ベシャンか?パストゥールか?

第1部

パストゥール:盗作者、詐欺師-病原体説の崩壊


原 題:「Pasteur: Plagiarist, Impostor - The Germ Theory Exploded」

著 者:R.B. Pearson

出版年:1942年

掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)



2.ベシャン、パストゥール、そして発酵[1]

1854年頃、フランスで最も偉大な科学者の一人であるピエール・ジャック・アントワーヌ・ベシャン教授――当時はストラスブール理学部薬学科教授、後に(1857-75年)モンペリエ大学医学化学・薬学教授、多くの科学団体の会員、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受賞――が発酵の研究を始めた。

1852年、彼はアニリンの製造コストを削減することに成功し、商業的な成功を収めたが、彼の製法はドイツの染料産業の基礎となった。おかげで彼は有名になり、さらに多くの問題を解決するようになった。

それまでは、サトウキビ糖を水に溶かすと、常温で自然に転化糖(グルコースとフルクトースの等量混合物)に変化するという考えが一般的であったが、デンプンを使った実験により、彼はこの考えの信憑性を疑うようになった。

そこで1854年5月、ベシャン氏はこの変化に関する一連の観察を行ったが、これは後に「ビーコン実験」と呼ばれるようになった。この実験では、完全に純粋なサトウキビ糖を水に溶かし、空気が入ったガラス瓶に入れたが、しっかりと栓を締めた。別の瓶にも同じ溶液を入れたが、薬品を添加した。

薬品が添加されていない溶液では、約30日でカビが発生し、この瓶の砂糖の転化は急速に進んだが、薬品が添加された他の瓶ではカビも転化も起こらなかった。 彼はポラリスコープで転化を頻繁に観察した。

これらの観察は1855年2月3日にまとめられ、彼の論文は1855年2月19日のフランス科学アカデミーの報告書に掲載された[2]。

これによりカビの説明がつかなくなったため、1856年6月25日(ストラスブールにて)、カビの起源を特定するために2回目の観察を開始し、1857年3月27日には、変化に対するクレオソートの影響を調べるためにフラスコを使った3回目の観察を開始した。どちらの観察も1857年12月5日にモンペリエで終了した。

2回目の観察では、操作中にフラスコ1と2から少し液体をこぼしてしまったため、この2つのフラスコには液体と接触した空気が少し含まれていた。 この2つのフラスコでは、すぐにカビが発生し、培地の変質が起こった。

彼はまた、カビがより急速に成長するフラスコでは、変化がより急速であることも発見した。

他の9つのフラスコには空気はなく、カビも生えず、砂糖の転化も起こらなかった;明らかに、カビと転化が起こるには空気が必要だった。 このことから、カビの発生と砂糖の転化は「自然発生的な」作用ではなく、最初の2つのフラスコに入れた空気の中に何か原因があるに違いないことが、疑いの余地なく証明された。

しかし、パストゥール氏は後に発酵を次のように表現した。

「空気のない生命、もしくは酸素のない生命である。」[3]

この当時、発酵はアルブミノイドの存在下でなければ起こらないと一般的に考えられていたため、パストゥール氏らは溶液の一部としてアルブミノイドを一般的に使用していた。したがって、彼らの溶液にはもともとこれらの生きた組織が含まれていた可能性がある。

ベシャン氏の溶液には純粋なサトウキビ糖と水しか含まれておらず、新鮮な消石灰で加熱してもアンモニアが放出されなかったことから、この溶液にはアルブミンが含まれていないことが十分に証明された。 しかし、カビは明らかに生物であり、それゆえアルブミノイド物質を含んでいたと言える。何故なら、この2つの溶液にカビが現れたのだから。

ベシャン氏は、これらのカビが生物であること、サトウキビ糖が転化していることを自ら納得のいく形で証明した上で、彼は次のように述べた。

「...カビの発生に比例して...これらの初歩的な生物は、その後、発酵の働きをする。」[4]

パストゥール氏は、どうやら空気との接触を見過ごしていたようで、ベシャン氏の発言に異議を唱え、次のように述べた:

「...論理的であるためには、ベシャン氏は、窒素、リン酸塩、その他のミネラル元素を含まない純粋な砂糖水の中でカビが発生したことを証明したと言うべきである。なぜなら、カビが他のミネラルや有機的原理を含まない純粋な砂糖の入った純粋な水の中で成長することができたという、少なくとも驚きの表現がない彼の仕事から推測されるのは、とんでもないことだからである。」[5]

これに対するベシャン氏の反論は次のようなものだった:

「科学に精通した化学者なら、ガラス製のフラスコの中で空気と接触している加糖水の中でカビが発生することに驚くべきではあるまい。 驚くべきはパストゥール氏の驚きである。」[6]

ベシャン氏は、最初の2本のフラスコで空気中の窒素を除き、窒素を全く含まない状態から始めたので、おそらく、あらゆる成長や あらゆる種類の生物が空気中から窒素を吸収することが証明された最初の例であろう。パストゥール氏はこの考えを理解できなかったようだ!

彼の最後の著書『血液とその第三の解剖学的要素(原題:The Blood and its Third Anatomical Element)』の序文で、ベシャン氏は、大聖堂のランプの揺れがガリレオ氏に感動を与えたのと同じように、これらの事実が彼に感動を与えたと述べている。ベシャン氏は、この2つのフラスコには少量の空気が入っており、その中に何らかの生物が入り込み、発酵作用によってカビが発生し、砂糖が転化していることに気づいた。彼は、カビの存在下でのサトウキビの糖の変化を、デンプンを糖に変える発酵酵素であるジアスターゼによってデンプンに生じる変化と比較した。

1857年12月、彼はこれらの発見に関する報告書を科学アカデミーに送り、1858年1月4日付の同アカデミーの報告書にその抜粋が掲載されたが、論文の全文が掲載されたのはその年の9月であった[7]。

彼はこれらの実験について次のように述べている:

「この回顧録は、その題名からして純粋化学の仕事であり、当初は純粋な冷水がサトウキビ糖を転化できるかどうか、さらに塩が転化に何らかの影響を及ぼすかどうかを調べることだけが目的だった。 しかしやがて、私が予見していたように、この問題は次第に複雑になり出した;それは同時に生理学的なものとなり、発酵現象や自然発生の問題に左右されるようになった。こうして私は、単純な化学的事実の研究から、発酵の原因、発酵物の性質と起源を調べるようになった。」[8]

シュワン氏は1837年頃、空気中に浮遊する細菌を示唆していたが、その考えを証明するには至っていなかった;今回、ベシャン氏がその存在を証明したのである。

しかし、パストゥール氏は1857年の回想録の中で、カビも発酵体も「自然発生する」という考えに固執しているのだが、彼が作った溶液にはすべて死んだ酵母や 酵母液が含まれており、それらは元から細菌や発酵体を持ち込んでいた可能性がある。

彼は、発酵体は生き物であると結論付けてはいるが、そのことを「反論の余地がないほど実証することはできない」と述べている[9]。

しかし、ベシャン氏はその論文で「反論の余地がない」ことを証明し、また、水だけでは変質は起こらず、自然に変質することもなく、空気との接触なしにはカビは発生せず、転化も起こらないことを証明していた;したがって、空気中に浮遊する何らかの有機体がカビや転化を引き起こすに違いないのである。

ヒューム女史によれば、ベシャン氏はまた、「組織化された」もしくは生きた発酵と、カビを砕いて得られる可溶性発酵とを区別した最初の人物であり、この発酵が糖分に直接作用して急速な転化を引き起こすことを発見した。

彼は、1864年4月4日に科学アカデミーで読み上げた論文『組織化された発酵物による発酵に関する覚書(原題:Memoirs on Fermentation by Organized Ferments)』の中で、この物質を「ザイマーゼ」と命名した[10]。

奇妙なことに、30年以上経った1897年に、さまざまな百科事典がこの発見の功績を認めている他の人々も、まったく同じ単語を使っているのである!

この論文で彼はまた、発酵現象が生きた有機体の栄養に起因するものであることを完全に説明した;すなわち、吸収、同化、排泄のプロセスなのである。

『血液とその第三の解剖学的要素(原題:The  Blood  and  its  Third  Anatomical  Element)』の序文で、ベシャン氏は次のように述べている:

「可溶性発酵は、生産物と生産因子の関係によって、不溶性発酵と結びついていた;可溶性発酵は、必然的に不溶性である組織化された発酵なしには存在することができなかった。

さらに、可溶性発酵物やアルブミノイドは、窒素を含んでいるため、フラスコ内に残された限られた量の空気から窒素を得ることによってのみ形成されるのであり、同時に、空気中の遊離窒素が植物の窒素物質の合成に直接役立つことが実証された──これはそれまで論争の的となっていた問題であった。

こうして、カビや酵母の構造を形成する物質が有機体内で精製されるのだから、サトウキビ糖を転化させる可溶性発酵物のように、可溶性発酵物や発酵産物もまた有機体内で分泌されるに違いないことが明らかになった。 それゆえ私は、発酵と呼ばれているものは、実際には栄養、同化、脱同化の現象であり、脱同化された生成物の排泄であると確信した。」

彼はさらに次のように説明した:

「これらの溶液にはアルブミノイド物質は含まれていない;これは純粋なサトウキビ糖で作られたもので、生消石灰で加熱してもアンモニアは発生しない。したがって、空気中に浮遊する細菌が、砂糖漬けの溶液がその発育に好都合な媒体であることを認識したことは明らかであり、この発酵は真菌の発生によって生じたものであることを認めなければならない。

加糖液中に発生した物質は、時には小さな単体の形で、時には大量の無色の膜の形で塊となってフラスコから出てくる。 この膜を苛性カリで加熱すると、アンモニアが大量に発生する。」

これにより、アルブミノイドが存在することが証明されたのであり、したがって微小体は生きた物質であると言える。また、パストゥール氏がこれらの生理学的プロセスを理解する何年も前の1857年に、ベシャン教授がカビや発酵物の形成と成長を理解していたことも証明されたのである!

ベシャン氏の1857年の実験に関する論文が掲載されてから1年以上経過した1859年に、パストゥール氏はベシャン氏の考えに沿った別の実験を開始した;実際、それはベシャン氏の考えに触発されたものであったらしい。

彼は酵母を一切使わず、窒素を含むアンモニアを溶液を使った。そして、乳酸酵母の起原が大気の空気にあると考えた。 彼は、このような環境に動物や 植物の物質が出現し、成長することに驚いた。

彼は次のように語った:

「これらの実験における乳酸酵母の起源については、ひとえに大気中の空気にある;我々はここで自然発生の事実に立ち戻る。」

大気中の空気を排除したり、溶液を煮沸したりすることで、有機体の生成や発酵を防げると主張した後、彼は次のように述べた:

「この一点に於いて、自然発生の問題は進展したのである。」

さらに後の回想録[11]では、ベシャン氏のビーコン実験に触発されたことが明らかであるが、パストゥール氏は再び酵母の自然発生と発酵に絶えず言及している。

彼がこの時期、まだ細菌や 発酵体の自然発生を信じていたことに疑問の余地はないが、ベシャン氏の研究と比較すると、彼の推論はいささか幼稚に見える。

しかし1860年、彼は別の実験を開始した。73本の未発酵の液体を用意し、それらを大々的に事前に告知した旅先でさまざまな場所にさらすというものだった。彼は各地でさまざまな実験用の瓶の開封と再封を繰り返したが、最後の20本はシャモニー山頂の氷河の上で開封した。

彼はここでベシャン氏の実験を事実上繰り返したが、もちろん注目を集めるためには、もっと違う、もっと派手な方法を使わなければならなかった。

この時期から、彼は自然生成の問題から離れ、同じ現象(発酵)を空気中の細菌によって引き起こされると説明し始めた。

ポール・ドゥ・クルイフ氏は『微生物ハンター』(血清学のオリジナルの実験者の何人かを持ち上げようとする大袈裟な試み)の中で、パストゥール氏が他人のアイデアの手柄を横取りすることを厭わなかったことに触れ、埃のない、細菌がいない空気をフラスコに入れるためにバラード氏が提案した白鳥の首の瓶は彼の功績ではないとして、パストゥール氏がその瓶を使用したことについて述べた後、この『アルプス山脈の高地』での実験についてこう述べている:

「そしてパストゥール氏は、記録を丹念に調べればわかることだが、彼独自の実験を考案した。 それは壮大な実験であり、半公共的な実験であり、汽車でフランス全土を駆け巡る実験であり、氷河の上を滑るような実験であった。」(p.83)

しかし、ドゥ・クルイフ氏はそれがパストゥール氏のものであることを徹底的に疑っていたし、そうかもしれなかった!しかし、パストゥール氏の無鉄砲な主張が、彼自身のものであったり、実際、真実であったりするものがいかに少ないか、彼はほとんど気づいていなかった。

1861年11月22日、ソルボンヌ大学で自然発生について議論した際、パストゥール氏はベシャン教授がいる前で、アルブミノイドを含まない培地中に生きた有機体が出現することを証明したのはすべて自分の手柄だと主張する度胸があった!ベシャン氏はパストゥール氏に、ベシャン氏の1857年の研究に対する知見を認めるよう求めたが、盗用を問うことはしなかった。パストゥール氏はその質問から逃れ、ベシャン氏の研究は「厳密に正確」であったと認めただけであった。これは事故ではなく、意図的で計画的な不正行為であった;しかし、ベシャン氏はあまりに紳士であったため、不愉快な告発をすることは一切しなかった。

自然発生説がパストゥール氏の頭から完全に消えるまでにさらに数年を要したことは、ブリタニカ百科事典第14版のパストゥール氏に関する記事に次のように記されている:

「乳酸発酵もアルコール発酵も、空気に触れることで促進されるという事実を知ったパストゥール氏は、目に見えない有機体が大気中に常に存在しているのか、それとも自然発生するものなのかと考えるようになった。空気の濾過や、未発酵の液体を高地のアルプスの純粋な空気にさらす有名な実験などを含む一連の複雑な実験によって、彼は1864年に、発酵を引き起こす微小な有機体は自然発生したものではなく、通常の空気に含まれている類似の有機体に由来するものであると確信をもって宣言することができた。」[12]

ここでもう一度言うが、彼は1864年まで自然発生説を捨てなかった。アルプス山脈の高地での冒険は、ベシャン氏の発見を手中に収め、なおかつ自分自身に注目を集めるための「新ネタ」を用意するために、事前に周到な宣伝をした演出に過ぎなかった。もちろん、まったく同じ方法をとるわけにはいかない。誰かがベシャン氏の手記を持ち出すかもしれない。だからこそ、「アルプス山脈の高地」や「氷河の上を滑走する」ことになるのだ。

1859年に行った実験からも、アルブミノイドを用いないベシャン氏の研究を知っていたことがわかる。1861年のソルボンヌでの会合でベシャン氏の質問を避けたことも、そのような考えをさらに裏付けるものであり、一方、ベシャン氏への攻撃は、彼がライバルであると認識し、強い嫉妬心を抱いていたことを示唆している。

6年も前にベシャン氏が提唱したアイデアを最終的に受け入れたのは、ベシャン氏が発酵のプロセスについて完全かつ徹底的に証明した説明を含む完全な論文を発表した後のことであることに注意が必要である。

しかしパストゥールは、1860年に「アルプス山脈の高地」での実験を終えた時点で、空気中の細菌が発酵を引き起こすという考えを受け入れた、あるいは受け入れ始めていたのである;やがて彼は、およそ100年前にプレンシズ氏が示唆したように、これらの細菌が病気も引き起こすという結論へと大きく飛躍したのである!

この考えについて、彼はプレンシズ氏以上の証拠を持ち合わせていなかった。ただ、病原菌が存在することが知られるようになっただけであり、プレンシズ氏はそれを証明することはできなかったようだ。

ベシャン氏は1857年の実験に関する論文(1858年発表)で発酵の生理学的性質を明らかにし、1864年の論文ではより完全な詳細を述べていたが、パストゥール氏は1872年に論文を発表するまで、発酵の本質を十分に理解していなかったようだ――彼は次のように述べている:

「発酵という化学的な現象と他の作用と、特に通常の生命の作用とを区別するものは、発酵体の重量よりもはるかに大きな重量の発酵物質を分解することである」[13]。

発酵作用の本質を本当に理解している人が、そんなことを言うだろうか? おそらくパストゥール氏は理解していなかっただろう!

ベシャン氏はエストル教授と共同で、発酵の本質を明らかにする努力をしており、これに対して『コンプテス・レンドゥス(Comptes Rendus)』誌の同巻1523頁に掲載された論文で答えている、その中で彼は次のように述べている:

「ある成人男性が100年生き、平均体重が60キロだったとしよう。彼はその間に、他の食物に加えて20,000キログラムの肉を消費し、約800キログラムの尿素を生成したものとする。

もちろん、この肉と尿素の質量が、一生のどの瞬間にも、彼の存在の一部を形成しうるという示唆はない。人間が、同じ行為を繰り返し何度も行うことによってのみ、すべての食物を消費するのと同じように、酵母細胞は、絶え間なく少しずつ吸収と分解を繰り返すことによってのみ、大量の糖を消費するのである。たった1人の人間が1世紀に消費するものを、十分な数の人間が1日で吸収するのである。

酵母も同じで、少数の細胞が1年で消費する糖分を、より多くの細胞が1日で破壊する。 どちらの場合も、個体数が多ければ多いほど、消費は急速に進むのである。」[14]

それは、成績証明書に「化学は平凡」と書かれた男(つまりパストゥール氏)でも理解できるほど明確ではないだろうか? 子供でも理解できるはずだ。

しかし、パストゥール氏は4年後に出版した『ビールの研究(原題:Etudes sur la Bier)』(1876年)でも同じことを繰り返し述べており、ベシャン氏の明確な説明は、おそらく何の効果もなかったのだろう――少なくとも彼にとっては。

ベシャン氏が発酵の生理学的性質を完全に明らかにし、その作用を極めて詳細に記述してから8年から14年経っても、パストゥール氏はまだ発酵プロセスに関する事実を把握していなかったという証拠がここにある!

ブリタニカ百科事典の発酵に関する記事には次のように書かれている:

「パストゥール氏によれば、発酵は、単細胞有機体が自由酸素に触れることなく成長し増殖することによって起こるが、このような状況下で、有機体は増殖している培地中の化学化合物から酸素を取り込む力を獲得する。 つまり、「発酵とは空気のない生命、もしくは酸素のない生命」なのである。この発酵理論は、1892年と1894年にA.J.ブラウンによって大幅に修正された。彼はパストゥール氏の見解に反する実験を行い、その結果を発表したのである。」[15]

その35年以上前──1855年と1858年──にベシャン氏が行っていたことだが、パストゥール氏は彼のアイデアを横取りし、曲解したのである。

パストゥール氏もまた、発酵の種類はそれぞれ1つの特定の細菌を持つという結論に飛びついたが、一方でベシャン氏は、それぞれの微小有機体は、それが存在する培地に応じてその発酵作用を変化させる可能性があることを証明した。彼はまた、条件を変えると、これらの微小有機体はその形状さえも変化する可能性があることを示した。これは最近、米国農務省のF.ローニス氏とN.R.スミス氏、及びその他の研究者たちによって決定的に証明されたことである[16]。

しかしパストゥール氏は、細菌を分類し、それぞれに明確で不変の機能をラベルづけしようとしたのだが、すぐにわかるように、ここでもまた彼は間違っていた。


脚注

  1. 第2章、第3章、第4章、第5章におけるすべての引用は、特にクレジットのない限り、エセル・ヒューム著『ベシャンか?パストゥールか?(原題:Béchamp  or  Pasteur?)』(初版は英国ロンドン、全米反ワクチン連盟発行)から引用し、本書に収録されている。
    ヒューム女史はベシャン氏とパストゥール氏の著作を徹底的に調査し、後者における盗作の驚くべき事実を明らかにしたのだが、その多くがここに引用されている。
    また、この4つの章で使われているフランス語からの翻訳は、すべて『ベシャンか?パストゥールか?』からのものである。
  2. Comptes Rendus de l’Academie des Sciences, 40, p.436
  3. Encyclopaedia Brittanica, 11th ed. 10, p.275
  4. Comptus Rendus de l’Academie des Sciences, 46, p.44
  5. Etudes sur la Biere, 1876, p.310
  6. Les Microzymas, p.87
  7. Annales de Chimie et du Physique, 3rd series, 54, p.28
  8. Les Microzymas, p.55
  9. Comptes Rendus, 45, p.1032;
    Annales de Chimie et du Physique, 3rd series, 52, p.404も参照のこと。
  10. Comptes Rendus, 58, p.601
  11. Annales de Chimie et du Physique, April 1860
  12. Encyclopaedia Britannica, 14th ed., 17, p.357
  13. Comptes Rendus, 75, p.785 (session of Sept. 30th, 1872)
  14. ibid., p.1523 (session of Dec. 2nd, 1872)
  15. Encyclopaedia Britannica, 11th ed., 10, p.275
  16. Journal of Agricultural Research, July 31, 1916, p.675.