Béchamp or Pasteur? ― A Lost Chapter in the History of Biology
原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」
著 者:Ethel Douglas Hume
出版年:1923
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
THE MICROZYMAS
Laboratory Experiments
すでに見てきたように、ベシャンとパスツールが発酵の課題に目を向けた当時、生きている物質(living matter)に関しては極めて漠然とした概念しかなかった。原形質(protoplasm)やブラステーム(blastéme:芽体)といった大げさな名前は付けられていた。だが、アルブミノイド(albuminoids:硬蛋白質)が常に同一であると信じられていたほど、ほとんど知られていなかった。
ヴィルヒョー(Virchow)は、こう宣言することで問題を単純化しようとした。動物や植物の生命の単位(living units)は身体の細胞である、と。一方、ヘンレ(Henle)はそれとは逆に、以下のように述べてかなり前進した。細胞はそれ自体、微小な原子(minute atoms)によって構築されている、と。すなわち、分子顆粒(molecular granulations)である。これは、ちょうど細胞の内部で識別可能なのである。シュワン(Schwann)も、こう説いた。大気は限りなく小さな生きている有機体(living organisms)で満たされている、と。
その後、ベシャンとパストゥールが世に現れた。パストゥールはまず発酵の自然発生(spontaneous origin)を肯定した。一方、同時にベシャンは酵母やその他の有機体が空気中に浮遊していることを否定できないほどに実証した。
ついにパストゥールは、ベシャンの啓蒙的な見解によって改心し、大気中の芽胞(germs)に熱中するようになった。これまで見てきたように、流行に敏感なエリートの集まりの前で、芽胞の解明の功績はすべて自分のものだと主張した。しかし、その後すぐに、彼は正に開化した。彼は間もなく、病気、すなわちペブリン病(pébrine)の原因が寄生因子(parasitic origin)であることを否定するようになったのである。この病気は、純粋に寄生因子(parasite)によって引き起こされている。一方、この見解に対して真逆に位置する彼の生体物質(living matter)に関する考え方は、従来の古い考え方から何ら進歩していなかった。すなわち、生体(living body)は一種の化学的装置に過ぎないと考えていたのである。彼にとって、身体には実際に生きているもの(actually alive)は何も含まれていない;その素晴らしい働きが、パストゥールに生きている自律的な存在(living autonomous agents)を示唆することはなかった。
もちろん、公平を期すために言っておくと、パストゥールが肉体を理解しなければならない理由は何もない。 彼は医学的、生理学的、生物学的な訓練を受けたこともない。かつ、博物学者(naturalist)としての気概もない。化学者であったとはいえ、彼が注目した科学分野には適性がなかったようだ。彼が理学士の学位を取得したとき、試験官は卒業証書に注釈を添えた。そこには「化学は凡庸」とだけ書かれていた。
彼は他人の考えを理解するのが特別早かったわけでもないようだ。ベシャンのペブリン病(pébrine)に関する説明の正しさに気づくまで、どんなに長い時間がかかったことか。彼の頭脳(mind)が鋭敏であったのは、世俗的な知恵においてであった。幸運は彼に味方し、彼は常に機会を捉えようと目を光らせていた;しかし悲しいことに、彼は誰かの犠牲の上に自分を押し通すことに抵抗がなかったようだ。例え、それによって科学の進歩が妨げられるかもしれなくても。我々は彼の立派な粘り強さとエネルギーがこのように悪用されたことを嘆くしかない。
パストゥールが生命について、空気中に生きている有機体(living organisms)が存在するという事実以外何も学ばなかった一方で、ベシャン教授はたゆまぬ実験を続けた。運命は彼に救いの手を差し伸べた。エストール教授(Professor Estor)である。彼は、訓練と経験によって十分な資質を備えたもう一人の研究者であった。この2人の科学者は勤勉である。また、日々の研鑽によって精神が鍛えられている。そして、彼らの発見は一貫して臨床観察に基づくものであった。
ベシャンは、偉人達と同じようにして発見をしたのである。つまり、ベートーベン(Beethoven)が作曲をし、ラファエロ(Raphael)が絵を描き、ディケンズ(Dickens)が文章を書くのと同じように;つまり、そうしたのは、どうすることもできなかったからだ ―― つまり、そうするしかなかったのだ。それとは悲しいほど対照的に、今日、実務から離れ、発見をするために研究室にこもっている人たちがいる。多くの場合、彼らの頭脳(minds)は凡庸である。そのような頭脳では、いかなる種類のアイデアも生み出すことができない。彼らが従うことができるのは定型的な理論(routine theories)だけである。いわゆる「発見」と呼ばれるものは、誤りに誤りを重ねる類のものである。実践的な仕事を与えられ、発見者のような稀有な洞察力があれば、夜が明けて昼になるように、実践は啓蒙に至るだろう。緊急に必要なのは、教義からの解放と独創的な意見の奨励である。 集団の心理はカタツムリのような速さで動く。間違いなく、ベシャンのミクロザイマの学説を妨げた最大の要因は、その学説が当時の科学的観念を完全に凌駕していたことである。
彼がしたことは、何よりもまず、当時としては新しい科学の基礎を築くことであった;すなわち細胞学(cytology)である。
微小な有機体(organisms)の驚くべき発見をした、つまりチョークの中に発酵の因子(agents)を発見したベシャンの次の仕事は、細胞が持つ「分子顆粒(molecular granulations)」を調査することであった。そして彼はそれをチョークと石灰岩の「小体(little bodies)」と結びつけたのである。この時点まで、顆粒に関するヘンレ(Henle)の漠然とした見解は無視されていた。そして、その顆粒は無定形の無意味な粒子に過ぎないと広く考えられていた。
顕微鏡と偏光計を駆使し、数え切れないほどの化学実験を行ったベシャン教授は、最初は主に酵母のような集合(organisations)を利用し、顆粒を発見した。その集合に含まれていた顆粒は、発酵を誘発する因子(agents)であった。そこで、その顆粒にミクロザイマという説明的な名前をつけた。
これと同じ顆粒を、彼はあらゆる動植物の細胞や組織(tissues)、そして牛乳のような一見組織化されていないように見えるあらゆる有機物(organic matter)にも発見した。彼は説明できることを証明した。その顆粒が化学変化を起こすことを。例えば、牛乳が凝固する理由である。 彼はこのミクロザイマが至る所で溢れているのを発見した。健康な組織には無数に存在している。病気の組織では様々な種類のバクテリア(bacteria)と関係しているのを発見した。
彼が提唱した一つの公理⁽¹⁾は、どのミクロザイマも分子顆粒(molecular granulation)であるが、どの分子顆粒もミクロザイマであるというわけではない。ミクロザイマであるものは、発酵(fermentation)を誘発する力が強く、何らかの構造を持っていることがわかった。要するに、彼は、ミクロザイマは細胞ではなく、原始的な解剖学的要素(primary anatomical elements)であることを明らかにしたのである。
彼は、想像力が実験を上回るような実践を決して行わなかった。常に疑問を投げかけた。そして、答えを与えてくれる事実を待った。エストル教授(Professor Estor)と協力して行った観察で示したのは、分子顆粒だけではない。それが、ミクロザイマであり、解剖学的要素であり、自律的な生命であり、その微小な自己の中に組織と生命が不可分に一体化していることを示したが、それだけではない。これらの無数の生命のおかげであることを示したのである。つまり、細胞や組織は、生きている(living)生命体(lives)で構成されていることを示したのである;実際、すべての有機体(organisms)は、その原始的な単純さを持つ単細胞のアメーバ(amoeba)であろうと、さまざまな複雑さを持つ人間であろうと、これらの微小な生きている実体(living entities)の集合体である。
現代の教科書⁽²⁾はベシャンの主要な教えを要約している:
「それら(分子顆粒、ここではミクロソーム(microsomes)と命名)の挙動は、ヘンレ(Henle)(1841年)が長い間提唱し てきた仮説につながるような場合もある。その後世において、ベシャン(Béchamp )とエストル(Estor)、そして特にアルトマン(Altmann )がその仮説を発展させた。ミクロソーム(microsomes)は実際には同化(assimilation)、成長(growth)、分裂(division)が可能な単位(units)あるいは生物芽細胞(bioblasts)である。したがって、構造の基本単位とみなされる。それは、細胞と生命体(living matter)の究極的な分子との間に立っているのである。」
このような発見だけが、自然発生に関する混乱を一掃することができるのである。表面的な観察者たち、パストゥールもそのうちの一人であるが、彼らはこう主張し続ける。空気中の芽胞(germs)だけが発酵を引き起こす、と;しかし同時にパストゥールは、認めざるを得なかった。食肉(meat)が、彼自身の実験において大気との接触を妨げたにもかかわらず、腐敗してしまったことを。他の実験の研究者たちは、発生した変化についてこう主張した。大気中の有機体(organisms)が、原因になるとは考えられないと。
ベシャンは、空気中に浮遊する因子の発酵における役割を明らかにした最初の人物である。今や彼は可能である。彼自身の見解によれば、説明可能なのである。発酵は空気中の因子とは別に起こり得る。あらゆる有機体(organisms)は、発酵体(ferments)を生み出すことのできる微小な生きている実体(living entities)で溢れているのである。実際、空気中に見出される因子は、植物や動物の形態から放出されたものと単純に同じものであると彼は考えていた。それらの因子はまず動植物を構築した。その後、我々が死(death)と呼んでいる崩壊(disruption)によって解放されるのである。ベシャンとエストル(Estor)は協力して、生命の不思議なプロセスを追跡調査し始めた。
繰り返しでうんざりさせるかもしれないが、思い出してほしいのである。ベシャンが初期の発見を成し遂げた順序を。まず彼は、次のことを実証した。大気は、どんな適切な媒体でも発酵を引き起こすことができる微小な生きている有機体(living organisms)で満たされている。そして、その媒体の中での化学変化は、発酵体(firmation)によって引き起こされ、その発酵体は、有機体(living organisms)によって生み出される。その発酵体(ferment)は、有機物を分解する胃液(gastric juice)に例えることができる。
第二に、彼は一般のチョークの中に発見した。後には石灰岩の中にも発見した。つまり、彼は、発酵的な変化を起こすことができる微小な有機体(organisms )をこれらの中に発見したのである。そして、これらの有機体が微小な顆粒と関係していることを示したのである。彼は、その顆粒を動植物の細胞や組織の中で観察した。彼は、次のことを証明した。これらの顆粒が、彼はミクロザイマと名づけたが、これらが独立した個性と生命を有している、と。そして、彼は、これらが細胞の先祖であり、身体の形態の起源であることを主張した;真の解剖学的な、腐敗しない要素である。
第三に、彼は、次のことを明らかにした。大気中の有機体、いわゆる大気中に浮遊する芽胞(germs)は、単にミクロザイマか、あるいはその進化形である。かつての植物内の、あるいは動物内の生息環境から、それらが崩壊することによって解放されたものである。石灰岩(limestone)やチョークの中に存在する「小体(little bodies)」は、過去の時代の生命体(living forms)にいた生き残りである。
第四に、彼は次のことを主張した。現在、ミクロザイマは絶えず下等なタイプの生きている有機体(living organisms)に成長している。それを、バクテリア(bacteria)と呼んでいる。
我々はすでに、厳密なベシャンの実験を表面的に調査してきた。それらの実験によって、ベシャンの見解が確立されたのである。空気中に浮遊する有機体(organisms )や チョークに含まれる有機体が持っている発酵の役割に関する見解である;次に、彼の他の結論を確立するために実施された無数の実験のいくつかを追ってみたい。しかし、彼の研究はあまりに絶え間なかった。観察結果はあまりに膨大であった。そのため、要約することしかできない。彼の実験を正確に年代順に辿ることはできない。これだけの実験を行うことで、彼は自分の意見の根拠としていたのである。
研究の非常に早い段階で、彼はエストル教授(Professor Estor)とともに実証した。組織の物質中にバクテリア(bacteria )が出現するのに空気は無関係である、と。 さらに、この二人の研究者は、特定の組織(tissues)や腺(glands)などに存在するミクロザイマが独立した生命力を持つことを立証した。そして、これらの微小顆粒が組織化された発酵体(ferments)のように作用することを示し明らかにした。また、これらの微小顆粒が、バクテリアへと成長することを示した。その際、彼らが説明した特定の中間段階を経る;これらの中間段階は、多くの権威者によって異なる種(species)であると見なされてきた。
ベシャンにとって、この謎全体の根本的な解決は、チョークの中に「小体(little bodies)」を発見したことであった。この「小体」は、サトウキビ糖を転化させたり、澱粉を液化させたりする力を持っていた。つまり、それ自体が発酵の因子(agents)であることを証明するものであった。彼が小体を発見した地層は、地質学者によって少なくとも1100万年前のものと考えられた。ベシャンは、疑問に思った。彼がミクロザイマと名付けた「小体(little bodies)」が、本当にそのような太古の動植物(fauna and flora)に存在した生き残りなのだろうかと。この問題を検証するために何世紀もの時間を自由に使えるわけではなかったが、彼は、自分の目で確かめようと決心した。厳重な注意を払いながら埋もれた死体に、今この時点で何が残っているのかを確認した。そして、彼は分かったのである。通常の方法では、埋もれた死体は、すぐに塵(dust)と化すのである。つまり、防腐処理されたり、極低温に置かれたりしない限り、分解されてしまうのである。そのような処理をした場合は、腐敗が抑制される。その理由は、内在する顆粒、すなわちミクロザイマが休眠状態(dormant)になるからである。
そこで1868年の初め、彼は子猫の死骸を取り出した。特別に調製し、クレオソートで処理した純粋な炭酸石灰(carbonate of lime)で敷き詰めたベッドの上に子猫を寝かせた。さらに厚い層で死骸を覆った。全体をガラス瓶に入れた。口が上部のガラス瓶に何枚かの紙でその口を塞ぎ、次のような方法でその瓶を置いた。ホコリや 有機体(organisms)の侵入を許さずに、常に瓶の中の空気が入れ替わるようにした。この瓶は1874年の終わりまでベシャンの研究室の棚に置かれていた。炭酸石灰(carbonate of lime)でできたベッドの上部を取り除くと、その上部が塩酸(hydrochloric acid)に完全に溶けることがわかった。さらに数センチ下には、骨と乾燥した物体の欠片が見つかっただけであった。わずかな臭いも感じられず、炭酸石灰も変色していなかった。この人工チョークは普通のチョークと同じように白い。沈殿した炭酸石灰(carbonate of lime)に見られるアラゴナイト(aragonite)の微小な結晶を除けば、普通のチョークと見分けがつかない。また、顕微鏡で見ると、鮮やかな「分子(molecular)」が観察された。それは、センスのチョークに見られるようなものであった。次に、この炭酸石灰(carbonate of lime)の一部をクレオソートで処理した澱粉に入れた。もう一部をクレオソートで処理した加糖水に入れた。発酵は普通のチョークを使ったのと同じように起きた。しかし、より激しく発酵した。ミクロザイマは炭酸石灰の上層部には見られなかった。しかし、子猫の死体が横たわっていた部分には、ミクロザイマが微視的な領域ごとに何千と群がっていた。炭酸石灰(carbonate of lime)を絹のふるいにかけた後、希塩酸で濾過した。こうしてベシャンは、ミクロザイマを分けることに成功した。そして、ミクロザイマが顕微鏡で見えるようになった。
6年半以上続いたこの実験が終わると、ベシャンはさらに7年間、実験を続けた。この実験に対し、次のような批判を受けることが考えられる。子猫の体が空気中の芽胞(germs)の餌食になったのではないか。空気中の芽胞が子猫の毛についてきた可能性や、生きているときに呼吸によって肺に入った可能性、腸管(ntestinal cana)に入る可能性も考えられた。こういった批判に応えるため、ベシャンは今一度より厳重な注意を払っていた。
今回、彼は子猫の死骸を丸ごと埋めただけでなく、子猫の肝臓を埋めた場合もあれば、心臓、肺、腎臓を埋めた場合も実験した。これらの内臓を、石炭酸(carbolic acid) に浸した。屠殺した動物から切り離した瞬間に浸したのである。この実験は、1875年6月におけるモンペリエ(Montpellier)の気候の中で開始された。そして、1876年8月末にリール(Lille)に移動し、1882年8月に終了した。
リール(Lille)の気候は温暖で、モンペリエ(Montpellier )の気候(一年の大部分は亜熱帯に近い)とは大きく異なっているため、死体の分解は後半の実験では、前半の実験よりもはるかに進んでいなかった。同様に、遺体の近くの炭酸石灰(carbonate of lime)のベッドでは、ひとつは子猫全体、もうひとつは内臓で、ミクロザイマが群がっていた。そして、よく形成された(well-formed)バクテリアもいた。さらに、チョークには有機物(organic matter)が付着していた。その有機物は、黄褐色に変色していたが、全体は無臭であった。
この2つの実験によって、ベシャンは、これまでの見解に説得力のある確証を得たのである。それらの見解は、他の多くの観察によってすでに示唆されていた。
まず、これらの実験は彼の信念を裏付けた。つまり、彼の信念とは、「小体(little bodies)」、すなわちミクロザイマが、天然のチョークに含まれるとき、これは植物や動物の形態をしていた時の生きている残骸(living remains)である。そして、過去の時代には、ミクロザイマがその動植物の細胞の構成要素であったということである。 また次のことが示された。ある臓器が死んだ後、その臓器の細胞は消滅する。しかし、その代わりに無数の分子顆粒(molecular granulations)、すなわちミクロザイマが残る、と。ここに、生きている形態(living forms )を構築するこれらのミクロザイマが、不朽であることの驚くべき証明を得たのである。 これらの独立した生命の事実は否定されない。莫大な期間にわたって栄養を摂取できないような条件下で、長く生きてきたのである。動物の世界では、冬眠する生き物(creatures)の間でさえ、長期間の食料の断絶が可能であることが分かっている。一方、博物学者は、微小な有機体(organisms )の多くの事例を詳しく説明することができる ―― 例えば、池の住人、これらの生き物は本来の生息地である水を奪われると不定な期間絶食する。また、シダの胞子(fern spores)などは、何年もの間眠ったまま生命力を保持することが知られている。
こうして、動物や植物の体内に閉じ込められていようと、動植物の形態が破壊されて解放されようと、ミクロザイマは、ベシャンによれば、その生命力を休眠状態で維持することが可能であることが証明された。例え人間の記録を超える期間であったとしても。また異なるミクロザイマがさまざまな異なる生命力を持つことはあり得ることである。後述するように、ベシャンはさまざまな種や器官のミクロザイマの違いを発見している。
しかし、細胞の構成要素が、いつまでも生き続けることができることを発見した、すなわち、もともと形成されていた植物や動物の体が破壊された後でも生存可能であることを発見した以上に、彼はこう考えた。説得力のある証拠を得た、と。つまり、バクテリアとして知られる生命体(life forms)へと成長する能力がその要素にあるということである。もしそうでないとしたら、埋められた内臓の実験において、これらの生命体はどこから来たのだろうか?空気中の芽胞(germs)が、子猫の死体の実験において完全に排除されていなかったとしても、内臓の埋葬の実験においては、それらを排除するために最大限の注意を払っていたのである。しかし、ベシャンは次のことを発見したのである。内臓に存在したミクロザイマは、子猫全体に存在したミクロザイマと同様に、結合した(associated)ミクロザイマから、数珠状の(chaplets of)ミクロザイマへ、そして最終的には見事なバクテリアへと成長したのである、そのバクテリアの中にキャプタタム菌(capitatum:有頭骨)が存在し、大きな肉片の中心部に出現したのである。
ここでベシャンは、偉大な博物学者(naturalist)キュヴィエ(Cuvier)と、彼に次ぐパストゥールが、以下の想定がいかに間違っていたかを目の当たりにした。
「...どんな部分であれ、動物の塊から切り離されると、その事実によって死滅した物質の秩序に移行する。そして、それによって本質的に変化する。」
ベシャンの研究によって、次のことが分かった。身体の別々の部分が、ある程度、独立した生命を維持していることを。現代の実験者の一部の者たちが持っている信念では、ベシャンとは異なり、そのことの説明ができない。
彼の実験で、以下のことを教授は理解することができた。バクテリアが、様々な場所で発見される可能性があることである。つまり、死体が埋められた場所や、堆肥が施された土地、朽ち果てた植物の周囲などである。彼によれば、バクテリアは大気中に神秘的に出現する特別に創造された有機体(organisms)ではない。そうではなく、バクテリアはミクロザイマの成長過程の一形態(evolutionary forms)である。そして、そのミクロザイマは動植物の細胞を形成するのである。動植物の死後、バクテリアは、その栄養プロセスによって、動植物の崩壊(disruption)、言い換えれば分解(decomposition)を引き起こす。その結果、ミクロザイマに近い形態に戻るのである。
こうしてベシャンは、どの生きている存在(living being)もミクロザイマから生まれたと説いた。そして、さらにこうも説いた
「どの生ける存在(living being)もミクロザイマに還元される。」⁽⁴⁾
この第二の公理が、彼が言うには、最初の実験でバクテリアが消滅したことの説明となる。ちょうどミクロザイマがバクテリアに成長する可能性があるように、彼の教えによれば、バクテリアは、逆の過程によって、ミクロザイマの原始的な単純な姿に還元される可能性がある。ベシャンは、前半の実験において、この説明のようなことが起こったと考えた。何故なら、前半の実験では、子猫の死骸の崩壊が、後半の実験よりも完璧に進んだからである。後半の実験では、リール(Lille)の温暖な気候のため、腐敗(decomposition)の過程が長引いたのである。
不屈の働き手は、この2つの観察実験⁽⁵⁾から実に多くの教訓を得た:
1. ミクロザイマが有機体(organism)の唯一の非一過性(non-transitory)の要素である。有機体の死後も存続し、バクテリアを形成する。
2. 人間を含む、あらゆる生ける存在(living beings)の有機体(organisms )の中で化合物が生成される。つまり、ある部分で、ある瞬間で、アルコールや、酢酸(acetic acid)、その他の化合物が生成されるのである。これらの化合物は、組織化された発酵体(ferments)の活動で作られる通常の生成物である。そして、この化合物が生成される自然的原因(natural cause)は、有機体(organism)を形成した通常のミクロザイマ以外にない。アルコール、酢酸(acetic acid)などが組織(tissues)内に存在することは、その原因の一つを明らかにするものである。つまり、酸化現象とは無関係に、有機体(organism)の中の糖分(sugar)が消失する原因、またブドウ糖生成物質(glucogenic matters)が消失する原因、そしてデュマ(Dumas )が呼吸性食物(respiratory foods)と呼んだものが消失する原因が明らかになる。
3. 適切な温度以外のいかなる外部の影響が同時に作用しなくても、発酵は動物から取り出された部分において進行する。例えば、卵、牛乳、肝臓、筋肉、尿などである。あるいは、植物の場合は、発芽中の種子や、果物の中で進行する。果物の場合、木から切り離されたときに成熟する。 死後、臓器の中で最も早く消失する発酵性物質は、グルコースや、糖原性物質(glucogenic matter)、あるいは炭水化物(carbohydrates )と呼ばれる化合物のうちのいくつかである ―― つまり呼吸性食物(respiratory food)である。そして新たに現れる化合物は、実験室で行われるアルコール(alcoholic)発酵、乳酸(lactic)発酵、酪酸(butyric)発酵で生成されるものと同じである;あるいは、生物の中で、アルコール、酢酸(acetic acid)、乳酸(lactic acid)、サルコラクティック酸(sarcolactic acid)などが生成される。
4. 以下のことが再び証明される。死後の腐敗の原因は、同じである。有機体(organism)の内部に存在し、有機体が作用するようにふるまい、他の条件下でも、生きている間にも存在する ―― すなわち、成長(evolution)によってバクテリアになることができるミクロザイマである。
5. ミクロザイマは、バクテリアに成長(evolution )する以前や以後、アルブミノイド(albuminoid)やゼラチン状の物質(gelatinous matters)だけを攻撃する。それは炭水化物(carbohydrates)と呼ばれる物質を破壊した後に行われる。
6. ミクロザイマや バクテリアは、前述の実験場所を移動した効果を受けても、酸素のない密閉された容器内では死滅しなかった;ミクロザイマは休息状態に入ったのだ。糖分を分解する際に生じる生成物の環境下でビール酵母がするように、本来はミクロザイマがバクテリアを形成するのだが、それを止めていた。
7. 特定の条件下、特に酸素が存在する場合にのみ、炭酸石灰(carbonate of lime)などに埋められた子猫の実験のように、同じミクロザイマやバクテリアが植物や動物の物質を確実に分解(destruction)する。そして、炭酸(carbonic acid)、水、窒素、あるいは単純な窒素化合物(nitrogenous compounds)、さらには硝酸(nitric acid)やその他の硝酸塩(nitrates)に変化させるのである!
8. このようにして、ある有機体(organism )の有機物(organic matter)の必要な分解(destruction)が、偶然に任せられたり、その有機体(organism)とは無関係な原因に委ねられられたりすることはない。そして、他のすべてが消滅したとき、バクテリアや、最終的に、バクテリアからの復帰から生じるミクロザイマが、以下のようにして証拠として残るのである。つまり、死んだ有機体(organism)の中には、ミクロザイマ自身を除いて、本来生きていたものは何もなかったのである。そして、これらのミクロザイマが、私たちには生きていたものの残骸あるいは残滓として見えるが、特定の種類の活性をまだ持っているのである。つまり、その活性は、破壊された存在が生命を有していた間にミクロザイマが持っていたものである。したがって、ミクロザイマやバクテリアは、子猫の死体から残ったものであるが、肝臓や心臓、肺や腎臓に存在したミクロザイマと絶対的に全く同じものではないのである。
教授は続けた:
「私は、こんな推論をするつもりはない。大気中(open air)や地表で起こる分解(destruction)において、他の原因がそれを早めるようなことは起こらない、とは。また、否定したこともない。いわゆる大気中の芽胞(germs)や他の原因が関係していることを。
私が言いたいのは、これだけだ。これらの芽胞(germs)やこれらの原因が、その目的のために明確に創造されたわけではないことである。また、大気中の塵に含まれるいわゆる芽胞(germs)は、私が今説明したメカニズムによって分解(destroyed)された有機体から派生したミクロザイマにほかならないことである。そして、そのミクロザイマが持っている分解する(destructive)影響力は、分解(destruction)の過程にある存在(being)に属するミクロザイマの影響力に加えられるのである。
しかし、大気中の塵の中には、ミクロザイマだけが存在するわけではない;微小な植物叢全体の胞子(spores )が侵入している可能性もある。また、カビが侵入している可能性もある。こういったカビがその胞子から生まれる可能性もある。」
こんな想定をするべきではない。ベシャンがこのような多様な見解を、たった2つの一連の観察に基づいて築いたなんて。 ビーコン実験以来、ベシャンは微小有機体(micro-organisms)に関連する苦難の仕事を絶えず続けてきたのだ。
エストル教授(Professor Estor)とともに、彼は胎児から取り出した内臓で多くの実験を行った。これらの胎児は、流産によって得られたものである。ここでもまた、正常な固有の粒子(particles)からバクテリアが成長(evolution)したことを証明する決定的な証拠が得られた。なぜなら、臓器の内部にはバクテリアがいたにもかかわらず、周囲の液体、その液体は培地として特別に調製されたものだが、その液体にはそのような有機体(organisms)はまったく存在しなかったからである。
彼らは苦労を惜しまなかった。彼らの継続的で多様な実験をさらに詳細に説明することは、紙幅の都合上できない;例えば、卵に関する実験では、鶏の卵で満足することなく、殻が硬く粘りのあるダチョウの卵を調達し、これを無数の実験にかけた。ダチョウの卵から、受胎した卵の中で徐々に成長(evolution)していく証拠を得た。そこでは、オスの精子とメスの生殖細胞(germ cells)のミクロザイマが結合して、羽毛の生えた生き物(creature)の器官や 組織へと成長(evolution)していった。また、卵を振ったり撹乱したりすると、この成長(development)が止まることが示された。また、腐敗した卵の内部では、結合(associated)し数珠つなぎになったミクロザイマと群がるバクテリアが入れ替わることも示された。
彼らの研究の過程で、教授たちは実験にあらゆる可能な試験を適用した。時には空気を入れ、時には厳重に空気を排除した。彼らの観察はベシャン教授の弟子たちによって熱心に取り上げられるようになった。その弟子たちの中には、ル・リック・ド・モンシー氏(M. Le Rique de Monchy)がいた。彼は、蚕の研究においてベシャンを手伝っていた。『様々な起源の分子顆粒に関する報告(Note on the Molecular Granulations of Various Origins)』 ⁽⁶⁾という論文の中で、この不屈の学生は、以下のことを示した。振動する顆粒は、エネルギー作用を持つ有機体(organisms)であると。その作用は、特定の物質に対して発酵する作用に似ている。その物質と、有機体は自然の媒体(natural medium)の中で接触している。
一方、彼の師は科学アカデミーに次々と研究論文(memoir)を送った。唾液や鼻腔などの粘液に含まれていた微小有機体(micro-organisms)―― ミクロザイマやバクテリア ―― の研究を始めたのはベシャンであった。身体の分泌物そのものが、ベシャンの意見の証拠となったのである。こうして、『肝臓のミクロザイマの性質と機能について』と題された研究論文(memoir)の中で、彼とエストル(Estor)はこう述べている:
「物質は、アルブミノイド(albuminoid)であろうと他の物質であろうと、自然発生的にチマーゼ(zymase:酵素)になったり、チマーゼの性質を獲得したりすることはない;チマーゼが現れるところならどこでも、何らかの組織化された(生きた)物体(thing)が発見される。」⁽⁷⁾
これは、身体について、なんと素晴らしい概念を与えてくれることだろう! ちょうど家庭や国家が、そのさまざまな構成員がさまざまな機能を果たさなければ繁栄できないように、私たちの身体及び動物や植物の身体は、無数の働き手によって維持されているが、このような働き手の働きの失敗は、有機体全体の均衡を乱すのである。ちょうど国家において、さまざまな労働形態ごとに異なる専門家がいるように、ベシャンは、さまざまな器官(organs)に存在するミクロザイマが区別されていることを示した。すなわち、膵臓(pancreas)のミクロザイマ、肝臓(liver)のミクロザイマ、腎臓(kidneys)のミクロザイマのようにである。次のような反論があるかもしれない。顕微鏡でしか観察できないような微小なものを区別するのは難しすぎる、と。したがって、ベシャンの言葉を引用するより他はないだろう:
「博物学者(naturalist)には分類のしようがないだろう。しかし、これらの機能を研究する化学者は、分類することができる。こうして新たな道が開かれる:顕微鏡が有機物(organic matter)の変化の原因を示す力を失ったとき、発酵(fermentations)の生理学的理論で武装した化学者の鋭い眼差しが、化学現象の背後に、発酵を生み出す原因を発見するのである。」
彼はこうも言った:
「ミクロザイマはその機能によってのみ区別することができる。その機能は、同じ腺(gland)、同じ組織(tissue)であっても、動物の年齢によって異なることがある。」⁽⁸⁾
また、彼は以下のことも示した。ミクロザイマは、組織ごと、動物ごとに異なる。そして、ヒトの血液に含まれるミクロザイマは、動物の血液に含まれるミクロザイマとも異なる。
これらの研究は非常に注目されていたので、1868年、ベシャン教授は、院長(Director)のグレナール氏(M. Glenard)に招かれた。そして、リヨン(Lyons)の医学部で特別講義を行った。この席で、ベシャンは肝臓のミクロザイマに関する実験について議論した。その実験は、彼とエストル教授(Professor Estor)とともに行った。また、役割についても議論した。口の中の微小な有機体(organisms)が唾液ジアスターゼ(salivary diastase)の生成に果たす役割や、 澱粉の消化に果たす役割についてである。 これはエストール教授(Professor Estor)とサント・ピエール氏(M. Sainte-Pierre)との共同研究である。また、痘苗(vaccine)や梅毒の膿(syphilitic pus)に含まれるミクロザイマについても議論した。
ベシャンがモンペリエ(Montpellier)での仕事に満足していた時期があった。希望の星がまだ仄かに輝いていた時期である。彼の気質に特有の明るい陽気さを見せていた。利己(self)という言葉は一切使わなかった;自分のためにすること。または、自分のためにしたいこと。そういう言葉である。自慢話やあざけるような卑下も、彼にとっては無縁のものだった。自然の神秘、生と死の営み;それらに彼は心を奪われていた。
なんと素晴らしいものであったことか。この偉大な教師にとって。彼の見解がこれほど急速に発展した時、昼や時には夜の半ばまで、彼は自然の神秘の解明に取り組み続けた;一方、彼と一緒に同僚のエストル教授(Professor Estor)も何年も働き続けた。
ベシャンは「どれほど感動的だったことか。私たちが手伝った無数の交霊会(séances)は、アイデアの確認、事実の検証、学説の発展に驚嘆させられた。」と書いている⁽⁹⁾。
そして、彼にとって自然であったが、パストゥールにとっては異質であった大らかな心の寛容さをもって、こう付け加えた:
「1868年から1876年までの間、動物の器官におけるミクロザイマに関することはすべて、私たち二人に共通するものであった。そして、何が私のもので、何がエストール(Estor)のものなのか、どう区別すればいいのかわからない。」
私たちは、想像することはほとんどできない。発見者たちがどのように感じたかを。彼らが、以前に成功した誰よりも生命の秘密に近づいていることを知ったときに、どう感じるのだろうか。
そして、二人とも医師であったため、彼らの労働は、多かれ少なかれ人工的な実験に絞られることはなかった。例え、実験室で行われた実験であったとしてもである。彼らの臨床の仕事は、絶え間ない経験をもたらした。そして、彼らの最も確信に満ちた観察は、あらゆる実験者の中で最も偉大なものによって成し遂げられたものであった ―― すなわち、自然である!
註釈