その意見が表面的なものであれ、そうでないものであれ、自由である。また自分の意見を変更する権利も当然ある。しかし、他の研究者が行った発見を自分のものとして主張する権利が彼にないことは明らかである。
しかし、自然発生に関する議論は1861年11月22日にソルボンヌ大学で開かれたサヴァン会(Sociétés Savantes)の会合で行われ、パストゥールはベシャン教授が出席している中で、アルブミノイドを含まない媒体中に生きている有機体が出現することを証明したのは、自分の功績であるとした。
教授は、最高の知性にしばしばつきまとう売名行為に対する嫌悪感を抱きながら、自分の番が来るまで呆気にとられながらも黙って聞いていた。自分の番が来たとき、自分の研究が正当な先行研究であることを主張する代わりに、回顧録に書いた実験とそこから得られた結論の説明だけをした。自分の席に戻ると、たまたまパストゥールの隣の席だったので、彼はパストゥールに、今しがた説明した研究に関する彼の知識を認めるよう親切に申し入れた。この会議の報告書には、パストゥールがそれに応じた方法が記されている:
「ベシャン氏は、いくつかの実験(1857年の回顧録に掲載されたもの)を引用した。その実験では、空気の影響下でサトウキビ糖がブドウ糖に変化すると、必ずカビが発生することが示されている。これらの実験はパストゥール氏が得た結果と一致しており、パストゥールは速やかに次の事実を認めた。ベシャン氏が提唱した事実は最も厳密に正確である。」⁽⁹⁾
パストゥールが、彼の同僚が自分より先にこの分野に携わっていたことを認めたと考えられなくもない。さらに注目すべき点は、パストゥールが後に自分の言葉と矛盾していることである ―― ベシャンの研究は、上記の引用でパストゥールが「厳密に正確」であると述べている。その一方で、後にパストゥールは「非道な」罪を犯していると非難しているのである。私たちは「ビエールの研究(Études sur la Biére)」に目を向けたい:
「私は、ベシャン氏が提起した優先権の主張を否定しなければならない。生きている発酵体が、芽胞(germs)から完全に構成されることを最初に証明したのは私であることはよく知られている、純水の中に、砂糖、アンモニア、リン酸塩を加え、光を遮断し、緑色物質の侵入を防いだ実験で証明したのである。
ベシャン氏は、カビが砂糖水の中で発生するという古い事実を根拠にした。彼によれば、砂糖を転化させ、アルブミノイド物質を取り除いた媒体において組織化された生きた発酵体が発生することを証明したつもりである。
論理的に言えば、ベシャン氏は、次のように言うべきである。窒素を含まない、リン酸塩も含まない、その他のミネラル要素も含まない純粋な砂糖水の中でカビが生えることを証明した、と。しかし、それは彼の仕事から推測される非道な行為である。他のミネラルや有機成分(organic principles)を含まない、純粋な砂糖を含む純粋な水の中でカビが成長することができたことに、いささかの驚きの表現すらないからである。」⁽¹⁰⁾
では、パストゥールが、すでに見たように、その同じ研究を「厳密な正確さ」を持っていると記述したのはなぜなのだろうか?パストゥールを凌駕しそうになって初めて「非道」に変わるというのだろうか?また、パストゥールはどうして空気の混入に関するあらゆる言及を省くようになったのだろうか。それなしにはカビの形成は不可能だったはずである。
パストゥールが実験に酵母エキスや アルブミノイド物質を使用していた頃、ベシャンは対照的に、アルブミノイド物質を含まない媒体ではカビが発生することを明確に証明していた。そして、そのカビを苛性カリで加熱するとアンモニアが遊離することを示した。同じ一連の実験によって、教授は、カビ、すなわち生きている有機体が発酵体の役割を果たすことを証明した。発酵体は空気中からもたらされ水に沈殿し、砂糖、あるいは砂糖とある種の塩以外は加えられていない純粋な水の中で姿を現すのである。したがって、つぎのような批判、
「論理的に言えば、ベシャン氏は、次のように言うべきである。窒素を含まない、リン酸塩も含まない、その他のミネラル要素も含まない純粋な砂糖水の中でカビが生えることを証明した、と。しかし、それは彼の仕事から推測される非道な行為である…」
パストゥール氏は、自ら非道な行為を犯したようだ。ベシャンが証明した事実を明らかに誤解していたのだ!ベシャンは、砂糖と蒸留水の溶液を完全に満たしたガラス製のフラスコに空気を一切入れないと、カビが発生せず、砂糖が転化しないことを指摘していた;しかし、フラスコに空気が残っていたり、空気が入り込んでいたりするフラスコでは、カビが形成する。パストゥールの実験では含まれていたアルブミノイド物質が存在しないにもかかわらずである;さらに、ベシャンは、硝酸塩、リン酸塩などの特定の塩を加えると、これらのカビがより多く発生することを発見した。
教授は、著書『ミクロザイマ(原題:Les Microzymas)』⁽¹¹⁾の中で、パスツールの異様な批判に対して言及せずにはいられなかった:
「科学に精通した(au courant)化学者なら、砂糖水が入った、空気に接触した状態の、そのようなガラス製のフラスコの中で、カビが発生しても驚かないはずだ。驚くべきはパストゥール博士が驚いたことである。」
言葉の戦いが起こったとき、パストゥールはベシャンに敵わなかった。パスツールはすぐに、ベシャンの研究を可能な限り黙って見過ごすことが自分の利益につながると考えたのである。この嫉妬という人間の弱さが、重要な発見が脇に置かれる有力な原因となったことは間違いない。その発見は、後に1897年⁽¹²⁾にブフナーが行ったとされるが、実際にはベシャンが1864年以前に行ったものであった。この年、ベシャンは酵母やカビである可溶性発酵体に対して初めてチマーゼ(zymase :糖類を最終的にアルコールと二酸化炭素とに分解する一連の酵素群)という名前を公にしたのである。私たちが今注目しているのは、ベシャンのこれらの研究である。
脚注