ベシャンか?パストゥールか?

第2部

ベシャンか?パストゥールか?

-生物学史における失われた一章

Béchamp or Pasteur? ― A Lost Chapter in the History of Biology

 


原 題:「Béchamp or Pasteur? - A Lost Chapter in the History of Biology」

著 者:Ethel Douglas Hume

出版年:1923

掲載本:「BÉCHAMP OR PASTEUR? - A LOST CHAPTER IN THE HISTORY OF BIOLOGY」(PDF)

 



第2章 ミクロザイマ

THE  MICROZYMAS

11.自然が起こした実験

Nature’s Experiments

ここまで、ベシャンの研究室での茨の道のりを見てきた;しかし、ベシャン自身は、自然が直接行う実験の方がより重要であると主張した最初の人物であっただろう。これらの実験に彼は絶え間ない研究を費やした;可能な限り病院の病棟を訪れ、そこにある症例を綿密に調べた。彼は、エストル教授(Professor Estor)や他の多くの医師たちの医学的研究を注意深く観察した。その医師達とは、彼がモンペリエ(Montpellier)にいたときに関わっていた。

肝臓から摘出された嚢胞(cyst:生物体が堅固な膜をつくり一時的に休眠状態となったもの。)は、細菌発達(evolution)の学説(doctrine)を見事に実証してくれた。嚢胞の中にはあらゆる発達(development)段階のミクロザイマが存在している;単離(isolated)されたもの、結合(associated)したもの、伸長(elongated )したもの ―― 要するに、真のバクテリアである。 リオンヴィル博士(Dr. Lionville) は、ベシャンの医学関係の弟子の一人であったが、彼は大いに興味をかき立てられた。そして、以下のことを証明した。水ぶくれ(blister)の内容物にはミクロザイマが含まれる。そして、それがバクテリアに発達(evolve)するのである。

並外れた忍耐と努力で、ベシャン教授と彼の同僚たちは医学研究を続けた。そして、すべての健康な組織からミクロザイマを発見した。一方、病気の組織からは様々な発育段階にあるミクロザイマと多くの形態のバクテリアを発見した。実験室での検査で臨床研究を補いながら、教授は、多くの実験を行った ―― ここには書ききれないほど ―― バクテリアの出現が外部からの侵入によるものではないことを証明するために。

ある日、ある事故がこの観察に興味深い貢献をした⁽¹⁾。ある患者がモンペリエ医科大学の病院に運ばれた。その患者は、肘を激しく打撲したことによる影響で苦しんでいた。 腕の前側の関節が複合粉砕骨折していた;肘は大きく開いていた。 切断は必須であり、事故から7~8時間後に行われた。切断された腕はすぐにエストル博士(Dr. Estor)の研究室に運ばれ、博士とベシャン教授が調査した。

前腕の表面は黒く乾いていた。手術前に完全な無感覚に陥っていた。壊疽(gangrene)のすべての症状が認められた。 高倍率の顕微鏡で観察すると、ミクロザイマが結合して数珠状(chaplets)になっているのが見えた。しかし、実際のバクテリアは見られなかった。これらは単にバクテリアの形成の過程にあったに過ぎない;怪我によってもたらされた変化があまりに急速に進行したため、バクテリアが発生する時間を与えることができなかったのである。バクテリアが壊疽(mortification)の原因であることを反証するこの証拠は非常に説得力(convinci ng)がある。エストル教授(Professor Estor)はすぐにこう叫んだくらいだ:

「バクテリアは壊疽(gangrene)の原因にはなりえない;バクテリアは壊疽の結果なのだ。」

ここに、ミクロザイマ説(microzymian theory)と、その微生物版(its microbian version)との顕著な違いがある。パストゥールと彼を支持する者達が、後者の普及に尽力することになった。

パスツールは生きている物体(living matter)の基本的な要素を理解していなかったようだ。生命について、彼は身体をビール樽やワイン樽に例えた⁽²⁾。彼にとって、身体は不活性な化学化合物の集合体にしか見えなかった;そして死んだ後の生命について、彼はその中に生きているものの存在を認めなかった。その結果、生命が現れたとき、彼は、空気中に浮遊する微小な有機体(organisms)が外部から侵入してきたとしか説明できなかった。ベシャンが彼にその有機体の実態を理解するように教えたのである。しかし、動植物の細胞や組織から生命が発生するという説明は、彼が理解するのに時間がかかった。後述するように、彼は最終的にベシャンの見解を盗用しようとして実際には失敗した。

一方、ベシャンとエストル(Estor)は、臨床観察を着実にやり通した。例えば肺結核の症例におけるミクロザイマの発生(development)について特別な研究を行った。 医療活動で目にした効果を実験室で証明し、検証した。そして、真の科学者としての細心の注意を払いながら、ミクロザイマからバクテリアが発生(development)するという彼らの信念を実証するために多くの実験を行った。一方、大気中に大量に存在するバクテリアが外部から侵入するという事実は、内臓におけるバクテリアの出現を説明するのに必要ではないのである。

しかし、自然が直接行った実験の1つがある。植物の世界で偶然に起きた実証実験である。それは、ベシャン教授に、いかなる大気からの干渉とも無関係な、バクテリアの内部発生に関する最高の証拠の1つを提供したのである。

前述のように、モンペリエの気候は1年の大半を亜熱帯に近い気候が占めており、太陽の光を好む様々な植物が生育しているほか、強靭な表面と恐ろしいトゲを持つ風変わりなサボテンも見られる。

しかし、1867年と1868年の冬には厳しい寒さが訪れ、過酷な霜がサボテンに無制限に降りた。サボテンにとっては全く異常な事態であった⁽³⁾。この寒い冬のある日、ベシャンはエキノカクタス(Echinocactus)に気がついた。このサボテンは、この種の中では最も大きく頑丈なものの1つで、その巨大な体長の2フィート(約1.5メートル)が凍っていた。雪解けが始まってから、教授はその植物を持ち出して調べた。凍傷になったにもかかわらず、その表面は非常に厚く硬く、まったく割れていなかった。表皮は不運に見舞われる前と同じように抵抗力があった。そして、組織の密度が高いため、外部からの侵入に対して内部を保護していた。ただ、気孔(stomata)を通して外気とつながっている細胞内空間は別だった。しかし、教授が凍った部分を切開してみると、内部ではバクテリアがひしめいているのを確認した。彼が、バクテリウム・テルモ(bacterium termo)とプトリディニス(putridinis)と呼んでいる種が優勢であった。

ベシャンはすぐに理解した。自然が自らの働きについて驚くべき試験を行っているのだと。そして、1月25日に再び霜が降り、同月末まで続いたとき、彼は先の観察を検証しようとした。植物園の植物が彼に絶好の機会を与えてくれた。多くの植物が凍っていたのだ。

彼はオプンチア・ヴァルガリス(Opuntia Vulgaris)という名のサボテンから観察を始めた。このサボテンは部分的に凍っていただけで、メス(scalpel)で表面を削ったところ、教授はサボテンが全く壊れていないと確信した。彼自身の言葉を借りれば、わずかな裂け目もできていなかった。その裂け目から敵は侵入することができるような裂け目がなかった。しかし、同じように、皮下と凍結部分の最深部の層まで、小さくて非常に活動的なバクテリアと、0.02ミリから0.04ミリの大きさで同じように可動性のあるバクテリアが潜んでいた。ただし、数は少なかった。通常のミクロザイマは、凍結部では完全にバクテリアに取って代わられていた。 逆に、霜にさらされていない健康な部分では顕著だった。すなわち、完全な細胞と正常なミクロザイマしか確認されなかったのである。

ベシャンは次にカラ・アエチオピカ(Calla Aethiopica)という植物を観察した。これは地面まで凍りつき、かなり腐敗(perished)していた。少し触れただけで粉々になるほどだった。顕微鏡で観察したところ、ミクロザイマが非常に小さな移動性バクテリアに変化していた;大きなバクテリアも見られた、その大きさは 0.03mmから0.05mmほどであった。

自然はまた、貴重な対照実験も提供してくれた。腐敗し凍った植物の中心部には、若葉の束が緑色で健康なまま残されており、ここには正常なミクロザイマしか見られなかった。周囲の部分で起こっている変化の様子とは驚くほど対照的で、その部分は霜によって無情にも壊されてしまったのである。

3つ目の例はメキシコリュウゼツラン(Mexican Agave)である。凍結していない部分には、通常のミクロザイマしか見られなかった。一方、葉が黒く凍結した部分には、非常に移動性の高いミクロザイマが雲を作るように存在していた。そして、そこにはバクテリア・テルモ(bacterium termo)に似たバクテリアが群がっていた。また、それらは0.01mmから0.03mmの少量のバクテリアに覆われていた。

別のメキシコリュウゼツラン(Mexican Agave)では、葉の黒く凍った部分にはミクロザイマは見られず、小さなバクテリアと、0.008mmから0.02mmの長さの長めの種類がいくつか見られただけであった。健康な部分にはマイクロザイマは通常通りであったが、凍結した部分に近づくにつれて、ミクロザイマの形や大きさが変化しているのが見られた。

5 つ目の例はダチュラ・スアベオレンス(Datura Suaveolens)で、枝の先が凍っていた。表皮の下ならびにその深部には、バクテリウム・テルモ(bacterium termo)、まれにバクテリウム・ボルタンス(bacterium volutans)、そして0.03mmから0.04mmの大きなバクテリアが群生していた。また、0.05mmから0.10mmの紡錘形の末端を持つ長い結晶針があった。これらは動かず、健康な部分には見られなかった。凍結して枯れた部分は、それでも、緑色を保っていた。

こうした観察やその他多くの観察を通して、ベシャンは確信した。植物の世界のミクロザイマはバクテリアに成長(developing)するのに非常に適した性質を持っていると。しかし、彼は決して結論を急がず、完全に確認するために細心の注意を払った。すなわち、外来の有機体の侵入(inoculation)が原因である可能性はない、という確認である。

その1年後、ルカリヌス(Rucarinus)⁽⁴⁾というエキノカクタス(Echinocactus:サボテンの一種)で、彼はバクテリアが不存在の興味深い例を見つけたが、この例は、バクテリアが外部から侵入するのが促進されるように思える場合であった。そのため、彼は、さらに自説の証拠を得たたようだった。つまり、栄養障害や、環境の変化、例えば霜によってもたらされるようなことが、ミクロザイマが自然に内部発生(internal development)を引き起こす可能性がある。

彼はたまたまモンペリエ植物園(Montpellier Botanical Gardens)の温室を訪れた。そこで、彼はエキノカクタス(Echinocactus)に目を留めた。それは、1年前に調査したエキノカクタスの一つであることを思い出した;このエキノカクタス(Echinocactus)も凍傷にかかったようだった。彼は庭師に尋ねた。庭師は、水をやりすぎたために根が腐ってしまったのだと説明した。ここにもまた、根気強い自然研究者にふさわしい課題があった。もちろん、ベシャン教授はこの機会を逃さなかっただろう。硬く厚い表面は無傷のように彼には見えたが、大きな真菌(fungi)の細胞がカビ(moulds)を形成していた。そして、その真菌がすでに菌糸(mycelium)に発達していた。しかし、この表面を切り開いたところ、ミクロザイマが切り口から見つかっただけで、バクテリアは見つからなかった。それでも、すべてが菌の侵入に好都合であった。なぜなら、表面にはカビが生え、植物の根は腐っていたからである。

次のことは確かである。教授は、これまで取り上げたすべての事例において、単に顕微鏡検査だけで満足しなかった。それぞれのケースで、彼は化学的検査を行い、次のようなことを発見した。大まかに言って、正常なサボテンの細胞樹液は酸性反応を示すのに対し、凍結した部分のそれは弱アルカリ性であることを発見した。しかし、検査した植物ごとに異なる反応がみられた。その課題⁽⁵⁾に関する研究報告の中で、これらのことについて述べたが、彼はバクテリアの発生(development)と培地のアルカリ性の一致について述べている。彼はこう付け加えた:

「これとは逆に、バクテリアは酸性の培地でも発育(develop)することができる。そして、その培地は、酸性のままであったり、アルカリ性になったりする。それと同様に、バクテリアは絶対的に中性の培地でも発育(develop)することができる。」

彼は、こう考えた。もしある種のミクロザイマが中性か弱アルカリ性の培地でのみバクテリアに成長(evolve)することが事実ならば、それとは別に、他の種は通常酸性の培地で成長(develop)する。

ベシャンについて、記憶しておかなければならない。彼は、空気中の有機体(organisms)が適切な培地中で増殖(development)することを初めて正確に実証したのである。空気中の微小な有機体(organisms)が重要な役割を担っていることをよく理解していたベシャンは、当然ながら、好奇心が旺盛だった。その有機体がミクロザイマに遭遇するような環境に意図的に導入された場合、どのような影響を及ぼすのかに注目したのである。ミクロザイマは、動植物の身体を形成する生きた形成体(formative builders)であるとベシャンは考えていた。

そこで彼は植物にバクテリアを接種した。そして、この外部からの侵入の結果を注意深く研究した。彼が用いた加糖溶液では、1857年に彼が行ったビーコン実験(Beacon Experiment)によって具体化された結論に到達した時、彼は侵入者が増加し増殖するのを目の当たりにした;しかし今、植物の内部では、その侵入者が自分たちと同じように完全に生きている有機生物(organisms)と接触しているのである。植え付け後、バクテリアの群れが増えていくのが観察された。しかし、ベシャンは次のように考えるようになった。これが侵入者の直接の子孫ではないと。また、彼は、こう確信するようになった。外部からの侵入は、内在するミクロザイマを乱している。また、植物の内部で増殖しているバクテリアは、彼自身の言葉を借りれば、

「一定の正常な有機体(organisms)の異常な発達である。」⁽⁶⁾

これらの実験は、モンペリエ植物園で自然そのものが行ったもので、ベシャン教授の病理学的指導に多大な影響を与えることになった。これらの実験が性急な結論を導き出すことを妨げていた。例えば、パストゥールによってまとめられた言説のような性急な結論である。パストゥールは、動物や植物の組織や体液を、加糖溶液のような不活性な化学媒体⁽⁷⁾に過ぎないと考えていた。その溶液を用いて、ベシャン教授は、空気中の有機体(organisms)が果たす役割を最初に示したのである。

これらの植物学的観察をベシャンが行ったのは、バクテリアの研究が注目され始めた頃であった。彼は同じ年の初め、1868年に凍傷植物の特別な研究を行った。その後、同年10月19日、パストゥールは45歳の若さで重度の麻痺に襲われるという不幸に見舞われた。彼は、こう断言している。その原因は蚕の病気研究に関連した「過度の労苦」であったと。

しかし、それ以前にも、すでに見てきたように、この高名な化学者は、彼が空気中の芽胞(germs)と呼ぶものの役割を高く評価しようと懸命に取り組んだ。そして、その発見の手柄を自分のものにしようとしていた。彼の弟子や崇拝者たちは、微小な有機体(micro-organisms)に関する彼の限定的な考えに従うことに満足した。1860年代には、そのうちの一人であるダヴェイン氏(M. Davaine)が、現在「細菌理論(germ theory)」として知られている疾病説を多かれ少なかれ打ち立てた。

それはこのようにして生まれた。炭疽(charbon)、もしくは脾脱疽(splenic fever)と呼ばれ、後に炭疽(anthrax)として知られるようになったこの病気は、フランスをはじめとするヨーロッパ各地で、牛の群れや羊の群れを時折襲った。

1838年、デラフォン(Delafond)というフランス人が、罹患した動物の血液中に小さな桿菌(rods)に似た有機体(organisms)が出現することに注目した。そして、その後ダヴェイン(Davaine)らもこの有機体を確認している。これに関する学説は、以前からキルヒャー(Kircher)、リンネ(Linné)、ラスパイユ(Raspail)らによって提唱されていた。その学説は、特殊な有機体(organisms)が病気を誘発するというものだった。ダヴェイン(Davaine)は、パストゥールの「それぞれの種類の発酵は、空気中の特定の芽胞(germ)によって生じる」という考えを知っていたので、そのとき、こう示唆した。この小さな棒状の有機体は、彼がバクテリディア(bacteridia)と呼ぶもので、動物の体に寄生する侵入生物であり、脾脱疽(splenic fever)、もしくは炭疽(anthrax)の原因である可能性がある。彼や他の研究者がこの仮説(subject)を調査しようとしたが、実験結果は矛盾するものであった。その後、1878年にドイツの医師、コッホ(Koch)がバクテリディア(bacteridia)を培養し、それらの中に胞子(spores)の形成を発見して彼らを救った;一方、パストゥールは最終的にこの問題(matter)を取り上げた。彼は、独断専行(dogmatising)を好んで、こう宣言した:

「炭疽(Anthrax)は、従って、バクテリウム(bacteridium)による疾病である。トリシナ病(trichinosis)がトリシナ(trichina)による疾病であるように。また、疥癬(itch)がその特別なアカラス(acarus)による疾病であるように。」⁽⁸⁾

一般論は矛盾の多い世界では常に危険である。しかし、『真実の一片を含まないほど誤った教義はない』と言われている通りである。この名言はベシャン⁽⁹⁾も引用している。パストゥールは続けて言う:

「ミクロビアン(microbian)の学説も同様である。実際、もしある一定の数の博学者、医師、外科医の目から見て、既存の病原芽胞(morbid germs)という体系は、あらゆる真実の風采を失い、いかなる実験的現実にも基づいて確立されていないように見えたとしたら、これらの博学者たちが受け入れたその体系は、私には十分に深く調べることなく採用したように見えるが、まったく理解できないものであっただろう。疑いようのない事実が、しかしながら、それを裏付けている。つまり、次のことは確かである。最も精巧で微細な、そして微視的でもある生きている存在(living beings)が本当に存在しているのである。そして、その存在は間違いなく、その存在が持っている特定の病的状態を伝えることができるのである。病毒性(virulence)や感染力(power of infection)の原因が、病的な有機体が産生するある種の産物の中に、あるいは死後の腐敗状態にある死体の中に、現実にこのような種類の存在の中に宿っているのである。次のことも事実である。人々は、確かに、そのような存在を発見してきたのである。ある種の病気、病原性(virulent)、感染性(infectious)、伝染性(contagious)、あるいはそれ以外のものが進行している間に。」

こうして、分かることは、ベシャンの信念が、次のように表されるということである。すなわち、芽胞説(germ-theory)における真実であるこの粒子(particle )こそが、多くの人々にその誤りを見えなくさせているのである。ベシャンは、こう説明している。より完全な理解の欲求は、十分な知識の欠如によってもたらされるのだと:

「私の目には、医師たちが、動植物の有機生物(organism)を構成するある組織学的要素とバクテリアとの間に、何の関係も、何のつながりも見いだせなかったからこそ、彼らは偉大な科学の法則を軽々しく捨て去り、ダヴェイン(Davaine)の後に、そしてパストゥールとともに、キルヒャー(Kircher)の既存の病原芽胞(disease  germs)の体系を採用したのである。 こうして、細菌と我々の組織(organisation)の正常な組織学的要素との間に存在する真の本質的な相関関係を理解せず、ダヴェイン(Davaine)のように、或いは、それを否定することなく、パストゥールのように、彼らはまた新たにキルヒャー(Kircher)の体系を信じるようになったのである。 ダヴェイン(Davaine)が観察した結果、生物(organism)内部が接種されたバクテリアを発育(development)させる媒体であると考えるずっと前に、ラスパイユ(Raspail)はこう述べている:

「有機生物(organism)が病気を発生させるのではない;外からそれを受け取るのである…。病気は、効果である。つまり、積極的な原因が有機生物(organism)の外部に存在することの効果である。」

にもかかわらず、偉大な医師たちは断言する。ピドー(Pidoux)の幸福な言葉を借りて:

『病気は私たちから生まれ、私たちの中にある。』

しかしパストゥールは、ラスパイユ(Raspail)の意見に倣い、この仮説を実験的に検証しようとして、こう主張した。医師たちは間違っていると:われわれの病気(maladies)の積極的な原因は、万物の起源に生み出された病原芽胞(disease germs)にある。そして、その芽胞は目に見えない形でわれわれの体内に侵入し、寄生生物(parasites)へと成長する。 パストゥールにとっても、ラスパイユ(Raspail)にとっても、自然発生的な病気は存在しない;微生物(microbes )がいなければ、病気は存在しないのである!そして、私たちが何をしても、私たちの不注意や不幸や悪徳があったとしても、それは存在しないである。

この体系は、新しいものでも独創的なものでもないが、巧妙であり、非常に簡潔であり、その結果、理解しやすく、広まりやすい。人間の中で最も無教養な者でも、コナダニ(acarus )と疥癬(itch )の関係を説明されれば、疥癬がコナダニ(acarus )に起因する病気であることを理解する。こうして、多くの人々が騙されるようになる。そして、人々は、その説明に何も考えずに賛同するようになるのだ。とりわけ、世の中の人々は、まやかしの安易な学説に乗せられてしまう。この学説は、一般論やあいまいな説明によりよく当てはまる。つまり、そのような学説は、証明され、試行された科学的実証に基づいていないのである。」⁽¹⁰⁾

そう、ベシャンにとって不運なことに、細胞学の理解において具現化される深い知識 ―― かなり軽視されている。ミンチン教授(Professor Minchin)が苦言を呈したように⁽¹¹⁾、20世紀の現在でさえ ―― は、未だにそうであるように、必要なのである。より奥深く、より神秘的で複雑な病理学の仕組みを理解するために。

自然は、実験を行っていた。その実験は、あらゆる人に開かれていて、顕微鏡の助けを借りれば読み取ることができた。しかし、十分な技術を持っている者はわずかで、浅はかな誤解を招きかねない事柄を深く掘り下げることのできる者はほとんどいなかった。その僅かな者が、ベシャンが明らかにした複雑さを理解するための十分な知識を持っていた。しかし、当初から、彼はあまりに安易な判断に惑わされないよう世界に警告を発していた。

1869年の時点で、彼はこう書いている:

「腸チフス(typhoid fever)や、壊疽(gangrene)、炭疽(anthrax)では、病変部(issues)や血液中にバクテリアが存在することが証明されている。そのため、普通の寄生虫(parasitism)の症例として当然視される傾向が強かった。以下のことは明白である。これまで述べてきたように、このような病気は、導入されることである。すなわち、病気の起源であり原因であるように、外来の芽胞(germs )が有機生物(organism)の体内に導入されることである。そして、病気には、その結果として生じる作用を伴うのである。病気について、以上のように主張するのではなく、こう断言すべきである。すなわち、病気は、この点でミクロザイマの機能の変化(alteration)を取り扱っていると。また、その変態(change)によって示される変化(alteration)を取り扱っていると。その変態は、ミクロザイマの形態において起きている。」 ⁽¹²⁾。

ベシャンは、ペブリン(pébrine)の原因を発見したことで、現実の寄生因子による病態(parasitic disease conditions)に関する知識をすでに実証していたが、今回のこれらの実験を理解するために、彼自身が最高の能力を備えていることを証明したに違いない。これらの実験は、自然が企てていた。身体の正常な働きがカオスと化し、無秩序が有機生物(organism)を支配するときに、その実験は行われた。しかし、人類の大多数は、細胞学的要素に無知であり、粗雑な疾病説(theory of disease)に歓喜した。そして、大衆はその学説を理解した。それ故、ベシャン教授の深遠な教えを無視してきた。

パストゥールがこれらの見解の盗用を試みたと思われるものに、我々は今注目している。


脚注

  1. Les Microzymas, A. Béchamp, p.181.
  2. See p.164.
  3. Les Microzymas, A. Béchamp, p.141.
  4. Les Microzymas, p.144.
  5. Comptes Rendus 68, p.466 (22nd February, 1869). Les Microzymas des Organismes Supérieures, Monipellier Médicale 24, p.32. Les Microzymas, p.145.
  6. Comptes Rendus 66, p.863.
  7. “M.  Pasteur  ne  voyait  dans  un  oeuf,  dans  le  sang,  dans  le  lait,  dans  une  masse musculaire, que des substances naturelles telles que la vie les élabore et qui ont les vertus de transformation que l’ébullition détruit.” Les Microzymas, p.15
  8. The Life of Pasteur, René Vallery-Radot, p.260.
  9. La Théorie du Microzyma, p.37.
  10. La Théorie du Microzyma, p.38.
  11. Presidential Address – British Association, September, 1915.
  12. Comptes Rendus 75, p.1525

実験室での実験
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