Béchamp or Pasteur? ― A Lost Chapter in the History of Biology
原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」
著 者:Ethel Douglas Hume
出版年:1923
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
THE MICROZYMAS
The ‘Little Bodies’
ある音楽家が生まれながら特定の楽器(instrument)の演奏が得意であるように、科学の世界でも時折、技術的な機器(instrument)の使用において特別な才能を持つ人物が現れる。
間違いなく、ベシャン教授の顕微鏡学者としての熟練度が高かった。天才的な洞察力にも恵まれていたこともあり、この熟練度の高さのお陰で、ベシャン教授は研究を始めた当初から、他の研究者が顕微鏡を使う際に見過ごすような多くのことを観察することができたのである。 彼の力は、驚くべき程度に実用的なものと理論的なものを融合させていた。
彼は初期の観察時から、顕微鏡でしか観察できない微小な物体の存在にいち早く気づいていた。その物体は、彼が調べた有機体の細胞よりもはるかに小さいサイズであった。このような微細な物体を観察したのは、決して彼が最初ではなかった;他の研究者たちも彼より先に観察していた。その上、彼らはその物体に「活発な小体(scintillating corpuscles)」、「分子顆粒(molecular granulations)」などの名称を付けていた。しかし、その物体の状態や機能については、誰も知る由もなかった。
その物体について語られてきたことの大半は、『医学と外科の辞典(Dictionary of Medicine and Surgery)』(1858年)に掲載されたチャールズ・ロビン(Charles Robin)の定義に要約されている。この定義では、「組織化された物質で形成された非常に小さな顆粒(granulations )」の微細さについて述べている。そして、この顆粒は身体の組織、細胞、繊維、その他の解剖学的要素に見られる。また、結核性物質やその他の疾患物質の中にも極めて多く見られる。
ベシャンは常に根拠のない結論を避けるように注意していた。よって、この「非常に小さな顆粒(very small granulations)」に関しては想像力を膨らませることを許さなかった。最初のうちは、彼はただそれらに注目し、「小さな物体(little bodies)」という漠然とした名前をつけただけであった。彼は、この物体に関してそれ以上研究をを進めなかった。その時、彼は新しい任務でモンペリエに移っていた。彼は、そこでストラスブールで始めた観察を終了させた。そして、1857年の研究論文にその観察結果を記録し、説明した。
次のエピソードについて覚えているだろう。こうした実験の多くで、教授は様々な塩を使用した。その中には炭酸カリウムも含まれる。その状況で、サトウキビ糖の転化は起こらなかった。クレオソートがなかったにもかかわらず、転化は起こらなかったのである。
彼が行ったもうひとつの実験は、炭酸カリウムの代わりにチョークの形をした炭酸カルシウムを使うというものだった。彼はこの発見に、大きな驚きを覚えた。クレオソートを加えたにもかかわらず、大気中の芽胞(germs)の侵入を防ぐことができず、サトウキビ糖は転化した。すなわち、ある種の変化を起こしたのである。
クレオソートに関しては、ベシャンはすでに証明していた。外来の有機体の侵入を防ぐ効果はあっても、カビの成長を妨げる効果がない場合があった。それは、すでに媒体にカビが定着している場合である。しかし、チョークを使った実験では、この結論は矛盾しているように思われた。何故なら、これらの実験で、クレオソートは糖の転化を防ぐことができないことが証明されたからだ。彼は、この矛盾は手順の誤りから生じたとしか考えられなかった;そこで、この謎をさらに究明することを決意した。その一方で、研究論文では、この実験に関する一切の言及を省くことにした。この実験では、チョークが不穏な因子であることを明らかにしていた。
この関連でベシャン教授が行った研究は、骨の折れる研究における実物教授である。まず始めに、チョークを、次に石灰岩の塊を、一切空気に触れないように細心の注意を払って実験室に運んだ。その後、彼は無数の実験を繰り返して証明したのだ。その実験では、空気の侵入を完全に防ぐと、砂糖溶液の変化が起こらなかった。例え、化学的に純粋な炭酸カルシウム(CaCO₃)を添加しても変化が起こらなくなる;しかし、特別に配慮して保存した塊からでさえも、普通のチョークを入れるとすぐに発酵が起こった。大気からの芽胞(germs)の侵入を完全に防いだにもかかわらず、発酵が起こったのである。クレオソートを添加する量を増やしても、糖の転化を妨げることができなかった。
ベシャンは当然のことながら、この発見には非常に驚いた。ミネラルである岩石が、このように発酵体(ferment)の役割を果たしうることが分かったのである。彼には明らかだった。チョークには炭酸カルシウム以上の何かが含まれているに違いない。入手可能な最も強力な顕微鏡を使い、彼は純粋な炭酸カルシウムと実験に使ったチョークの微細な調査を行った。
彼は、チョークの中に、「小さな物体(little bodies)」を見つけたことに大きな驚きを覚えた。その物体は、彼が他の観察で注目したものと類似していた。一方、純粋な炭酸カルシウム中には、そのようなものを見つけることはできなかった。
また、炭酸カルシウムの顕微鏡試料の中では、すべての物体が不透明で動かなかった。それに対して、チョークの試料の中では、「小さな物体」が揺れ動いていた。その動きは、博物学者のロバート・ブラウン(Robert Brown)にちなんで「ブラウン運動」と呼ばれるものに似た動きだった。しかし、ベシャンは物体の動きとブラウン運動を区別した⁽¹⁾。これらの「小さな物体」は、不透明な周囲からの光を屈折させる方法でさらに区別できた。この物体は、それまで発酵(fermentations)で見られたどの微小植物(microphytes)よりも小さかった。しかし、既知のどの微小植物よりも発酵力が強かった、そして、その物体に発酵力(fermentative activity)があることから、ベシャンはこの物体が生きていると見なしたのである。
ベシャンが戸惑い崖っぷちに立たされた状況で得た発見がどれほどのものであったかを正しく評価するためには、当時の科学的見解を思い起こす必要がある。教授の観察は、ヴィルヒョー(Virchow)の見解が大勢を占めていた頃に行われた。ヴィルヒョーは、植物も動物も、あらゆる形態の生命の単位は細胞であると考えていた。また、自然発生論者の意見も、当時のパスツールを含む多くの実験者たちによって支持されていた。このような考え方の混乱の中で、ベシャンは2つの公理に固執した:
1) 化学的変化は誘発的な原因なしには起こらない。
2) 生きている有機体(living organism)の自然発生はない。
その間、彼は「小さな体(little bodies)」に意識を集中させた。
当初、彼は、もしチョークの中から発見したものが本当に組織化された存在(organised beings)で、それ自体が独立した生命を持っているのであれば、それを単離することができはずである。そして、水に溶けないことを証明することができるはずである。また、有機物質(organic matter)から構成されていることを発見することができるはずであると彼は考えていた。
彼は、それらを単離することに成功した。次に炭素、水素などがその物体の構成要素であることを証明した。そして、その物体が不溶性であることを実証した。
その物体が生きている存在(living beings)であれば、当然、殺すことができるはずである。ここでまた、彼は自分の主張が真実であることを発見した。チョークを少量の水と一緒に300℃(572°F)まで加熱したところ、チョークに以前の発酵力(fermentative power)が失われていることを証明した。そして、「小さな物体(little bodies)」から、以前は特徴的であった動きがまったく見られなくなった。
他の点についても、彼は発見した。これらの微小な有機体(minute organisms)による発酵の過程で、あらゆる外部からの侵入を厳密な対策によって防いだとしても、小さな物体(little bodies)はそれでもなお増加し、増殖する。この観察は、その後⁽²⁾の彼の研究に大いに役立つことになった。
ベシャンが使用したチョークは、そのほとんどがミネラルで形成されているようで、とうの昔に消え去ってしまった微視的な世界の残骸のようだと彼は観察した。エーレンベルグ(Ehrenberg)によれば、そのミネラルでできた化石はポリタラミス(Polythalamis)とノーチラエ(Nautilae)と呼ばれる2つの種に属している。その化石は、非常に微細である。わずか100グラムのチョーク片の中に200万個以上が含まれていると言われるほどである。
しかし、これらの絶滅した存在(beings)の残骸以上に、教授は白いチョークの中に限りなく微小の有機体が存在していることを発見した。彼によれば、これらの有機体は生きており、計り知れない古代から存在している可能性がある。彼が手に入れた石灰岩の塊は非常に古い。第三紀に形成されたラクストリアのチョーク層の上層に属するものであった;しかし、彼はその石灰岩が素晴らしい発酵性(fermentative properties)を持っていることを証明した。それは、同じ「小さな物体(little bodies)」⁽³⁾の存在に起因するものだと彼は確信したのである。
彼はさまざまな石灰質の堆積物を根気よく調べ続けた。そして、同じような微細な有機体(organisms)を発見しただけでなく、その有機体の発酵(fermentation)を引き起こす能力の程度がさまざまであることを発見した。石灰華(calcareous tufa)とベセジュ(Bessége)の石炭地帯には、デンプンを溶解する力もサトウキビ糖を転化させる力もほとんどなかった。一方、泥炭湿地やセヴェンヌ(Cévennes)の荒れ地、大都市の塵埃などには、発酵(fermentation)を誘発する大きな力を持つ「小さな物体(little bodies)」が含まれていることを彼は証明した。
彼は調査を続けた。そして、鉱泉水や耕作地(そこでは物体が少なからぬ役割を果たすと思われた)にもその実体を発見した。また、ワインの沈殿物にも含まれていると考えた。湿地のぬめりの中、つまり、有機物質(organic matter)の分解が進行している場所で、彼は他の下等な有機体(inferior organisms)に混ざって「小さな物体(little bodies)」が存在するのを発見した。また、アルコールと酢酸(acetic acid)の中からも発見していることから、湿地のガスを発生させる力はこれらの微細な生きている存在(living beings)にあると考えた。
自然がこのような素晴らしい新事実を打ち明けてくれたのだから、ベシャン教授はその意味を自分の頭で解釈するときが来た。 1857年の研究論文で省略した実験は、欠陥があるどころか、今や驚くべき示唆を秘めているように思えた。チョークの中で彼が発見した「小さな物体(little bodies)」は、酵母の細胞や動植物の体細胞の中で彼が観察した「小さな物体(little bodies)」と同一であるように思われた - 「小さな物体(little bodies)」は、ほとんどの場合、「分子顆粒(molecular granulations)」と呼ばれていた。
ベシャンは、ヘンレ(Henle)が漠然と、これらの顆粒(granulations)は構造化され、細胞を作るものだと考えていたことを思い出した;そして、ベシャンは考えた。もしこれが本当なら、ヴィルヒョー(Virchow)の細胞説(theory of the cell)、つまり、生命の単位は細胞である、という説は完全に打ち砕かれるだろう。
顆粒(granulations)、つまり、「小さな物体(little bodies)」は解剖学的要素である。そして、石灰岩やチョークの中から発見されたものは、過去の時代に存在した動植物の生き残り(living remains)である可能性さえあると彼は考えた。これらは、植物や動物の体を構成する部位(constituent parts)、あるいは、構築用ブロック(building blocks)であるに違いない。これらは生き残ってきた。細胞を統合した体が崩壊してから長い年月が経った今に至っても。
この点で、ベシャンの慎重に行動していることに注目したい。 チョークの調査はビーコン実験の研究論文を発表した時点で開始されていたにもかかわらず、ベシャンはこの新しい観察結果を公表するまでに10年近くもこの課題に取り組み続けたのである。その間に、ill windに関する格言(訳者註:It's an ill wind that blows no good.-どんな風も誰かの得になる。)が彼の場合にも当てはまることが起きた。ブドウの木に影響を及ぼす病気がフランスの災いになりつつあったため、彼はいくつかの実験に着手するようになった。そして、その実験が、徐々に形成されつつあった新しい見解を広げるのに役立った。
すでに述べたように、1863年、パストゥールは皇帝のお墨付き(blessing)を得て、フランスのワイン生産者が抱える問題を調査するために派遣された。ベシャン教授に正式な協力要請はなかった。しかし、それでも、あらゆる科学的問題への尽きせぬ関心をもって、彼はこの事態究明に着手した。そして、1862年、パストゥールより1年早く、ブドウ畑での研究を開始した。
彼は同じ時間、同じ場所で次のものを大気に触れた状態で晒した、
1) 動物由来の炭で脱色したブドウ液(grape-must);
2) 単純に濾過したブドウ液;そして、
3) ブドウ液、濾過はしない。
3つの試料は発酵した。しかし、その程度は上記に列挙した順序とは逆であった。さらに、発生したカビや発酵体は3つの実験で同一ではなかった。
次のような疑問が浮かぶ:「化学的な媒体は3つの事例で同じであるのに、なぜ3つのブドウ液に対して同じように作用しなかったのか?」
その謎を解くため、教授はさらなる実験を始めた。健全なブドウの実の穂軸をつけたまま、ブドウの木から直接、沸騰させた砂糖水(sweetened water)に入れた。そして、それをガスの気流で冷やした。つまり、ガスを液体の中に吹き込んだ状態にした。発酵が起こり、この媒体の中で完了した。発酵は、全過程において空気の影響を受けなかった。同様の実験でも発酵が起きた(The same experiment succeeded)。その実験では、ブドウをブドウ液の中に入れ、濾過し、加熱し、クレオソートの処理をした。これらの研究から、明らかである。酸素も空気中に浮遊する有機体も発酵の原因ではない。ブドウが発酵を誘発する因子を運んでいるのである。
ベシャン教授は1864年に科学アカデミーにこの実験結果を報告した。その報告の中で、この課題を徹底的に扱っている⁽⁴⁾。彼は、次の結論に達した。ブドウ液(must)を発酵させる原因は、ブドウの外側から発生するカビである。そして、ブドウの穂軸やブドウの木の葉が、糖分と果汁の両方を発酵体へ変化させることのできる有機体を帯びている;さらに、葉や穂軸に付着した発酵体は、時としてブドウの収穫を害する性質を持つ。
1864 年、ベシャンはアカデミーに研究論文を提出した。彼は、生物学研究の歴史に一時代を築いた。その年の4月4日、科学アカデミーの前で発酵現象の説明を行ったのだ。彼は、発酵現象が、生きている有機体の栄養摂取の過程によるものであることを示した。栄養摂取の過程では、吸収が行われ、消化と排泄がそれに続くのである;そして、彼は初めて、チマーゼ(zymase)という言葉を用いた。それは、可溶性酵素(soluble ferment)を意味する言葉であった。
それは、翌年に起きた。デュクロー(Duclaux)、パストゥールの弟子である彼が、ベシャンの説明に批判を浴びせた。彼が言うには、彼の師匠がこの学説の先駆者であると主張する権利がないことを証明する文書を提出するようなものであると。
ベシャンは、1857年に空気中に浮遊する有機体が発酵の原因物質(agents)であることを決定的に証明した。彼は、1864年には、同様に、この現象が引き起こされる仕組みを明確に示している。
その間、彼は自然のさらなる謎に取り組んでいた。牛乳の実験や、その他多くの実験を行った。そして、同年12月には、チョークの中に生きている有機体(living organisms)を発見したことをデュマ(Dumas)に報告した。
その後、1865年9月26日、彼はデュマ(Dumas)にこの件について手紙を書いた。そして、デュマの要請で、彼の手紙は『化学・物理学年報(Annales de Chimie et de Physique)』に翌月掲載された。その中で彼は次のように述べている:
「チョークと牛乳には、すでに成長した生きている存在(living beings)が含まれている。生物を含んでいるという事実は、その事実自体によって観察されるだけでなく、他の事実によっても証明される。クレオソートを凝固しない量だけ使用しても、牛乳が最終的に変化するのを妨げない。そして、チョークもまた、外部からの介入なしに、糖分と澱粉の両方をアルコールに、そして酢酸(acetic acid)、酒石酸(tartaric acid)、酪酸(butyric acid)に変化するのを妨げない。」⁽⁵⁾
こうして私たちははっきりと理解できる。ベシャンのひとつひとつの実験が持つ意味と、それぞれが他の実験とどのような関係にあるのかについて。 クレオソートを使った厳密な実験によって、彼はさらなる結論を導き出すことができた。クレオソートは外部から生命の侵入を防ぐので、生きている有機体(living organisms)は、クレオソートを加える前のチョークと牛乳の中にあらかじめ存在していなければならない。これらの生きている有機体(living organisms)とは、「小さな物体」のことである。彼は、細胞の中で共生したり、植物や 動物の組織や繊維の中で単独で存在しているのを見てきた。 顕微鏡では区別できないほど微細なものであったが、ベシャンは次のように語っている:
「博物学者(naturalist)は説明によってそれら(小さな物体)を区別することはできないだろう;しかし化学者と生理学者はそれら(小さな物体)の機能によって特徴づけるだろう」⁽⁶⁾⁾。
こうして、多くの場合、研究対象が非常に微小(so infinitesimal)であっても、彼の研究に支障を来たすことはなかった。しかし、間違いなく超微視的(ultra-microscopic)であった。また、嘲笑を浴びせられて心をかき乱されることもなかった。彼の同時代の研究者たちの多くは、チョークと牛乳の中に「小さな物体」が存在するという彼の説明を否定的に受け止めていた。医師であった彼は、医学の勉強が研究活動に大いに役立った。1865年、彼は発酵した尿の中に、あるものを発見した。他の微細な有機体のほかに、顕微鏡の非常に高い倍率でしか見えないほど極小の小さな物体(little bodies)が存在していた。その直後、彼は通常の尿にも同じ「小さな物体」を発見した。
翌1866年、彼は科学アカデミーに『酪酸発酵と乳酸発酵におけるチョークの役割とそれに含まれる生きている有機体について(On Role of Chalk in Butyric and Lactic Fermentations and the Living Organisms Contained It)』⁽⁷⁾と題する研究論文を送った。
ここで彼は実験を詳述し、「小さな物体(little bodies)」に対して、ギリシャ語の「小さい(small)」と「発酵(ferment)」を意味する言葉からミクロザイマ(microzymas)という名称を提案した。 この叙述的な学名命名法は、小さな物体を最も微細で知覚可能な発酵体(ferments)であると表現している。チョークの中で発見した特別の「小さな物体」に対して、彼はミクロザイマ・クレタエ(microzyma cretae)と名づけた。
彼は時間を無駄にすることなく、チョークの中にいるミクロザイマと動植物の細胞や組織の中にいる分子顆粒(molecular granulations)との関係についての研究を続けた。さらに地質学的な調査も数多く行った。
地質学的調査の結果は、研究論文『様々な起源を持つ地質学的ミクロザイマについて(On Geological Microzymas of Various Origin) 』の一部に盛り込まれた。そしてその論文は、科学アカデミーの報告書に掲載された。
この中で彼はこう問いかけている:
「今、これらのミクロザイマは地質学的にどのような意味を持つのか?、ミクロザイマの起源は何なのか?」⁽⁸⁾
彼は次のように答える:
「私は信じている。それらははるか昔の時代に生きていた存在(beings)たちが、組織化され、まだ生きている遺骸(remains)なのだと。私は、これらの研究と、別の研究の両方からこの証拠を発見した。後者の研究は、私自身とエストル(Estor)教授との共同研究である。その研究では、実際の生きている存在(living beings)の中にいるミクロザイマについて調査した。これらのミクロザイマは形態学的に同一である。そして、発酵体としての活性に若干の違いがあっても、その影響下で形成されるあらゆる成分は、それにもかかわらず同じ系統のものである。
おそらくいつの日か、地質学、化学、生理学が協力して、大きな類似点を主張することになるだろう。地質学的な動物相(fauna)や植物相(flora)と、生きている動物相や植物相との間には、形態という観点から類似点があると言われている。また、類似点は組織学や生理学の観点からも存在するのである。
私はすでに明らかにした。さまざまな起源を持つ地質学的なミクロザイマの違いを:こうして、バクテリアがアルミサン(Armissan)の石灰岩やバルベンタン(Barbentane)の石灰岩に現れることがある一方で、同じ環境下にあるチョークやオーリス(Oolithic)の石灰岩では、バクテリアは決して発生しない。
類似した違いが、生きている存在(living beings)の中にいるミクロザイマの間でも認められるかもしれない。
それは注目に値する。私が調べた石灰岩の中にいるミクロザイマは、低温ではほとんど作用せず、35度から40度の間でしか活性を示さない。氷河期の気温、オビ(Obi)の谷の気温に匹敵する温度であれば、ミクロザイマは活動を完全に停止するだろう。」
多くの人がこのような新しく、驚くほど独創的なアイデアを嘲笑し、今日でも多くの人が嘲笑し続けている。しかし、私たちはチョークの謎がより多くの調査を生みだすことができたことを忘れてはならない。
現代の地質学者たちは、すでに認める用意があるようだ。チョークには驚くべき性質があること、そして、ある条件下では、生命を証明するような動きや、発酵のようなものを引き起こす動きをもたらすことを。バスティアン(Bastian)教授は、ベシャンの推論とはまったく異なるものの、後者の研究を再び支持している。
『生命の起源(The Origin of Life)』にはこう書かれている:
「したがって、我々は、次のように十分認識してよいだろう。生命の形態が下等であればあるほど ―― 生命の起源に近ければ近いほど ―― 異なる時代に生み出された生命の類似性は高くなる可能性が高い。それは現在、最も下等な形態が地球のどの地域でも実質的に類似しているのと同じである。
そうでなければ、進化の学説と矛盾せずに、我々は次の事実をどう説明すればよいのだろうか。桿菌(bacilli)や微小球菌(micrococci)の異なる種類が、三畳紀(Triassic)やペルム紀(Permian)の地層中の動物や植物の遺骸の中から発見されたこと、石炭紀(Carboniferous)の石灰岩の中から発見されたこと、さらにはデボン紀(Devonian)の上部の地層からも同様に下等なものが発見されたことである。(Ann'd des Sciences Nat (Bot)、1896年、II、pp.275-349参照)
このような変化しやすい生きている物体(living things)が、単なる系統的な子孫を残すだけで、変化するあらゆる時代を通じて同じ原始的な形態を保つことができると考えられるだろうか?こう考えた方が、はるかに単純であり、可能性が高いのではないだろうか。それは、特に現在提示されている実験的証拠に照らせば、ダーウィンの説明や一般に信じられているように、長い年月を経て祖先から連綿と受け継がれてきた系譜に従うのではなく、バクテリアとその仲間の場合は、生命の原初的な形態として、こうした時代を通してそのような有機体が次々と新しく誕生しているのだと。そして、 その異なるが絶えず繰り返される分子構造によって、このような繰り返される形や性質をとることを余儀なくされるのであると。」⁽⁹⁾
この引用文は、チョークや 石灰岩の中に生きている要素(living elements)をベシャンが 発見したことを、バスティアンが確認したことを示したに過ぎない。そして、 浸透や他の外部からの原因(extraneous sources)が、この現象を説明するのかしないのかは、地質学者に委ねなければならない。
もしそうでなければ、私たちはバスティアン教授の説明を信じざるを得なくなるかもしれない。化学的起源が新しい誕生を次々と繰り返されるという説明を ―― もしベシャン教授が明らかにしていなければである。あらゆる組織化された存在はミクロザイマから生じるのである。そして、動物性であれ植物性であれ、細胞の中で発見されるミクロソームとして現在知られているものとミクロザイマは一致するのである。
このように、ベシャンの学説ではこの現象を説明できる。しかし、ベシャンの学説がない時代は、この現象を自然発生によってでしか説明できなかった。つまり、バスティアン(Bastian)教授の説明である。ベシャンが、チョークの中のミクロザイマが大昔の死んだ存在(dead beings)由来の生きている遺骸(living remains)であると考えたことが正しいかどうかについては、ここで詳しく述べるつもりはない。チョークの話題は、それを扱う資格のある人たちに任せたい。また、ここで触れたのは、ベシャン教授が最初に行ったこれらの観察が、彼の細胞観 ―― その後、現代の細胞学によって確認されている ―― と、彼の「ミクロザイマ学説(microzymian doctrine)」とでも呼ぶべきものにつながったからにほかならない。しかし、この教義を、現代の医学界は、あまりに無視しているように思われる。
ベシャンを見下す傾向のある者は、事実をよく考えてみるといい。最後の言葉よりもむしろ最初の言葉が、全てである。つまり、これまで微小有機体(micro-organisms)について語られてきた言葉である。 例えば、現在、以下のことが主張されている。サンゴがある種の微細な海の昆虫(sea insects)に由来するのと同じように、特定の微小有機体(micro-organisms)は岩石の分解を助け、チョークや石灰岩の形成を助けるだけでなく、鉄鉱床(iron deposits)の形成に積極的な役割を果たしている⁽¹⁰⁾。
先にも述べたように、一部の者共からは嘲笑されていたものの、この時期のベシャンの研究は大きな注目を集め始めていた。そして、1860年代の半ばには、彼の研究に熱心な共同研究者を得た。この方は、エストール(Estor)教授で、モンペリエの病院の医師兼外科医であった。彼は、実務に携わるかたわら、研究にも精通している人物だった。それだけでなく、科学理論にも広く精通していた。 彼はベシャン教授の発見に驚嘆していた。それ故、ベシャン教授を細胞生理学の礎石を築いたと評した。1865年、彼は『Messager du Midi』誌に記事を掲載した。その記事では、ベシャンが発酵を細胞の栄養摂取行為であると説明していることを大きく取り上げた。この考えはドイツでセンセーションを巻き起こした。ある意味でヴィルヒョーの細胞学説(cellular doctrine)を裏付けるものであったが、ベシャンの説明は、ドイツの科学者の見解が真実の部分的な説明に過ぎないことを表していた。
ベシャンの星は今、頂点にあった。 自分の偉大な発見が進めば、この発見は、生と死の過程を照らし出すことになる。医学史上かつて明らかにされていなかった部分である。このような意識を持って、彼はまた、熱心な共同研究者を見つけたことに喜びを感じた。その共同研究者は、粘り強く、忠実にベシャンの仕事を分担してくれた。それと同時に、ベシャンの研究を進めようとする熱意にあふれた弟子たちが集まってきた。
しかし、遠くに、はっきりしないものがぼんやり現れていた。その小さな雲はやがて彼の地平線を暗くしていくだろう。
フランスは苦境に陥っていた。絹産業全体が蚕の謎の病気によって脅かされていたのだ。 何の要請もなく、資金的な援助もなかったが、ベシャンは、すぐにこの問題に心を向けた。その時は、それが正式に任命された人物と直接対立することになるとは思いもよらなかった。そして、正式に任命された人物に蚕の謎に対する解決策を提供しながらも、その人物から感謝されることはなかった。―― それどころか、彼は、幸運(Fortune)のお気に入りから永遠の憎悪と嫉妬を買うことになった。すなわち、ルイ・パスツール(Louis Pasteur)である。
脚注
「石炭にはガスを発生させるバクテリアが存在する。そして、分離されたガスはメタン、二酸化炭素、一酸化炭素で、加熱温度は2℃(35~36°F)である。
木材は、変成した状態(石炭)の中に、樹木の段階で元々存在していたバクテリアを含むことができるように思われる。異なる種類の植物相(flora)の状態が、異なる種のバクテリアの存在を生み出す可能性もある...木質繊維の石炭の中に生息している可能性もある...。
石炭にバクテリアが侵入するというこの考えは、次のような示唆を与える。ある程度の酸化は好気性または嫌気性バクテリアの大群が原因である。そして、この大群が、酸化を生じさせ、炭坑内の石炭ガスの発生源となる可能性がある。つまり、酸化は2℃の熱の上昇に伴う生きている有機体が原因であるということである。これは反証されている。しかし、バクテリアが存在することは明らかである......。
次のようなことを示す証拠がある。100℃(212°F)であらゆるバクテリアの活動は停止する。もし軟らかい石炭とバクテリアの侵入が手を取り合って進行し、何らかの関係があるとすれば、石炭層が東から西に向かって硬くなるにつれて、細菌の(microbic)侵入や含有量は、ガスの放出比率とともに減少していく可能性がある。」こうして、より現代的な確証がベシャンの驚異的な発見によって見出された;一方、この発見は彼一人によるものである。彼のお陰で、バクテリアと呼ばれるものの起源を理解することができたのである。ベシャンの学説によれば、これらは、生き残ったミクロザイマ(microzymas)、あるいはミクロソーム(microsomes)に違いない。それらは、太古の樹木の細胞の中に存在していた。その樹木は、現在では石炭に化石化した形態でわれわれに知られているが、極微の生命をそのまま保存してきたのだ。そして、その極微の生命はかつて、太古の植生を作り上げていたのである。