原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」
著 者:Ethel Douglas Hume
出版年:1923
掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)
ベシャンとパスツールが当時の科学的問題にどのように貢献したかを検討する前に、生と死の謎と発酵現象に関して、当時科学界に蔓延していた考え方がまったく混乱していたことを考えるのがよいだろう。
この章では、これらの主要な問題をめぐる明確さの欠如について簡単に概説する;初期の科学者たちの研究は必ずその後の発見につながった。しかし、アントワーヌ・ベシャンやルイ・パスツールが研究を開始した時代には、後述するように、この問題の理解は混乱状態にあった。
当時の科学を探求する者たちが直面した3つの最重要問題:
ベシャン教授の多作な著作の中には、これらの課題に関する学説が錯綜していることについて多くの論考が見られる。最初の疑問から始めよう:
生きている物質とは何か?
原形質とは、生きている物質であるという漠然とした説明しかなかった。あらゆる種類の生物がその物質から形成され 、最終的にはすべての生物の性質がその物質で説明されるのである。
卵白に代表されるアルブミンと呼ばれる物質が信じられていた。この物質はある種のミネラルや その他の物質と混ざっても性質を変えることがないと言われていた。 J.デュマは、このような「アルブミノイド」が一つの特定の物体ではなく、多くの異なる物体から構成されていることを実証した;しかし、反対意見が優勢であった。そのため、このような物質に対して「原形質」という便利な用語が採用された。
ハクスリーによれば、それは「生命の物理的基礎」であった;しかし、これはこの難題を明らかにするものであるとは言い難い。何故なら、原形質を生きている物質であると宣言するためには、それがどのようにしてそうなったのか、すなわち、その起源と組成の謎を「それ自体」では説明することはできないのものであるからだ。実際、ハクスリーはさらに、すべての生きている物質は多かれ少なかれアルブメン、つまり卵白に似ていると宣言した;しかしこの後者の考え方もまた、生物学者にも化学者にも理解されなかった。
シャルル・ロビンは生きている物質を粘液質の一種と考えた。つまり粘液に似ていると考えた。粘液自体が謎に包まれていたため、オーケンはこれをウルシュライム(原始のスライム)と呼んだ。そして、植物学者のフーゴ・モールはこれを原形質と同一視した。こうして、粘液をあらゆる生き物の物理的基礎として威厳を与えたのである!
クロード・ベルナールは、原形質と組織や生命との関係を明らかにしようとした。そして、彼は、一般的な考え方に立ち向かった。一般的に、すべての生命体は形態学的に構成されていなければならないのであり、言い換えれば、生命体は何らかの構造形成がなされていなければならない、と考えられていたのである。彼は、原形質がそれ自身の構造的不定性によってこの通説と矛盾すると主張した。シャルル・ロビンもその考えに同意した。そして、その生命の形態の根源的な発生源とされるものに、ブラステーム(blastéme)という名前を与えた。ブラステームとは、ギリシア語で新芽を意味している。
これは、原形質と呼ばれるものであれ、ブラステームと呼ばれるものであれ、生きている物質に対する古い考え方にほかならない。細胞も、繊維も、組織も、-あらゆる解剖学的要素もー、この原始物質によって形成されたというだけで、生きているとみなされた。 組織化とは、その「最も優れた変化」であると言われた。
要するに、形態なき物質が、あらゆる組織化された生命の形態の源である、と考えられていたのである。 組織と生命を実験的に実証することに絶望して、構造的には欠陥があるが、魔法のように生きている仮説的な物質に対して、名前を考案したのだ。このような理論においては、具体的な証拠からの推論よりも想像力が重要な役割を果たした。こうして、1802年に31歳の若さで亡くなる前に科学界に名を馳せた医師ビシャットは、このような説明を受け入れることができなかったことがわかる。そして、生物の生きている部分は組織を形成する器官であると宣言した。
ヴィルヒョーが、細胞が構築される過程、つまり構造化される過程を見たと考えていたとき、大きな一歩を踏み出した。こうして、細胞は自己存在し、生命の単位であるという結論に飛躍したのである。発達した存在が有しているあらゆる組織化された形態は、この細胞から生まれると考えられた。
しかしここで難題が生じた。細胞は他の解剖学的要素と同様に一時的なものであることが証明されたからである。こうして、多くの科学者が原始的な無構造物質を信じる考え方に立ち戻った。「細胞主義者」と「原形質主義者」の間で意見が揺れ動くようになった。対立する理論の間に混乱が支配した。
純粋に化学的な化合物、あるいはそのような化合物の混合物が、どうして生きていると見なせるのかを説明するのに苦労した。
しかしここで難題が生じた。細胞は他の解剖学的要素と同様に一時的なものであることが証明されたからである。こうして、多くの科学者が原始的な無構造物質を信じる考え方に立ち戻った。そして、「細胞主義者」と「原形質主義者」の間で意見が揺れ動くようになった;つまりそのような対立する派閥が名を挙げるようになった。純粋に化学的な化合物、あるいはそのような化合物の混合物が、どうして生きていると見なせるのかを説明するのに手こずり、対立する理論の間に混乱が生じた。そして、あらゆる種類の変化や変容の力が、それが原因であるとされた。それは、ここで関心を持つ必要はないものである。
それでは話題を変えて、ベシャンとパストゥールが研究を始めたときに直面した2つ目の問題について考えてみたい:
この神秘的な生きている物質はどのようにして誕生するのだろうか?自然に発生するのか、それとも常に既存の生命に由来するのか。
この不可解な謎をめぐって、かつて激しい論争が繰り広げられたことを、今となっては実感するのは難しい。互いに対立する考え方の陣営は、主に18世紀の2人の聖職者の支持者に分かれていた;ニーダム、彼は腐敗しやすい物質から動物性分子を生成するには熱で十分だと主張し、スパランツァーニは、密閉された容器内での動物性分子の出現を否定した。 前者は、自然発生論者(Sponteparists)と呼ばれる。組織化された生命は化学的な発生源から絶え間なく出現しているという信念を抱いていたからである。一方、後者は宇宙汎種論者(Panspermists)と呼ばれる。生命の芽胞は一般的に拡散しているという説を唱えていたからである。その起源は原始時代に誕生したものであると考えられている。
後者の見解は、ボネの説、ビュフォンの説を基にした説が主な根拠で ある;一方、ビュフォンの考え方は、 アナクサゴラスに由来すると考える古代の体系を彷彿とさせる。アナクサゴラスによれば、 宇宙は、その異なる物質と同じくらい多数の様々な要素から形成されている;例え ば、金は金の粒子から形成されていると考えられている。;また、筋肉、骨、心臓は、 筋肉、骨、心臓の粒子から形成されていると考えられている。
ビュフォンは、一粒の海塩は無数の立方体からなる立方体であると説いた。そして、この塩の主要な構成要素もまた立方体であることに疑いの余地はない。私たちの目の力や想像力ですら以てしてもこの立方体を理解することはできない。
これは実験的事実であると、ベシャンは言う⁽¹⁾。そして、これがハウイの結晶学の基礎となった。
ビュフォンは同じ系統で次のように主張した。
「海塩の立方体が他の立方体の集合体であると考えるのと同じように、ニレの木も他の小さなニレの木の集合体であるように考えることができる。」
ボネの考え方⁽2⁾もやや似ている;彼の説の中心テーマは、生きている芽胞があらゆる空間に拡散して存在するということであった:
「...... 発達することができるのは、それら芽胞を保持するのに 適した同じ種の母体や身体に出会ったときだけである。そして、それら芽胞を大事に保護し、芽を出させる-これが播種、すなわち宇宙汎種説である。これは、四方八方に芽胞を蒔くことで、空気、水、大地、そしてあらゆる固体を広大で無数の貯蔵庫にする。その貯蔵庫の中に、自然にとって大切な富を蓄えるのである」。
彼はさらに次のように主張した。
「芽胞は桁違いに小さいので、混合物の分解をもたらす原因によって破壊されることはない。芽胞は植物や動物の内部に入り込む。そして、植物や動物の構成要素にさえなる。そして、これらの構成要素が分解の法則に従うときが来ると、芽胞は変化しないまま、空気中や水中に浮遊したり、他の組織体の中に入り込んだりする。」
このような学説は想像力に富んでいる。この学説で以て、ボネは自然発生説に異議を唱えた。実際的な実験的証明となると、一方の勢力は目盛りのついた容器の中で腐敗しやすい物質から生きている有機物が発生することを実証すると公言した;他方の勢力は空気を厳密に排除すればそのような可能性はないと否定した;一方、アペールという名の菓子職人は、この後者の仮説を非常に実用的な方法で実践し、この方法で果物やその他の食べ物の保存を始めた。
そして、ここで我々は3つ目の難問に行き着く:
物質が発酵と呼ばれる変化を起こす原因は何か?
科学的な問題に無頓着な多くの主婦によくある、家庭で起こっている謎である。夜、食料貯蔵庫に置いておいた牛乳が、なぜ朝には酸っぱくなっているのか?このような変化は、有機体の死後に起こる腐敗も含めて、あまりに謎が多い。長い間、その謎の原因はオカルトと考えられていた。
ニュートンは、この現象は触媒作用によるものだと考えていた。触媒の過程では、触媒と呼ばれる物質が化学反応を助ける。しかし、触媒自身は変化しない。 後に無数の微細な有機体が発酵している物質や腐敗している物質中に存在することが顕微鏡によって明らかになった。当初は、それらの物質が、腐敗や発酵の一般的な過程で最終的に生じたに過ぎないと信じられていたのである。
カニャール・ド・ラトゥールが新しい考えを導入した。彼は、発酵が発酵体の増殖に伴う効果であることを示唆した。つまり、彼は発酵体を生きていて、組織化されたものとして捉えた。そう捉えるよって、発酵を生命的な行為と見なしたのである。きっかけは、ビール酵母の顕微鏡研究である。1836年頃に行われている。彼が観察した楕円形の細胞が、ビールの製造中に本当に生きていたのを観察した。そして、その細胞が糖分を炭酸とアルコールに分解していたのだ。彼はこの実験を通して、このような見解を持つに至ったのである。
植物学者のターピンは、酵母の小球体が自らを養う行為の中で糖を分解することを意味していると解釈した。J.B.デュマは、酵母細胞の餌には糖だけでなく窒素化アルブミノイド物質も必要だと主張した。
ドイツ人のシュワンは、あらゆる発酵は生きている有機体によって引き起こされると宣言することによって他の誰よりも遠くへ行った。そして、これらの有機体が空気中に浮遊していることを証明する実験を行った。
しかし、シュワンの研究を裏付ける他の実験があったにもかかわらず、一時期、この学説はある見解のために脇に置かれた。その見解では、植物や動物の物質はそれ自体で変化することができるということだった。例えば、サトウキビ糖を水に溶かすことによって、それ自体がブドウ糖、すなわちグルコースに変化するという説があった;専門用語で言えば、サトウキビ糖は自発的に転化を起こすということである⁽³⁾。
大雑把に言えば、これが、19世紀半ばに流通していた科学的な考え方であった。この頃に、アントワーヌ・ベシャンとルイ・パストゥールが、それぞれの実験の詳細を携えて世間に登場したのである。
パスツールは、発酵現象を初めて明らかにした人物として有名である。しかも、自然発生説を覆した人物として評価されている。さて、これを鵜呑みにするのではなく、フランスの古い科学文献に目を向けて、1857年当時のパストゥールの発言を自分の目で確かめてみよう。