ウイルスの誤解パート1

(日本語)


ウイルスの誤解

麻疹を例として

ステファン・ランカ博士

多くの人が信じていることに反して、病原性ウイルスは存在しません。 ウイルスやウイルス性疾患の存在に関する主張は、歴史的な誤認に基づいており、過去に私が考えていたような、詐欺や意図的な欺瞞に基づくものではありません。私たちは現在、多くの病気の起源、治療、予防について、新しく、より良い、そして「科学的」という言葉の良い意味での発見と説明をしていますが、その中には今日でも「ウイルス性」と呼ばれているものもあります。

異なる人に同時に、あるいは次々に症状が現れるという現象は、これまで伝染病と解釈され、病原体の感染によって起こると信じられてきましたが、新しい発見によってこれらの現象が容易に理解できるようになりました。こうして、私たちは今、新しい生命観(実際には古い見解である)と、生物学的プロセスの宇宙論的統合を手に入れたのです。

この「新しい」、しかし実際には再発見されただけの視点は、公式の「科学」の外からしか生まれません。その理由の一つは、科学機関に携わる人々が、その第一で最も重要な科学的義務、すなわち、あらゆるものを永久に疑い、疑問を持つことを果たしていないことにあります。そうでなければ、誤った解釈がすでに長い間行われてきたことや、1858年、1953年、1954年の只々非科学的な活動によってこれらがドグマとなったことを、彼らはすでに気付いていたはずです。

健康、病気、癒しについての新しい説明への移行は、関係するすべてのセラピストや科学者たちが、それで面目を保つことができなければ事は上手く運ばないでしょう。歴史から、そして生物学と生命に関する新しい視点の中で、私たちは今、感情、無知、そしてあらゆる種類の人間の行動についての説明もできるようになりました。これが2つ目の楽観的メッセージです。過去の過ちを振り返り、許すことは、何が起こったかを理解し、未来のために学べば学ぶほど、より効果的に行われるようになります。

医師、ウイルス学者、医療関係者などの直接の関係者、そして誤診に苦しみ、そのために身内を失った人々のようにこのシステムの影響をなにより受けてきた人々にとって、この記事で述べる現実の説明を知的に受け入れることは難しいかもしれないことは承知しています。AIDS、BSE、SARS、MERS、コロナ、その他様々な動物由来インフルエンザのように、病原体仮説が危険な勢いになったり、公共の秩序の破壊につながったりすることのないよう、今まさにウイルスが「存在しない」ことを発見している人たちに、
客観的に、感情的にならない方法で議論していただくよう、丁重にお願いしたいのです。

現在の状況

病原体としてのウイルスに関するすべての主張は間違っており、容易に認識でき、理解でき、検証可能な誤った解釈に基づくものです。ウイルスに起因する病気や現象の本当の原因は、すでに発見され研究されており、この知識は現在も有効です。研究室でウイルスを扱っていると思っている科学者は、実は特別な方法で用意された明らかに死にかけた組織や細胞の典型的な粒子を扱っているのです。彼らは、それらの組織や細胞がウイルスに感染して死んでいると信じています。実際には、それらの組織や細胞は、研究室での実験の結果として、飢餓と毒によって死んでいるのです。

ウイルス学者がウイルスの存在を信じるのは、「感染した」とされる血液や唾液などの体液を組織や細胞の培養に加えるからであり、これは、それぞれの細胞培養から栄養分を抜き取った後や、毒性のある抗生物質に晒した始めた後の事であることを強調しなければなりません。そして、その細胞培養物はウイルスによって死滅されたと信じています。しかし、重要なことは、「感染」した遺伝物質を全く加えない場合でも、組織や細胞の死は全く同じように起こるということです。ウイルス学者たちは、この事実に気づいていないようです!科学の基本的な論理と科学的行動規範に従えば、対照実験を行うべきでした。新しく発見された「ウイルス増殖」の方法を確認するために、つまり、その方法自体が結果を引き起こしたり、偽ったりしていないことを確認するために、科学者はネガティブコントロール実験と呼ばれる、無菌物質や健康な人や動物の物質を細胞培養に加える実験を追加しなければならなかったはずです。これはもちろん、結果をもたらす、あるいは捏造するのが方法そのものでないかどうかを確認するためです。

これらの対照実験は、今日に至るまで公式の「科学」によって実行されたことはありません。麻疹ウイルスの裁判の際、私は独立した研究所にこれらの対照実験を依頼しました。その結果、組織や細胞は実験室の条件によって、「感染」したとされる物質に接触したときとまったく同じように死んでしまうことがわかりました。

対照実験の目的は、適用された方法や技術が結果を引き起こす可能性を排除することです。つまり、対照実験は科学における最高の義務であり、自分の結論が科学的であると主張するための唯一の根拠なのです。麻疹ウイルスの裁判では、合法的に任命された専門家であるポドビエルスキー博士が、ウイルス学の科学全体にとって重要な論文には対照実験が含まれていないと発言したのです。このことから、それぞれの科学者が極めて非科学的に仕事をしてきたと結論づけることができるのであって、しかも彼らはそれに気づかずに働いてきたと言えるのです。

この完全に非科学的なアプローチは、1954年6月に端を発していますが、この年には非科学的で反論の余地のないほどの憶測に基づく論文が発表されており、試験管内の組織の死滅がウイルスの存在を証明する可能性があるとしています。その半年後の1954年12月10日、この論文の主執筆者は、同様に憶測に基づいた別の理論でノーベル医学賞を受賞しています。1954年6月から始まるこの憶測は、この受賞により科学的事実に引き上げられ、今日まで一度も異議を唱えられることのないドグマとなりました。1954年6月以降、試験管内の組織や細胞が死滅することは、ウイルスの存在を証明するものとみなされるようになったのです。

ウイルスの存在を示す明白な証拠

組織/細胞の死は、ウイルスの分離ともみなされます。なぜなら、彼らは、外部から、また他の生物から、
恐らく何かが実験室に持ち込まれたと主張しているからです。事実は、ウイルスが一度も存在したことがないということであり、それは今も変わりません。事実は、分離という言葉の意味に従ってウイルスが分離されたことがないということであり、それは今も変わりません。分離という言葉の意味に従ってウイルスが分離されたことがないのであって、画像に収められたことも一度もなく、唯一の構造として生物学的に特徴づけられたこともないのです。例えば、ウイルスとされている電子顕微鏡画像は、死滅しつつある組織や細胞からの細胞粒子を現に示しているだけで、ほとんどの画像はただ単にコンピュータモデル(CGI - computer generated images)を示しているだけです。関係者は、死滅しつつある組織や細胞がウイルスに変化すると信じているので、組織や細胞が死滅することがウイルスの増殖であるとも見なされています。関係者はこのことを未だに信じており、その理由はこの方法の発見者がノーベル賞を受賞し、その論文が「ウイルス」についての参考論文として残っているからです。詳しくは下記をご覧ください。

サルから得られた死滅しつつある組織と細胞、ウシの胎児、有毒な抗生物質からなるこの未精製の混合物が、「生」ワクチンとしても使用されていることは重要な点ですが、それはその混合物が「弱毒」ウイルスで構成されていると考えられているからです。組織や細胞の死滅は、飢餓や毒性物質によるものであり、感染の疑いによるものではありませんが、ウイルスの存在の証拠、ウイルスの分離の証拠、ウイルスの増殖の証拠と誤解され続けてきました。

このように、外来のタンパク質、外来の核酸(DNA/RNA)、細胞毒性を持つ抗生物質、そしてあらゆる種類の微生物や胞子から得られる有害な混合物が、「生ワクチン」と表示されているのです。これらの混合物は、主に筋肉にワクチン接種によって子供達に、そして静脈に注射すればすぐに死に至るような量が埋め込まれているのです。ワクチンを「検査」し、承認している国家機関を盲信する無知な人々ばかりが、ワクチン接種を「小さな無害な刺し傷」と見なしているのです。検証可能な事実が科学者や政治家の危険性と怠慢を証明しているのですが、彼らはワクチンは安全で、副作用はわずか、もしくは全くなく、病気から私たちを守ってくれると主張しています。これらの主張は事実でもなく、科学的でもありませんが、それとは逆に、正確な科学的分析によれば、ワクチンが無意味であることは分かっているし、様々な文献がワクチンを支持する証拠がないことを認めているのです[2]。

個々の分子が死滅した組織や細胞の成分から取り出され、それらがウイルスの一部であると誤って解釈され、理論的にウイルスのモデルにまとめられています。 強調しなければならないのは、本物の且つ完全なウイルスは、全く「科学的な」文献のどこにも出てこないということです。なぜなら、ウイルスモデルのような記述に至る過程がいかなる科学的手法によっても行われず、純粋に同意という手段で行われるからですが、その同意の中身は、どの遺伝コードの断片が「ウイルス」に「属し」、どの断片が「属さない」のか、
関係者が伝統的に何年もかけて議論しているということなのです。例えば、麻疹ウイルスの場合、これには数十年の歳月をかけてきました。ところが驚くべきことに、明らかに新しい中国コロナウイルス2019(既に2019-nCoVと名称が変更されている)の場合、この合意形成プロセスはマウスを数回クリックしただけで終わってしまったのです。

また、マウスを数回クリックするだけで、決定された生化学的構成を持つ死滅した組織や細胞から核酸の短い部分の分子を組み合わせて、どんなウイルスでもコンピュータープログラムで作ることができます。こうやって、より長い遺伝子型に思い通りに配列し、新しいウイルスの完全なゲノムであると宣言しているのです。しかし、実際には、「アラインメント」と呼ばれるこの操作でさえも、ウイルスのゲノムと呼ばれる「完全なる」ウイルスの遺伝物質にはなり得ません。この「ウイルスのDNAやウイルスのRNAの鎖」を理論的に構築する過程で、適合しない配列は「取り除か」れ、足りない配列は追加される。こうして、RNAまたはDNA配列が発明されるのですが、現実には存在せず、総じて一度も発見されたこともなく、科学的に実証されたこともありません。

一言で言えば 、短い断片から、理論的には、ウイルスのDNAまたはRNA鎖のモデルに従って、より大きな断片も理論的に組み立てられますが、現実には存在していません。例えば、細胞粒子の短い断片を持つ麻疹ウイルスの「RNA鎖」の「概念的」な構造は、完全なウイルスを表すであろう遺伝子配列の半分以上を欠いています。これらは一部生化学的手法で人工的に作られたもので、残りは単に発明されたものです[3]。

中国の科学者は、新型中国コロナウイルス-2019のゲノムを理論的に構築した核酸は、おそらく毒蛇に由来していると主張していますが、彼らは我々と同様に、「ウイルス」に関する世界的な誤解の犠牲者です。ウイルスの遺伝子配列は、前述のような方法で発明されればされるほど、あらゆるものとの類似性を「発見」することになります。このように、そして極めて皮肉なことに、そういった誤りへ導く手法が存在します。我々の学術的な科学の大部分は、次のように機能しています: 学説が発明され、その学説の中で常に議論され、それを科学と呼んで、これが現実を表していると主張する。しかし、実際には、それは仮定している学説に基づくものでしかありません。

ウイルスの検査

陰性対照実験が実施されないため、検査機器の較正の感度によって、すべての「ウイルス」検査が一定数の「陽性」が得られることは、関係者の間ではまだ知られていません。「ウイルス」を発見するとされる検査に使われる基準は、「ウイルス」に由来しているのではなく、動物(主にサルや子牛)に由来する組織、細胞、胎児血清(特定の成分を含まない血液)に由来しています。これらの動物が生化学的に私たち人間と非常に似ているため、動物に由来するような粒子、これらはウイルス粒子と誤認されるものですが、こういった粒子が「ウイルス検査」という手段によってあらゆる人間から検出できることは明らかです。いくつかの「ウイルス」とそのワクチンは、麻疹の「ウイルス」ではありませんが、実は中絶された人間の胎児に由来しています。特に、すべての検査がどの人間にも存在する分子を検出していることや、ワクチンが特に危険なアレルギー反応を引き起こしていること、その反応が「自己免疫疾患」と名付けられてきたことは、目を見張るものがあります。

液状組織であると考えられている胎児血清の使用は、実験対象の細胞や組織の死滅を遅らせるので、これがなければ、そもそも実験のほとんどが実施できません。胎児血清の使用だけがこういった科学者にとって便利であり、成人の生物に由来する血清も、他のいかなる合成品も、その代用にはなり得ません。ワクチンの最も汚染された不純物の成分の一つがウシ胎児血清であり、この血清なしでは実験室において組織や細胞はまったく成長しないか、十分に速く成長しません。しかも、これらの血清が、麻酔なしで胎児から最も恐ろしい方法で抽出されています。その血清には、既知・未知のあらゆる種類の微生物とその胞子、そして膨大な数の未知のタンパク質が含まれています。サルの腎臓組織に由来する粒子の他に、科学者が抽出し分析しているのはこの胎児血清の粒子であって、彼らは「ウイルス」を回収していると信じながらそれを行っていますが、そのウイルスは存在せず、「ウイルス」全体としてあらゆる「科学的な」文献においてウイルスはかつて一度も証明されたことがありません。

ワクチンは専らこれらの物質に基づいて製造されるため、あらゆるこれらの架空の「ウイルス」に対して「陽性」と判定されるのは、特にワクチン接種者であることの理由を説明できます。ワクチンはこの架空の「ウイルス」から製造されているのです。検査は、ウイルスとされる動物の粒子、動物のタンパク質や核酸にただ反応し、それらはしばしば人間のタンパク質や核酸と同一か非常に似ているのです。ウイルス検査は、特定のもの、つまり「ウイルス性」のものは何も検出せず、そのため価値はありません。しかし、エボラ出血熱、HIV、インフルエンザなどに見られるように、その結果、人々は恐怖で麻痺し、非常に危険な治療のために時に死亡しているのです。

注目すべきは、いわゆる「ウイルス検査」は「イエス」「ノー」の結果ではなく、むしろ特定の濃度レベルに達した後にのみ「陽性」と解釈できるように較正されていることです。したがって、検査キットの較正に応じて、数人、多人数、ゼロもしくは全員、そして動物を恣意的に「陽性」と判定することができます。このような科学的な幻影の様相は、我々の理解が進めば明らかになります。さもないと、検査で「陽性」と判定されれば、全く「通常」の症状であっても、エイズ、BSE、インフルエンザ、はしかなどと診断されてしまうだけです。

重要な内容

1952年まで、ウイルス学者は、ウイルスは有毒なタンパク質や酵素が直接人体を毒するものであり、それが何らかの方法で人体自体によって増殖し、体内だけでなく、人と人の間や動物の間に広がっていくと信じていました。医学と科学は1951年にこの考えに見切りをつけています。疑われるウイルスを電子顕微鏡で見たことがなく、何よりも対照実験が行われたことがなかったからです。健康な動物、臓器、組織であっても、
分解の過程で、それまで「ウイルス」と誤解されていたものと同じ崩壊生成物を放出することが認められたからです。ウイルス学は自らを否定したのです。

しかし、後にノーベル賞を受賞したクリックの妻が二重らせんを描き、この絵が有名な科学雑誌「ネイチャー」にDNAと考えられている科学的発展モデルとみなされるものとして掲載されると、いわゆる分子遺伝学という新しく且つ非常に効果的な大宣伝が始まったのです。その瞬間から、病気の原因は遺伝子の中にあると考えられるようになりました。ウイルスに対する考え方は変わり、一夜にしてウイルスは毒素ではなく、危険な遺伝子配列、危険なDNA、危険なウイルス鎖などになってしまいました。この新しい遺伝子ウイルス学は、生物学や医学のことは何も知らない若い化学者たちによって創設されましたが、彼らは無制限の研究資金を持っていました。そして、おそらく彼らは、古いウイルス学がすでに自らを否定し、見切りをつけていたことを知らなかったのでしょう。

2000年以上前から、次のような言葉があります:  「彼らは自分のしていることを知らないのだから、彼らを許しなさい」。1995年以来、私たちは証拠に関する質問し、得られた答えを公表してきましたが、次のような言葉を付け加えることができます:「彼らは、自分たちが学び、実践してきたことが真実ではないことを認めることができない、さらに強く言えば、それが危険であり、致命的ですらあることも」。今まで全体の背景を誰も理解せず、真実を語る勇気がなかったために、「悪霊」(ゲーテの言葉)が増え、「免疫システム」や「エピジェネティクス」など、架空の理論を維持するためだけの補助的な仮説が登場することになりました。

そもそもウイルスというアイデアは、細胞説というドグマの強引な論理から生まれたものです。その後、病原性細菌、細菌性毒素、ウイルス性毒素のアイデアが生まれ、1952年にこのアイデアはついに放棄されました。1953年以降、フィルヒョウの考えた病毒(ラテン語で「毒」の意)は遺伝子ウイルスとなり、その結果、がん遺伝子という考え方が生まれた。そして、ニクソン時代の「ガンとの戦い」があり、その後、
あらゆるものに遺伝子があるという考え方が登場した。しかし、2000年になって、遺伝子説全体も否定されることになりました。いわゆるヒトゲノム計画の矛盾したデータが全ゲノムがマッピングされたという恥ずかしい主張とともに発表されました。ヒトゲノムの半分以上が完全に創作されたものであるにもかかわらずです。

そのような誤解に巻き込まれたことを、それぞれの学識経験者が認めることは非常に難しいということを、大衆は気付いておりません。

いわゆるバクテリアイーター

人間や動物、植物に遺伝的なウイルスが存在するという考え方の源となったのは、これは1953年以降から発展し始めたのですが、いわゆるバクテリアイーターです。1915年以来、科学者の注目を集めてきた(バクテリオ)ファージと呼ばれるものです。1938年以降、市販の電子顕微鏡が研究に応用されるようになると、これらのファージは写真に撮られ、粒子全体として単離され、そのすべての構成要素を生化学的に決定して特徴付けることができるようになりました。これは事実であり、異論を挟む余地はありません。ファージを単離する、つまり粒子を濃縮して他のすべての成分から分ける(=単離)、単離した状態ですぐに写真を撮る、そして一気に生化学的特徴付けを行う -- しかし、存在しないが故、この一連の手順は人間や動物、植物のウイルスとされるものでは一度も実現しませんでした。

細菌やファージを研究する科学者たちは、実際に存在する構造物を扱うことで、人間や動物、植物のウイルスがどのようなものであるかというモデルを提供しました。しかし、「ファージの専門家」たちは、ファージをバクテリア・イーターと誤解して、この粒子の形成現象がバクテリアの極端な近親交配によって引き起こされることを見落としていました。この効果、すなわちファージ(バクテリア・イーター、別名バクテリア・ウイルス)の形成と放出は、生物または環境から取り出したばかりの純粋なバクテリアの間では起こりません。栄養物が徐々に失われたり、生活環境が悪化したりすると、普通の細菌、すなわち研究室で培養されていない細菌は、生存形態として知られている芽胞を作り、長い間、あるいは「永遠に」生存することができます。芽胞からは、生活環境が改善されるとすぐに新しい細菌が出現するのです。

しかし、単離された細菌は、実験室で育てられると、あらゆる特性や能力を失ってしまいます。その多くは、この近親交配によって自動的に失うのではなく、突然、完全に小さな粒子に変化するのですが、この粒子が「善悪論」の観点でもってバクテリア・イーターであると誤解されてきました。実際には、細菌はまさにこの「ファージ」から発生し、生活条件が整わなくなると再びこの生命体に戻るのです。ギュンター・エンダーライン(1827-1968)は、100年以上前に、このような過程を正確に記述しました:目に見えない構造から細菌が出現し、より複雑な形態に成長して再び元に戻る。だから、エンダーラインは細胞説に賛同しなかったのです。細胞から生命が生まれ、細胞レベルで組織化されるとする細胞説に。  私は学生時代、海藻からこのような「ファージ」構造を単離し、当時、最初の無害なウイルス、最初の安定した「ウイルス宿主システム」を発見したと信じていました。

さらに、細菌は他の生命体とは無関係に単独で存在できる単一生命体であるという考え方は誤りです。単離された状態では、しばらくすると自動的に死滅してしまうのです。この現象は科学者の前では起きません。なぜなら、細菌の「単離」に成功すると、その一部は冷凍保存され、数十年後に研究室で扱えるようになるからです。細菌がそれ自体で生存できる独立した構造体であるという考えは、実験室で人為的な創作であり、誤った解釈なのです。

したがって、この神話に基づいて主張される、細菌は不死身であるという主張は、それゆえ真実ではありません。バクテリアは、他の膨大な数のバクテリア、菌類、そしておそらくもっと多くの、例えばアメーバのような特徴づけが難しい未知の生命体との共生においてのみ不死身なのです。アメーバ、細菌、真菌は、生活環境がなくなるとすぐに胞子を形成し、生活環境が戻ると再出現します。それを人間と比較すると、次のような視点を持つことになります:我々が生きていく生活環境がなければ、何も存在できない。

しかし、これらの発見は、もっと深いところにあります。種の概念全体だけでなく、死んだ物質が存在するとされる考え方や主張も解消されつつあるのです。「活性物質」(物理学者がそう呼んでいる)が生きているという観察結果や結論は、非科学的な生命論として退けられています。しかし、「科学」における「支配的な意見」が生きているとは考えていないすべての元素が、実際には水の膜(すなわち「Ursubstanz」、もしくは生命の原初的な源)に源を発し、そこから発展していることを示す証拠がかなりあるのです。そして、その元素が核酸を作り、核酸を中心にアメーバ、細菌、クマムシなど、より複雑な生命体が誕生しています。このような観点から、私たちには2つの明確な確証があります。そのうちの1つは、すべての人が自分自身に対して、また他の人に対して観察することができる、すなわち、我々の身体という形の生物学的生命は、実際には既存の道義心の要素が物質化したものであるということです。我々はそれらに名前をつけることができ、我々の器官と精神が情報を通じて相互に影響し合う正確な方法を、我々は分かっています。例えば、たった一言の言葉がダメージを与えたり、衝突を解決したりすることが知られています。これらの側面はすべて予測可能であるため、検証することができるのです。このように、科学研究の3つの基準は満たされているのです。このことは重要で、なぜなら、これらの発見と、それらが互いにどのように関連しているかという知識は、恐怖を誘発する「善と悪」の心理と同様に、我々を恐怖から解放するからです。さらに重要なのは、そこから派生する病気を引き起こす行動パターンから解放します。これらの明らかになった科学的発見は、病気、治癒、「治癒の危機」、中断された治癒、後続の病気の現象(別名「伝染」の古い概念)の
過程をも明らかにしています。そしてウイルスの出番となります。

物質主義科学の悪夢が現実になったようです:一見死んだように見える物質も生きている、生命力があるのです。万物に生命力があるとする生命論は、ギリシャの哲学者デモクリトスやエピキュリウス、そして彼らの教義を信奉する人々によって論争されました。彼らの主な主張は、信仰の乱用を非難し、その繰り返しを防ぐことでした。彼らの意図は明らかに善でありました。しかし、彼らは良心と精神、そしてこれらの力のあらゆるレベルの発現を否定することによって、彼らが不本意に生命の破壊者や、人々の敵になってしまうことを無視したのです。

こうした「善と悪」の解釈は、利益への渇望とその致命的な結末のために、常に増加しています。そして、これらはシルビオ・ゲゼル(一般)とイヴァン・イリッチ(医学)が発見し説明されています。また、利益への渇望とその致命的な結果によって絶えず増加しています。貨幣制度が本来持っている、さらなる成長、永続的な成長への強制力の結果、その成長が循環的な大惨事を発生させ、これまで以上に強力な勝者と、同時に絶えず増大する貧困と苦しみをもたらしていますが、その結果がすべての関係者によって、独立した悪の原理を証明するものと解釈されています。それは、これら人々が貨幣システムの数字上で決定された、執念深い固有のメカニズムを知らないからです。勝ち組の人々は、倫理的に正しいとされ、数字上で義務的に発生する利益を、自分たちの信心、例外性の証拠とみなしているように見えます。これは、マニ教(マニとはバビロニアの創始者で、その信者はマニ教と呼ばれる)の根拠となっただけでなく、マックス・ウェーバーらが発見したように、工業化の危険な側面や影響の原動力と常になっています。

ノーベル賞受賞者ジョン・フランクリン・エンダーズによるウイルス学の蘇生

弊誌「WissenschafftPlus」では、2014年から数回にわたり、生物学と医学の誤った発展の大きな枠組み、いわゆる細胞説という受け入れがたいドグマについて説明してきました。細胞説の主張は、身体は組織からではなく細胞から発達するというものです。生命に関する細胞説、1958年にルドルフ・フィルヒョウが発明した「細胞病理学」、これらは今日まで生物学と医学の唯一の基礎となっています。この細胞説は、すべての病気(すべての生命と同様に)は1つの細胞から源を発すると主張しており、その細胞は何らかの方法でウイルスに乗っ取られ、悪化し始めると、ウイルスを増殖させると主張しています。細胞病理学が現在世界的に受け入れられるための前提条件や基礎として2つの重要な側面が都合よく機能しました。感染説、遺伝説、免疫説、がん説を発展させた源となった細胞病理学は、2つの重要な側面があるからこそ成り立つのです。


a. 細胞説は、ルドルフ・フィルヒョウが組織に関する重要な発見を抑圧したために実現したに過ぎません。生命の誕生と発達における組織の構造、機能、中心的重要性に関する発見と洞察は、1858年に既に知られていて、細胞説とその後に派生した遺伝説、免疫説、がん説を包括的に否定するものでした。

b. 感染説は、第三帝国の具体的な政治と優生学によって初めて世界的なドグマとして確立されたのです。1933年以前は、科学者たちはあえてこの説に反論していました。しかし、1933年以降は、こうした批判的な科学者たちは沈黙させられたのです。

 

「ウイルス」を手がけ、いわゆる感染実験を行うために、1952年にウイルス学の概念が捨てられるまで、「ウイルス学者」たちは「病気になった」腐敗した組織を溶かして濾過することを余儀なくされました。濃縮された濾液には病原体や毒素が含まれており、と彼らは信じていたのですが、感染した細胞から常に病原体や毒素が生成されると彼らは考えていました。1952年まで、「ウイルス」とは、タンパク質の形をした病原性の毒であると定義していました。そして、酵素のようにそのタンパク質が未知の方法で損傷を与え、病気を引き起こし、感染するものと考えていました。1953年以降、この年にアルファヘリックスと呼ばれるDNAが公表されたのですが、ウイルスの概念はタンパク質に包まれた悪性の遺伝子型となりました。このように、1952年から1954年にかけて、ウイルスのイメージをめぐるパラダイムシフトが起こったのです。

動物を使った「感染実験」は、腐敗した有機物から得られるもしくは、ウイルスであると考えられているタンパク質/酵素が含まれているとされている液体から得られるろ過液を用いて行われました。その結果、ウイルスが存在し、そのウイルスに起因する病気を引き起こすことが証明されたのです。しかし、動物実験では、ウイルスが人間に引き起こすとされる症状は再現できず、いつも「似たような」症状しか得られないにもかかわらず、その症状が人間の病気と同一であると主張したことは、公には決して語られません。しかし、これらはいずれも科学的に証明されたことはありません。現在に至るまで、すべての「感染実験」では対照実験、すなわち、いわゆる「感染」実験において症状の原因が遺伝物質の「処理物」ではないことを
証明するための実験が行われていません。症状を引き起こしたのが病気になった組織の体液であることを除外するためには、他の体液や滅菌された体液だけを用いて、同じ実験を行う必要があったはずです。しかし、そのようなことは一度も行われていません。非常に残酷な動物実験が現在でも行われています。例えば、麻疹の感染性を証明するために、実験中ずっとサルを縛って真空容器に固定し、鼻にチューブを入れて、科学者がそのチューブから感染したとされる液体を気管や肺に入れるということを行っています。無菌の生理食塩水、滅菌された血液、膿、唾液でも全く同じダメージを身体に与えます。そして、誘発された症状が、麻疹と「似ている」というだけで、麻疹であると主張するのです。

 

感染したとされる液体が、細菌をろ過するフィルターを通り、わずかに加熱されているため、科学者たちは、実験動物の苦しみや死は細菌によるものではなく、より小さな「病原体」によるものである、つまりウイルスによるものであると主張しています。この科学者たちは、当時すでに認められていた事実を都合よく無視していました。未知の細菌が既知の細菌よりもはるかに多いこと、多くの細菌が熱に強く、フィルターを通過する芽胞を形成していることを無視しているのです。ここで重要なことは、細菌が病気を引き起こすという証拠も全くないということです。もちろん、病気の過程において消防士が火を消すように、細菌が存在していることはよくあることです。細菌は病気を引き起こすのではなく、生物学的に意味のある修復プロセスに参加するのです。ウイルスと同様に、細菌が一見負の役割を果たすといういわゆる証拠は、恐ろしい動物実験だけであり、対照実験がすべて行われていないため、まったく意味がありません。

エンダースとポリオ

1949年まで、「ウイルス学者」たちは、ウイルスに感染したとされる組織から採取した腐敗しかかった遺伝物質の断片を、同じ種類の「健康な」組織のスライスの上に置くことによって、疑わしい「ウイルス」(タンパク質)を培養していました。「病気」の組織から「健康」な組織に伝わるという腐敗のプロセスが目に見えて強まったことが、ウイルスや病原性毒物の増殖や拡散と誤解されていたのです。1951年に初めて行われた健康な組織での対照実験により、ウイルス学者たちは、自分たちが見たものはごく正常な組織の腐敗過程であり、「病気の」組織にしか存在しないウイルスではないことを発見したのです。

ここでジョン・フランクリン・エンダースの登場です。1949年、彼は偶然に(新鮮で「健康な」神経組織がなかったため)ポリオで死亡した人の脳の一部を他の種類の組織の上に置くと、その組織も同様に腐敗し始めることを「発見」したのです。それまで、ウイルス学者たちは、あらゆるウイルスは有機物の中でしか増殖できず、その有機物にもダメージを与えると信じていました。他の組織でも同様にウイルスが増殖することをとりあえず発見したということで、ウイルスは生きた人間の中では損傷を与えることはありませんが、
エンダースや他の研究仲間は1954年6月10日にノーベル医学賞を受賞しました。

それ以来、ヒトの胎児の皮膚組織や筋肉と、「ポリオ」で死亡した人の脳の物質を混ぜ合わせることによって、そして、それらをまとめて腐敗させた混合物でもって、「ポリオウイルス」とされるものを増殖させています。そして、この混合物の濾液に「ウイルス」が含まれていると考えたのです。有名なジョナス・ソークは、発明者の名前を出さずに、このアイデアをそのまま採用しました。ソークは、腐敗したヒトの胎児組織の濾液をポリオワクチンとして使用し、ニューヨーク・タイムズ紙は、このワクチンは効果があり安全であると報道しました。ソークはポリオワクチンで何百万ドルもの利益を得ましたたが、腐敗したヒトの胎児を使用するというアイデアを生み出した真の発明者とは何一つ利益を共有することはありませんでした。

このような理由から、エンダースは、最初から自分の手柄になるような別の技術を開発しようと懸命に努力したのです。彼が選んだのは、病原体仮説の中で2番目に儲かる分野、すなわち麻疹と呼ばれる症状に関するものでした。エンダースは、細菌学(彼の出身学問)と同じ考え方と方法を用い、ファージは細菌のウイルスであると考えたのです。

ファージがペトリ皿の上で細菌を破壊するとしているこの手法に類似して、彼は感染したとされる液体が置かれた組織層を開発しました。細菌が死滅するのと同様に、組織層が死滅することが、疑惑のウイルスがそこにいるということと同時に、その存在、分離、増殖の証明になると主張されたのです。この正確な手順は、現在でも麻疹の場合において適用されており、また、若干の修正を加えて、すべての病原性ウイルスの「証拠」としても用いられています。死にかけたもしくは死滅した細胞/組織の混合物は、現在「生ワクチン」と呼ばれています。死滅した組織の単一粒子、もしくは合成で作られた分子をワクチンに使用する場合、専門家はそれを「死菌ワクチン」または「不活化ワクチン」と呼んでいます。

エンダースは、ソーク・ポリオ・ワクチンが住民にもたらした死者や健康被害の数が際立って多かったのは、ワクチンに未知のヒト・ウイルスが混入していたことのせいにして、研究室でサルの腎臓の組織や馬や生まれて間もない子牛の胎児血清を使って研究しました。

実在する(バクテリオ)ファージの証拠と、エンダースが主張するヒトや動物における仮説的な「ウイルス」の疑わしい証拠との間には、4つの顕著かつ決定的な違いがあります。これらの違いは、エンダースの間違った思い込みを明らかにするものです。なぜなら、彼はノーベル賞を受賞すると、以前に明確に表明していた疑問を完全に忘れてしまい、すべての同僚、ひいては全世界(コロナパニックを参照)を間違った道へと導いてしまったからです...。言い換えれば:全く同じ事が、全世界でコロナパニックが、現在起きています。コンスタンツ湖の近くにある可憐だけと頑強なシュヴァーベン人の村(ランカ博士が住んでいる、訳者注)は例外ですが。

 

 

  1. (バクテリオ)ファージは、標準的な方法(密度勾配遠心分離法)により、「分離」という言葉の意味どおりに確かに単離されました。単離後すぐに電子顕微鏡で撮影され、純度が決定された後、その成分、タンパク質、DNAが生化学的に記述され、1つの論文にまとめられています。

  2. しかし、ヒト、動物、植物のすべての「ウイルス」に関して、ウイルスが単離されたことは一度もなく、単離された状態で撮影されたこともなく、「単離」されたウイルスから、その成分が一度に生化学的に特徴づけられたことがないのです。実際には、かなり長い年月をかけて、死滅した細胞から得られる1つの粒子を理論的に全く仮想のウイルスモデルに帰属させるという、合意形成が行われていたのです。ファージは、この解釈の過程全体において1つのモデルとして機能したのです。このことは、「ウイルス」の最初の図面を見ればよくわかります。

  3. 「ウイルス」の「証明と増殖」に使われる組織や細胞は、「感染」とされている工程の前に、非常に特殊な方法で準備されます。栄養分の80%を抜き取り、細胞を「飢餓」の状態にして、「ウイルス」の吸収をよくします。また、あらゆる組織や血清に常に存在する細菌が、細胞の死滅を引き起こす可能性を排除するために、抗生物質で処理されます。この抗生物質が、それ自体で細胞を傷つけ、殺していることが、生化学の専門家によって1972年に初めて認められました。それまでウイルス学者が無視していた事実が明らかになりました。「飢餓」と「毒」が細胞を殺すのですが、これは仮説上のウイルスの存在、分離、効果、増殖と誤解され、今もなお誤解されています。

  4.  ウイルスに関しては、科学において重要かつ必要とされる対照実験がこれまで行われていません。つまり、ウイルスではなく、典型的な細胞粒子がウイルスと誤認された可能性を排除することができる対照実験が行われていないのです。しかし、ファージに関しては、単離、生化学的記述、電子顕微鏡写真に関する対照実験はすべて実施されました。

こうして、麻疹に関与する「可能性」のある「病原体」の証明の可能性についての1954年6月1日付のエンダースの推測は、明らかな「科学的」事実となり、1952年以降の新しい遺伝子ウイルス学全体の唯一の基礎となりましたが、すべては1954年12月の「ヒト胎児/ポリオウイルスワクチン」に対する彼のノーベル賞が原因でした。ノーベル賞受賞の数ヵ月後、エンダースは、1954年の論文で自ら言及した矛盾や疑念を忘れ、
封印してしまいました。ポリオワクチンのアイデアを盗んだジョナス・ソークの盗用に苦しんでいたエンダースは、今後開発する麻疹ワクチンはすべて自分(エンダース)の技術に基づかなければならない、
と述べていました。

エンダースは、抗生物質による処理によって、彼自身の手で組織培養をつい殺してしまったのです(陰性対照実験は行われていません---これは、はしかの強制予防接種の文脈では重要な点です)。エンダースが、
麻疹にかかったとされるデビッド・エドモンストンという少年から採取した塗抹標本で実験して以来、麻疹「ウイルス」の最初のモデル(死んだ組織の粒子から仮説的に作られた)は、「エドモンストン株」と呼ばれています。麻疹ワクチンも、腐敗した組織片の毒性物質の積算物ですが、「エドモンストン株」を含んでいると主張されています。死滅した猿の組織とウシ胎児血清を含んでいるその混合物の一部は常に冷凍され、「麻疹ウイルス」と「生ワクチン」を作るために、他の死滅しつつある組織/細胞に「接種」するために定期的に使用されています。

麻疹ウイルス裁判に勝利することの重要性

以下に紹介する麻疹ウイルス裁判(2012~2017年)の重要な専門家の意見書、プロトコル、判決文は、
インターネット(www.wissenschafftplus.de/blog)で自由に閲覧できます。裁判所が考慮しなかった麻疹ウイルスに関する主張に対するさらなる専門家の意見と反論は、2014年から2017年までの雑誌「WissenschafftPlus」の各版に掲載されています。

2011年に始まった麻疹ウイルス裁判の背景には、計画されていた麻疹ワクチン接種の義務化を阻止する狙いがありました。元連邦法務大臣から電話があり、強制接種の導入を阻止するための科学的データが欲しいと言われていたのです。有力な上級州検察官から、「麻疹ウイルス」の証明に賞金を出すアイディアを頂いていました。次の民事裁判で、麻疹ウイルスが存在し、ワクチンが安全で有効であるという主張には科学的根拠がないことを法的に立証するためです。私たちの計画は完全に成功しました。1954年6月1日に発表されたジョン・フランクリン・エンダースらの論文が、古いウイルス学が1951年から1952年にかけて自然消滅した後、「生ウイルス」ワクチン製造に関する新しい遺伝子ウイルス学全体の唯一かつ独占的基礎となった理由を知れば、なぜ成功したのかが容易に理解できます。

ロバート・コッホ研究所(RKI)がその法的義務に反して、麻疹ウイルスの未確認である存在に関する論文を一本も発表していないことを知っていた私は、RKIから麻疹ウイルスの存在に関する科学的根拠を含む論文を提出すれば10万ユーロの賞金を提供すると申し出ました。 ザールランドから来た若い医師が私に6つの論文を提出してくれましたが、RKIからはありませんでした;その論文とは、1954年6月1日に発表されたエンダースの論文と、エンダースの原著論文のみを基にした他の5つの論文で、そのうちの1つは、麻疹ウイルスに関する他の論文についての最も包括的なレビューでした。この「レビュー」には、何十年も続いた合意形成の労苦や、死んだ組織のどの部分を麻疹ウイルスモデルに帰属させるかといったジレンマ、また麻疹ウイルスモデルが絶えず修正されなければならなかったことなどが書かれています。

私はその若い医師(彼は私に、(実際に)費用のかかる「法的紛争」を放棄し、賞金を直ちに支払うよう強く勧告してきました)に、6つの論文のどれにもウイルス構造を特定できるものはなく、むしろ容易に認識できる典型的な細胞粒子と構造がある、と答えました。そこで、彼はレーベンスブルク地方裁判所に訴訟を起こしたのですが、その際、6つの論文を裁判所に提出しませんでした。レーベンスブルク裁判所は私に不利な判決を下しました。たとえ6つの論文が法的文書に掲載されていなかったとしてもです。それとは別に、
レーベンスブルク地方裁判所の判決は、普通では考えられないような状況下で下されました。

シュトゥットガルト高等裁判所の控訴審で、原告は裁判官に対して、自分自身は6つの論文を読んだことがないことを認めました。つまり、彼は私を黙らせ、「退屈な法廷闘争」を通じてワクチン接種の中心的な反論を沈黙させるつもりだったのです。彼は彼自身ウイルスに関する誤った信念の犠牲者でした。というのも、
彼はおそらく同僚を信頼しており、それは普通のことなのですが、彼ら自身は1858年以降の医学の誤った発展について全く知らず、彼らの誤った信念に関する歴史的な研究もしなかったため、犯罪者や加害者になったのと同時に病原体仮説への致命的な信念と予防接種への信頼の犠牲者となってしまったのです。

原告が私に提示した6つの論文を読まなかったというのはもっともな話ですが、それを裁判所には提示しませんでした。少なくとも、彼は自分でこれらの論文を探したわけではないことは明らかです。なぜなら、
これらの論文は、「麻疹」に関する約3万件の技術論文の中で、麻疹ウイルスの存在が認められていることについて言及されている唯一の論文だからです。しかし、誰もそれを読み終えることができない何トンもの他の論文すべてが、麻疹ウイルスの存在を「演繹的」に仮定し、どれもが参考文献の参考文献に言及しているのです。それらは最終的に、そして排他的に、1954年6月1日にエンダースが提供した未確認の「証拠」に基づいています。

レーベンスブルク地方裁判所は2014年、バーデンス博士の訴えを認め、RKIからの出版がなくても賞金は支払われるとの結論を出しました。それとは別に、レーベンスブルク地方裁判所は、麻疹ウイルスの存在を証明する科学的根拠が1つの論文で発表される必要はなく、1954年から2007年までの全体で3,366編の論文(提出された6つの論文を引用したすべての論文の合計)が証拠として認められると決定しました。


ロストックのポドビエルスキー教授が正式に専門家として任命しされ、彼は次のように主張しました(あるいは、地方裁判所は冒頭の決定を専門家の意見に合わせました): 「生物学では、数学や物理学のような古典的な意味での証拠を提供することはできないことを明確にしなければならない。生物学では、幾つかの点において、ある時点で、全体として証拠能力を獲得する手がかりを集めることしかできないのです。」

ポドビエルスキーの論拠のなさと、現実と彼の中で肥大した盲信との間の矛盾による偏見から生じる極めて非科学的な主張に基づいて、行動科学者が「転移」と呼ぶものが起こりました。ポドビエルスキーは必死の言い訳を考えたのです。つまり、生物学と医学は、予防接種がそれ自体非科学的であるのと同様に、証拠もなく、証明もできない、というものの上に基づいているということ: 彼の意見では、手がかりの集まりだけが「いつか」「なんとか」(実質的に)証拠能力を獲得することができると言っています。現在の生物学や医学が非科学的であることをこれほど明確に認めたことが、未だかつてこんなに明白に表現されたことがありません。

現在最も重要なことは、感染説とワクチン接種政策の非科学性を示すこのすべての証拠を法的に活用することです。これらはすでに私たちの憲法上の権利に影響を及ぼしています。ドイツで2020年3月1日から投票され実施される麻疹ワクチン接種の義務化を、私たちは絶対に消滅させる必要があります。このことについての詳細は、ニュースレターで発表する予定です。

本記事の続編:

  1. コントロール実験を実施する科学の義務。麻疹ウイルス裁判の際にポドビエルスキー教授がプロトコルで述べた発言は、麻疹ウイルスの存在に関するすべての重要な論文とその後のすべての論文では、彼の専門的な意見書に反して、対照実験について一度も言及されていない、というもの。
  1. 2016年2月16日のシュトゥットガルト高等裁判所からの法的判断、12条U 63/15がウイルス学とワクチン接種政策にとって極めて重要であること。

以上について、次回のWissenschafftPlus版2/2020に続きます。

出典一覧

[1] ノーベル賞は、多くの理由から、科学者や社会にとって最も恥ずべきものです:

  1. すべての評価は、学問的正統性とその排他性の主張というそれぞれの「支配的意見」に基づいています。

  2. このような評価は、数年から数十年という短い期間の後に、すべて間違っていることが証明されています。このように、ノーベル賞は、単なる主張をドグマに変えることで、科学的知識の進歩を阻害しています。

  3. 現実の世界を離れた少数の極めてエリート的な人々が、何が科学で何が科学でないかを決定する最終的な役割を持っています。これらの人々は、「科学的」な流行や方法を事前に定義して、彼らの見解に反する知識をすべて弾圧します。査読(Peer-Review)とは、科学論文を発表する前に評価することで、彼らの考えやドグマを否定する好ましくない知識が出版されてしまうことを防ぐものです。さらに詳しい情報は、雑誌『WissenschafftPlus』No. 1/2017のノーベル賞に関するレポートをお読みください。このレポートには、この問題の本質を示し、どんな言葉よりも大きな声で語る彫刻の写真が掲載されています。

[2] Libertas & Sanitas協会のメンバーは、ワクチン接種義務化を止めるために、保健当局の意思決定者が利用できる知識について包括的な文書を発表しました。これにより、ワクチンは安全であり、ワクチン接種にはわずかなリスクしかないという結論を導くデータがドイツには存在しないことが証明されました。 さらに:ドイツでは、WHOの定義に従って、麻疹の伝播や流行があったかどうか、ワクチンによってその伝播が止められたかどうかを検証するのに役立つデータの収集は行われていないのです。 参照:www.libertas-sanitas.de。 また、注目のビデオ「Verstand & Logik im Gespräch  mit  Priorix (Masern-Mumps-Röteln-Lebendimpfstoff) [2020]」(「Mind & Logic in conversation with Priorix (measles – mumps – rubella – attenuated vaccine) [2020]」)もお勧めです。

 

[2] 英語に堪能な方は、以下の出版物を読めば、完全なウイルスゲノムの構築は純粋に理論的なものに過ぎないことがわかると思います: 「Complete Genome Sequence of a Wild-Type Measles Virus Isolated during the Spring Epidemic in Germany」, https:// edoc.rki.de/handle/176904/1876 に掲載されています。 この研究には、ロバート・コッホ研究所が関与しています。出版物の共著者であり、麻疹・おたふくかぜ・風疹を専門にしている国立レファレンス研究所の所長であるマンカーツ教授は、典型的な細胞成分がウイルス粒子と誤認されることを排除するために、この研究で対照実験が行われたと実験の要求に応じて主張しました。しかし、彼女はこれらの対照実験に関する文書の公開を拒否しました。マンカーツ教授は、控訴の際、有効な対照実験は行っていませんが、ミュンヘンの同僚がそのような実験を行い、文書化したはずだと答えました。私は個人的にすべての著者とその研究室の責任者に、1998年以来義務となっている対照実験を求める手紙を書きました。しかし、誰からも回答は得られませんでした。連絡した研究所のどの所長も私の質問には答えず、そのため控訴手続きは無駄に終わってしまいました。

 

[3] 2020年1月22日に公開された論文:「Cross‐species transmission of the newly identified coronavirus 2019‐nCoV

新たに同定されたコロナウイルスのスパイク糖タンパク質内の相同組換えは、ヘビからヒトへの種を超えた感染を促進する可能性があります。
著者:Wei Ji、Wei Wang、Xiaofang Zhao、Junjie Zai、Xingguang Li。
次のリンクで見ることができます: https://doi.org/10.1002/jmv.25682

 

[4] さらに詳しい情報は、「Eine neue Sichtweise auf das Leben - Teil II.」(「A new perspective on life - Part II」)、雑誌『WissenschafftPlus』No. 2/2019 の33~36ページをお読みください。この記事では、ほとんどあらゆる形態の学術的・国家財政的な科学が、自動的に誤った傾向に従うことが説明されています。法制史家で社会学者のオイゲン・ローゼンストックは、1956年にすでにこのことを示し、特に当時すでに反論されていた感染症やガン医学の理論に名前をつけています。

 

[5] カールハインツ・リュトケ:「Zur  Geschichte  der  frühen  Virusforschung. Wie  sich  mit  technischen  Fortschritten  bei  der Untersuchung „filtrierbarer“ infektiöser Agenzien das Verständnis der Virusnatur entwickelt hatte.」(「On the history of early virus research. How  technical  progress  in the investigation of “filterable” infectious agents developed the  understanding  of  the  nature  of  viruses」「初期のウイルス研究の歴史について。「濾過性」感染性病原体における技術的進歩が、ウイルスの性質の理解をどのように発展させたか」)。再版「Max-Planck-Instituts  für  Wissenschaftsgeschichte」(マックス・プランク科学史研究所)No.125(1999).

 

[6] 生命の構築と機能計画としてのいわゆる遺伝物質に関するこれまでのすべての考えに対する反論については、雑誌『WissenchafftPlus』に掲載された私の記事を参照してください。2003年以降に発行されたすべての版の索引は、インターネット上で入手可能です。特に読む価値があるのは、2008年6月12日付の『DIE ZEIT』誌に掲載された記事「Erbgut in Auflösung」(「Genome in dissolution」「溶解するゲノム」)で、
インターネット上で無料公開されています。この記事を要約すると、「ゲノム」は常に変化しています。それ故、科学者がゲノムが原因であるとしていることを実現することができないし、またゲノムの変化が病気遺伝子であると誤解されています。

 

[7] ギュンター・エンダーライン教授の仕事と知識の体系に関する優れた洞察については、エルケ・クレーマー博士が書いた博士論文「Leben und Werk von Prof. Dr. phil. Günther Enderlein(1872- 1968)」(「Life and work of Prof. Dr. phil. Günther Enderlein (1872- 1968)」「ギュンター・エンダーライン教授(1872-1968)の生涯と仕事」)で紹介されています。この文書は、2012年にSt.GoarのReichl Verlagから書籍として出版されています。

 

[8] 「Riesenviren und die Entstehung des Lebens」(「Giant viruses and the origin of life」「巨大ウイルスと生命の起源」),雑誌『WissenschafftPlus』 No. 1/2014.

[9] 「Wasser  begreifen,  Leben  erkennen.  PI-Wasser:  Mehr  als nur energetisiertes H2O
(「Understanding water, perceiving life. Pi-water: More than just energised H2O」「水を理解し、生命を知覚する。πウォーター:エネルギーに満ちたH2O以上のもの」),雑誌『WissenschafftPlus』 No. 6/2018.この投稿記事は、当社のウェブページ www.wissenschafftplus.de の「Wichtige Texte」でご覧いただけます。

 

[10] 雑誌『WissenschafftPlus』No. 1、2、3 /2019に記載されている、生命に関する新しい展望に関する概論をご覧ください。

 

[11] 麻疹ウイルス裁判の総合的なプレゼンテーション:「go Virus go. Der Bundesgerichtshof lässt den Glauben an Viren untergehen」(「go Virus go. The Federal Court lets the belief  in  viruses  go  down」「ゴーウイルスゴー。連邦裁判所はウイルスへの信仰を下がらせる」),雑誌『WissenschafftPlus』No. 2/2017.インターネットでも無料公開中:wissenschafftplus.de.

 

[12] 貨幣システムの自律的メカニズムから脱出するためのシルビオ・ゲゼルの知見と解決策の提案の概論として、ヘルマン・ベンジェス著「Wer hat Angst vor Silvio Gesell 」(「Who fears Silvio Gesell」「シルビオ・ゲゼルを恐れるのは誰か」)(292ページ)を読むとよいでしょう。

 

[13] イヴァン・イリッチ,「Die nemesis der Medizin:  Die nemesis der Medizin: Die Kritik der Medikalisierung des Lebens」 (「The nemesis of medicine: criticism on the medicalization of life」「医学の宿命:生命の医療化に関する批判」),319ページ,1976年及び1995年.

[14] 彼の著書「Can Medicine be cured? The corruption of a profession」(「医学は治せるか?専門職の堕落」)」という本の中で、著者のシェーマス・オマホニー(アイルランドの有名な胃腸科医)は、イヴァン・イリッチの著作を歪曲しています。 イリッチは次のように述べています。医学の変質に関する彼の見解は、その「唯一の」原因として、利潤追求の強制から生じる内部力学、すなわち製薬産業がそのシステムのもう一人のプレーヤーであると。 一方、オマホニーは、医学界の腐敗を製薬業界のせいにし、医学は治らないと結論付けています。 彼によれば、医療がその堕落を取り除くことはできず、人道的な大災害や戦争によってのみ、リセットが可能になると言っています。このように彼は、1858年のフィルヒョウを起源とする誤解を見落としています:当時でさえも間違いであり根拠のない細胞病理学理論、つまり後に様々な理論を発展させた直接的な先駆的理論であるということです。この細胞病理学理論は、感染症、免疫系、遺伝子、ガンのように、同様に間違っており危険な理論を発展させたのです。彼の本の262ページで、著者は、健康とは生命がそれ自体や環境と調和している結果であると理解する別の医学の学派があったことを認めていますが、この学派に勝ち目はなかったと言います。彼はクラウス・バーネ・バーンソン教授と彼の国際的な同僚たちの「心身医学」について言及しています。しかし、彼らはその医学を大きく進展させることはできませんでした。細胞説という誤った生化学にとらわれていたためです。ですが、ライク・ゲアード・ハマー博士だけは、科学的で包括的、かつ個別的な心身医学の理論を開発することができたのです。

[15] 「Rudolf Virchow, ein Stratege der Macht. Teil 1 und Teil 2」(「Rudolf Virchow, a strategist of power. Part 1 and part 2」「ルドルフ・フィルヒョウ、力の戦略家。パート1、パート2」),ジークフリート・ヨハン・モーア,雑誌『WissenschafftPlus』No. 5/2015とNo. 6/2015,及び「Entwicklung von Medizin und Menschheit」(「Development of medicine and mankind」「医学と人類の発展」),ステファン・ランカ,雑誌『WissenschafftPlus』No. 6/2015.

[16] アネット・ヒンツ・ヴェッセルズ,「Das Robert Koch-Institut im nationalsozialismus」(「The Robert Koch Institute under National Socialism」「国家社会主義下のロバート・コッホ研究所」),Kulturverlag Kadmos,192ページ,2012.本書は、感染説に反対し反論していたドイツの科学者たちが殺され、国外追放され、投獄されて初めて、感染説が主流となり世界的に受け入れられた理論となったことを指摘しています。

[17] ジョン・フランクリン・エンダースに関するWikipediaの記事の英語版を参照のこと。

 

[18] ジェフリー・P・ベイカー,「The First Measles Vaccine」(「最初の麻疹ワクチン」),Veröffentlicht im Magazin Pediatrics,September 2011,128 (3),435-437;DOI: https://doi.org/10.1542/peds.2011-1430

 

[19] ジョン・F・エンダース,トーマス・C・ピーブルズ,「Propagation in Tissue Cultures of Cytopathogenic Agents from Patients with Measles」(「麻疹患者から採取した細胞病原体の組織培養物における増殖」),Im Magazin "Proceedings of the Society for Experimental Biology and Medicine",Vol.86,Issue 2 vom 1.6.1954,Seite 277-286.https://doi.org/10.3181/00379727-86-21073

 

[20] [12]を参照のこと。

 

[21] レーベンスブルク地方裁判所で2015年3月12日の裁判のプロトコル、7ページ下段。www.wissenschafftplus.de/blog/de を参照されたい。

 

[22] レーベンスブルク地方裁判所で2015年3月12日の裁判のプロトコル、7ページ上段。www.wissenschafftplus.de/blog/de を参照されたい。

 

[23] こちら http://lrbw.juris.de(リンクは切れています) またはこちら en www.wissenschafftplus.de/blog/de に掲載されています。