原 題:「Pasteur: Plagiarist, Impostor - The Germ Theory Exploded」
著 者:R.B. Pearson
出版年:1942年
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
一般的な発酵に関する研究に続くもう一つの歩みは、フランスのブドウにおける病気の原因の発見であった。ブドウ畑のこの病害に関する騒ぎを耳にしたベシャン氏は、パストゥール氏がこのテーマに注目する前年の1862年、ひそかにこの問題の研究を始めた。
ベシャンは空気に触れている状態で晒した:
1) ブドウの木から採取したままのブドウの果汁
2) 濾過したブドウ果汁
3) 動物の炭で脱色したブドウ果汁
それらはすべて発酵したが、同じようには発酵せず、発生したカビや発酵体がこれら3つの実験で異なっていたことから、彼はもちろんその理由を探った。
さらに、一切の空気を排除した実験(健全なブドウを茎ごと、ブドウの木から直接、沸騰させた加糖水に入れ、炭酸ガスを吹き込みながら冷やした)を行ったところ、発酵が起こり、この培地中で発酵が完了したことから、空気は必要なかったことが証明された。したがって、その発酵体がブドウに付着していたに違いなく、空気中に浮遊していたわけではないのだ。
ベシャン教授は、果汁を発酵させる有機体は、ブドウ、その葉、またはブドウの木に付着しているに違いなく、植物にとって有害な有機体である可能性もあると結論づけた。
彼は1863年に『Lecons sur la Fermentation Vineuse et sur la Fabrication du Vin(葡萄の発酵と醸造)』と題したワイン発酵に関する本を出版した。
彼はまた、ワイン製造に関する2つの論文をアカデミーに提出した。『Sur les Acids du Vin(ワインの酸について)』と『Sur l'utilité et les Inconvienient du Cuvages Prolongés dans la Fabrication du Vin - Sur la Fermentation Alcoolique dans cette Fabrication(ワインの製造における長期熟成の有用性と不都合について――ワインの製造におけるアルコールの発酵について)』である[1]。
1864年10月、彼は科学アカデミーに『ブドウの発酵の起源(原題:The Origin of Vinous Fermentation)』に関する報告書を提出したのだが、これは上記の実験を網羅して説明したものであった[2]。
この論文はこのテーマに関する完全な研究であり、彼はワイン発酵が、ブドウの果皮や 多くの場合ブドウの木の葉やその他の部位に見られる有機体によるものであることを証明した。従って、時には病気のブドウの木が醗酵の質とワインの出来に影響することもあるだろう。
1864年10月までに、ベシャン氏はいくつかの論文を発表していたが、パストゥール氏は何をしていたのだろうか?
1862年、パストゥール氏はビオ(Biot)部門や鉱物学部門の働きかけによりフランス・アカデミーの会員となった。これらの部門は、パストゥール氏の結晶学に関する過去の研究を推薦し支援したのだが、パストゥール氏の結晶学に関する研究が多くの非難を受けたため、パストゥール氏はすぐに友人たちの助言を受け、この分野の研究を中止した。
1863年3月、彼は皇帝に謁見し、皇帝の後ろ盾があるという名声を得て、すぐにブドウの病気を研究するためにブドウ園に派遣された。
彼は1863年後半から1864年にかけて、ブドウの木とその障害に関するいくつかの論文を発表したが、1858年にベシャンが完全に否定した自然発生説をまだ推進していたようで、ブドウの木の障害の原因について的確に推測するものではなかった。
1865年に彼は5つの論文を発表し、その後他の論文も発表したが、1872年にベシャンが再度正しかったことを示す大発見をするまで、彼はこの問題に対する的確な答えを導き出すことはできなかったようである。この年、パストゥールは『ワインを造る酵母菌はブドウの外皮に由来することを実証する新しい実験(原題:New Experiments to Demonstrate that the Yeast Germ that Makes Wine comes from the Exterior of Grapes)』[3]と題する回顧録を発表した。
ベシャン氏は1864年の論文で同じことを述べており、そのときから8年間、反証されていなかったので、パストゥール氏にとってはかなり安全な賭けであった!
脚注